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581.同じ灰の空が見下ろすその先にて(前編)

※今回は久々にカリスト視点となります。



賑やかな通りをひゅるりと木枯らしにも似た風が駆け抜ける。

不可視のそれは器用に疎らながら数の多い人の波の合間を縫って、通り過ぎていった。

季節外れにもほどがある、随分と気の早いそれに(ほお)を撫でられて、ふと見えもしないのに顔を上げた。


当然、駆け抜ける透明なそれは見えない。

代わりに本日は少々、天候に恵まれなかったのか、うすぼんやりとした空が視界に映り込んだ。

雲が多いその空はその雲の厚みからか、灰色の印象が強かった。

まるで、よく見慣れた瞳の色を思わせるほどに灰色だった。


ほう、と安堵を零す時のそれと同じ音を立てて、息を吐いた。

さすがに白く染まって、可視化出来るようになるには季節がぐるりと巡り切らなければならないほど先の話だ。

やっと始まり、その季節。

明けたばかりの季節を想うには吹き抜けていった冷気を(まと)う風よりも気が早い。


いや、この場合はやっと過ぎたその季節への懐古なのか、切り替わっていないということなのか。

しかし、脳裏に浮かぶのは(いま)だ残る一つ前の季節の残滓、というよりはまだまだ遠い遠いその先の必ず(きた)るいつかの再会である。

事実、季節は(うら)らかに穏やかな温かさへと変わっていたのだ。

ただ、ちょっと先程の風だけは隣同士で一番遠い季節の中を生きていたらしい。


吐いた分を取り戻すように空気を吸い込む。

過去か、はたまた未来を生きていたそれはまだ、ここに(ただよ)っていたようだ。

ひんやりと冷たさが(のど)を通り、食道を抜け、胃の腑に落ちて(しば)しの間、その底に(わだかま)る。

その人の生理的な動作であるそれは直前までのそれと違いはない。

けれども、その冷たさはその動作を、身体の中を抜けていくさまを、不可視の満ちていくさまをまざまざと体感させた。


じわり、この身を内から(おか)していくそんな音さえ聞こえてきそうだ。

肌はもう慣れたのに、身体の内側はどうやらその反対をいっていた。

人は自覚するよりも熱を持っているのだということを改めて、実感させられたような何とも言えない微妙な心地が一瞬、冬で満たされた胸の中で揺蕩(たゆた)っていた。


「カリスト様」


名前を呼ばれて、空を見上げていた彼――カリストはそちらを振り返った。

そこに居たのは己れの側近の一人で半竜(はんりゅう)のフォティアとニカノールに紹介してもらった裏通りの住人の男である。


「何か、見つかったか」


「...いえ、有益だと言えるほどのものはまだ。しかし、当てになりそうな場所が数件ありました」


「そうか」


次の瞬間、カリストから発せられたその声は落ち着き払った心地良い硬さを持っており、そこには先程までぼんやりと曖昧な心情のまま、空を眺めていた男の姿は一つも残っていなかった。

淡々と(よど)みなく紡ぐ言葉もやや詰まり気味に話される側近の報告に対する返答も冷徹ではないが、感情がそれに乗ることはなく、事実についてだけ(うなず)くように放たれた。

一等、よく通る声音、声量は聞こうとせずとも耳に飛び込んでくるようで話を聞かせる側のもの。

しかし、それはうっとりと耳を澄ませて聞いていたいというよりはするすると奥まで鋭く届いてくる風の冷たさのような返答だった。


だが、誰もそれに指摘はしない。

それはこれがカリストのいつもの声音で声量で返答だからである。

その圧倒的な美貌(びぼう)の容姿からもいつ何時もしゃんと硬質ささえ思わせる真っ直ぐ伸びた(たたず)まいからも予想され得る通りのそれら。

それがカリストに(そな)わったものだった。

状況に考慮されて殿下、とここでは呼ばれなかったとしても、カリストといつだって王族で第一王子であった。


カリストはルシア以上に目立つ。

こういうとルシアはきっと、自分は普通にしていれば目立つことはない、とその人形のように動かないことで完成されたと見られる顔を遠慮なく(しか)めて口を挟みそうであるが、今の論点はそこではない。

今の論点はカリストは何処に居たって、どんな格好をしていたって、人に(まぎ)れることなく、目立つということである。


その要因の大体が自身の容姿にあるのだということを幼少期からルシアと共に王宮内外問わずに出歩いて、広めた価値観でカリストは知っている。

自分に纏わりつく複雑な生い立ちや立場も要因の一つであるし、あのまま王宮から出ることがなければ、容姿の代わりにその大部分を占めていると思っていただろうくらいには自他共に大きな付属品だが、それらを知らぬ者たちでさえも人の視線が必ずと言って良いほど己れに向くのはやっぱり容姿が要因だ、と思い知らざるを得なかったのである。


良くも悪くも見聞を広めた幼少期。

今や敢えてそのような行動を取ることはないが、やろうと思えば一人でも街の散策を出来るカリストは世間一般に依れば、王宮という箱庭の中で生きて来た世間知らずの王子様ではなく、市井に慣れ切った気安い部類の王子だろう。

ただし、いくら出歩き慣れるほどに馴染んでいようと、ついぞカリストが一般平民に扮することが出来るようにはならなかった。


ルシアとて、不意の動作に育ちが出てしまうから、と平民の振りをすることはない。

精々、お忍び中のお嬢様。

下級貴族の令嬢か、豪商の娘辺りを(よそお)っている。

しかし、これはボロが出ないほどの短時間であれば、別に出来ないということではないでもある。


その点、カリストはてんで駄目だった。

そもそもの容姿が浮き過ぎた。

普段の下級貴族の令息でさえ、やや厳しいほどなのである。

何とか、技量と市井に慣れたその動きと価値観で誤魔化しているに過ぎない。

そういったこともあって、王宮内の魔窟の件もあり、公私を完全に演じ分けるルシアと違って、カリストは極力、それらしく振る舞うということはしなかった。

あまり、向いていなかったということもある。

ルシア(いわ)く、下手ではないが、どのように振る舞ってもその顔で様になってしまうのだから一緒だ、とのこと。


確かにカリストはお忍びに向いていない。

演技力がない、という訳ではなく、(おぎな)うには余りあるその容姿よって。

その結果が、ころころと王宮内での完璧な淑女の顔のように、お忍びではお忍び用の口調や態度を取るルシアと違って、カリストはいつだって普段通りの口調や態度を一貫することになったのである。

王子たる者、どのような時であれ威厳を保て。

潜入やお忍びの都合なんて考えちゃいないその威光はどうやら既に標準装備と化していて、抑えたって漏れ出るようだ。

ならば、と有効活用することにして、逆に近寄り(がた)いお忍びにくるにはやや身分が高い貴族令息、それも嫡男辺りを設定として選択するようになった。


どう見ても、本来ならば気軽に声をかけることの出来ない相手。

明らかなお忍びなのは、ルシアと変わらなくても、そこには察した人たちの心境の面で大きな(みぞ)がある。

前者は気付いたとしても、指摘なぞして良い相手ではないから口を(つぐ)むのならば、後者は気付いたけれど、楽しんでいる様子に水を差すまいと(みずか)ら口を閉ざすのだ。

しかし、本来の立場が知られるようなことになれば、それ以上の騒ぎになるのは間違いないので、多少、動きづらくとも違和感のない設定が重要だった。


まぁ、立場故に下手に出ることほとんどない人生を歩んできたカリストである。

器用に何でも一定以上に(こな)すが、ルシアのように気楽に話しかけられる普通の青年には成れようもなかったのである意味、収まるところに収まったと言ったところだろう。

今だって、周囲を行き交う通行者は勿論、同行者である裏通りの住人の男だって、カリストたちのことを貴族令息とその従者と見ているだろう。

お忍びだろうと何だろうとカリストたちが周囲に与える印象での役柄は本来のものと変わらない。

ルシアたちのように兄弟に間違われたり、そのように振る舞うことはない。

けれども、良い具合に緩和されていて誰もカリストを王子だとまでは見抜かない。


要は一番に隠したいことを隠せたなら良いのだ、とはルシアの言った言葉だったか。

ある意味、いつも通りで良いのは楽で、ボロもでづらく利点は大きい。

(もっと)も、この設定に一番、安堵しているのは間違いなく、カリストの側近たちであろう。

彼らもまた、カリストに仕える者として生きてきて、まさか気安く呼び合うような振りを例え振りでも出来ようもない。


「今から向かうか――幾つかは回れるんだろう?」


「はい」


カリストは普段と変わらぬ声音と口調で相談することもなく、当たり前のように決定権を持って、言葉にする。

まるで、否定されると思ってもいないような様子で尋ね返せば、やはり返ってきたのは即座の肯定。

大変優秀なことであるが、カリストはこれをルシアほどは可笑しなことと思っていない。

自分の側近が優秀で当たり前、とは思っていないが、彼らが優秀であることは疑っていない、というよりも常人よりも遥かに高い位置が基準だと思い込んでいるのである。

ある意味、傲慢。

しかし事実であり、それだけの信頼でもあった。


やぁ、すみません。ぶった切って。

急でしたね、ほんと。


まぁ、こっちはこっちで動いてますよってことで。


いやぁ、久しぶりですカリスト。

と言っても、十中八九、私のせいなんですけどね。


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