569.順調を壊すその予感
「ルシアさん、こちらは...」
「それはここね。......ああ、でも、ここはこれと合わせた方が良さそう。ねぇ、ニカ」
パラパラ、と静けさの中で鳴る音は時計の音と同様のものとさえ、思わせるほどに変わらずほぼ一定。
途中、紆余曲折の中断を挟みつつもその後は順調に昨日の続きを遂行するに至ったルシアたちは今、中断の分なのか、誰ともなく何も言わないまま、黙々と熟した作業の二度か、三度目かになる休憩中。
もう午後も夕暮れだと言うのに、昼休憩以外に真面な休憩が一つか、二つかという状況の中で文句を言う者は一人として居ない。
そして、休憩中と称しておきながら、資料の山から抜粋して必要な情報だけを書き出した紙の束を振り分け、時には書き足し、廃棄し、と細々とした作業をしていることにも文句を言う者はやっぱり、一人として居ない。
割と、こういった細々とした作業も積み重ねれば、言葉通り嵩張ってくるのも事実なので、こうして何の不満の欠片も持っていないことが分かる積極性で当たってくれているのは正直、有り難い話である。
休憩、とは。
社畜並みの思考回路はいとも容易く伝染する。
真面目であるほど、一点集中型であるほど。
良くも悪くも、ここには程度に違いはあれど、根の部分はそういった気質の者しか居ない。
「あ、うん。分かった、書き込んどくよ。あー、こんな記述あったの。これって確か...あの、えー何処だっけ、なんかで見たはず、これと繋がりそうなやつ」
「そう。なら、頑張って思い出して」
「わぁ、容赦ない」
手慣れてきた様子で紙を一つ差し出してきたミアにルシアが答えながら、受け取って、軽く流し読んで手元にあったある一枚と重ね合わせる。
しかし、途中で見つけた一文にふむ、と一人、ルシアは頷いて、別の紙を取り上げ、口を開いた。
同時に横に立って、作業をするニカノールに振り返らずに肩越しでそれらを見せて、尋ねもする。
それにちらりと視線をやったニカノールが鷹揚に頷いて、ルシアの手の中からそれを引き取る。
そうして、手軽く片方には斜線を、もう片方にはさらさらと消したばかりの文字の羅列を書き込んでいく。
書き込み終われば、ルシアに渡さず、ニカノールはそのまま二枚と一枚に分けてテーブルの上に戻した。
こうした作業が先程から繰り広げられられていた。
再度、言うが休憩中なのに。
いや、休憩中だからこそ、作業の内容としてもなのだが、黙しはせずに会話が飛び交う。
その合間に事務的なそれとは違う軽口が混じることこそが休憩中である証拠と言えようか。
そんなこんなの二日目、資料探し。
昨日のうちに凡そ集め終えていた分、本日は朝からぶっ通しで資料を片手に単調な纏め作業で済んだ一日。
黙々と熟していたこともあって、作業自体はかなりの進捗を見せていた。
これに関しては僥倖。
まだ明確に動けるほどの何かを得た訳ではないが、一歩でも素早く前に進められれば、それだけその後の前進だけ早くなる。
勿論、急いで逃しては本末転倒、進んだところでまた行き詰って停滞もあるだろうが、それがここで足踏みする理由にはならない。
ある程度の情報は固まってきたと思う。
停滞気味であることは変わりないし、まだ情報収集段階であることは承知の上。
けれども一度、動き出してしまえば。
後一つのピースを埋めてしまえば。
一気に状況が、物事が動き出すような予感が、ルシアにはあった。
それは激動。
それこそ怒涛。
それだけの言葉が相応しい展開に、なるような。
きっと、それは大きく欠けたピースではない。
明確な切っ掛けですら、ないかもしれない。
まさに流れ始めた水がもう自身でも止めるすべを知らないように。
勢いだけが増していき、最早、行き着くまで止まらない。
――そんな予感が、ここに。
「...もう、こんな時間なのね。ニカ、どうする?切りは良いと思うけれど」
「んー、もう少し進めておきたい気持ちはあるけど。まぁ、確かに」
ほとんど無意識に胸元に押し当てた自身の握り拳に気付かずに、ルシアはくるりと今度は身体ごと振り返って、ニカノールを見上げた。
滲む思考回路のその先でルシアは傾き始めた橙色の光と時計の針を視界に収めていたのである。
昨日、切り上げた時間よりは遅い。
頃合いと言えば頃合いで、やや渋り気味なのは昨日こそ早めに切り上げたから。
けれど、今から軽くであっても作業を熟すとなれば、今しているような最後の細々としたあれこれを合わせて考えてしまうと、さすがに帰還が遅くなり過ぎてしまう。
そんな、絶妙に選択肢を迷う頃合いであった。
残った時間がこれ以上なく微妙とも言う。
ニカノールもルシアの提案に同じことを思ったのか、同意を示して頷きながらもどうしたものかと唸っている。
やっぱり、決めかねているのだろう。
しかし、こうした場合、悩めば悩むほど当たり前だが時間が無くなる。
無くなってしまえば、片方の選択肢は取れないので結局は無為に時間を消費するか、予測以上に遅くかかってしまうか。
「うん、これらを纏めたら意見交換して、後は明日に回そう。その方が効率的」
「分かったわ。――ミアさん、これをそちらの山に」
「はい!」
ぐだぐだとすれば、するほど。
ルシアがそう指摘をする前に踏ん切りの付いたニカノールがこの後の予定を淡々と決めていく。
ルシアはそれに異を唱えることなく、すぐに返事して、反対側の隣で作業をしていたミアへその奥を指して、手にした一枚を差し出した。
二人の会話の行方を聞いていたミアは急に振られたそれにも元気に返事して、受け取り、張り切った様子で作業を再開する。
「じゃあ、お嬢。こっちは片付け引き受けますんで」
「ええ、よろしく」
三人が手際良く、分担を決めたところでイオンが他に余る作業を引き受けると宣言する。
昨日と同様、軽く場を整える程度の片付けであるが、確かにそれもまた細々と残った作業でには変わりなく、それこそ地味に時間を食う作業である。
そして、当然のことながらそこから得られるものはない。
本当に事務的作業。
それは纏める作業をする役が多過ぎても雑多になりやすく、また擦り合わせが上手くいかなくなりやすいと分かっているからこその行動である。
そして、割と重労働でもあるそれを自分たちが引き受ける方が手早く済むとも分かっている行動である。
現にイオンはルシアの返答を聞く前に近場の本を持ち上げたし、それに倣うようにノックスもまた片付けの作業に入っていた。
纏めた情報に関しても結局、纏め切ってからきちんとした形のものを後から見ることになることとこれらを預かるのがルシアであるから宿に戻ってからすぐに目を通すことが出来ることを知っているからでもある。
そもそも、情報の拾い出し作業には参加していたのだから、大枠は既には把握しているということもある。
これもまた、効率と言わんばかりのスムーズな役割分担の様子は正直、全くもってやりやすいことこの上ない。
ルシアは返事を必要としていないと分かっていながらも了承を含む返答を背中越しに投げて、さっさと蹴りを付ける為、手元の紙束へ視線を落としたのであった。
――本来であれば、このまま明日に持ち越した分の情報を持って、王子たちを合流し、行動に移す。
それがまだ固まり切っていないとは言えど、ルシアが想像していたこれからの展開であった。
そうして確かに、ここまでは順調にその道をルシアたちは進んでいた。
この時、ルシアの感じた予感が現実となるまでは。
そして、その時はもう既にすぐそこまで――。




