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560.結論至らぬ紫の(前編)


ああ、この時ほどパソコンが欲しいと思ったことはない。

――なんて、それは書類仕事が手を動かし続ける作業と化した辺りで毎度、思うことである。

腱鞘炎(けんしょうえん)は待ったなし、頻度を考えても酷い痛みを恒常的に持っていても可笑(おか)しくはない。

それがないのは(ひとえ)に優秀なお抱え治癒師たちのお陰に他ならない。


勿論、手書きには手書きの利点があり、ルシアの立場ではパソコンがあったところで手書き作業が完全になくなることはないし、今やっているのも半分くらいは手書きである必要のあるものである。

だから、ルシアは無心で手を動かす。

考えたところでないものねだり、あっても半減でしかないことを思ったって、徒労でしかないのだから。

まぁ、半減でもしてくれたら充分に有り(がた)いのだけども。


ここまで含めて、しっかりと手元は確かで内容も端々まで把握しながらも脳裏にはぐるぐると意味のないことばかりが回っている状態である。

本当にどうしようもない。

最早、末期症状である。


「お嬢、そろそろ切り上げたらどうですか」


そんな思考回路が駄々洩れだったのか、それともこれこそが長年の付き合いの成せる(わざ)なのか。

いつの間にかティーセットを手に持って、準備もし始めていたイオンが堂々巡りのルシアの思考をまるで見透かしたかのようにそう声をかけてきた。

ルシアは周囲の音声全てを意識の外に追いやっているようであったが、その声にはぴくりと反応して、ゆっくりと顔を上げた。

これも経験の成せる業。


「お茶、飲みますよね?」


こちらを見ているイオンと視線がかち合った。

ルシアがそう思った瞬間にイオンがにっこりと笑って、そう問いかけてきた。

また後でとも、遠慮しとくとも言わさぬ、断言した言い回しに圧、そして既に中身が(そそ)がれ始めたカップを見てしまえば、ルシアが口に出せる返答は一つである。

勿論、無言を突き通すことも出来るが最初に反応を示してしまっている為に素知らぬ振りは出来ず。

そうとなれば、無言の意味するところは肯定。

やっぱり、答えは一つにしかならない。


「......ええ、いただくわ」


ルシアは嘆息を吐きながら、ペンを置き、机の上に広げた紙の(たぐ)いを軽く(まと)めて、端に()けた。

それはただ邪魔になるということともし溢しても良いように程度の意味での行動で内容を見られたら困るからというのは微塵もない。

だから、既に書き込まれた書類がインクの乾き具合に配慮してなのか、普通に見える状態で一番上に乗っかっていたりする。

機密書類であるならば、ちゃんとそれ相応の対処は出来るルシアであるが故にこの行動は本当に見られても困らないものという証である。

まぁ、元よりイオンに見られてまずいものなんていうのはまず存在しないのだが。

何より、これに関してはイオンも既知の内容である。


机の上が空いたところでタイミング良く、そこへ紅茶の注がれたカップが置かれた。

ルシアはそれを手に取って、口に運ぶ。

コクリ、一つ(のど)を鳴らして、飲み込んだ。

適正温度に適正の蒸し時間、いつしかクストディオに淹れてもらうことの方が多くなった為に頻度の減ったイオンによるそれはルシアにとって、ほっとする味であった。


クストディオ、そしてノックスの淹れるものが劣っている訳では決してない。

ないのだけれど、イオンのそれが一等、肩の力が抜けるものであるのは間違いなかった。

お陰でこうして、(なか)ば強制的に休憩を取らされてしまう。

それはそれだけ慣れ親しんだ、ということか。

幼児期の刷り込みという恐ろしい言葉が脳裏に過ったが、ルシアはそれを黙殺した。


コクリ、もう一口、ルシアはそれを流し込む。

ほっと一息を吐き、ルシアは手元のカップを見つめながら、何処か呆れと共に拗ねた心地で口を開いた。


「...ねぇ、年々丸め込むのが上手くなってない?」


「そりゃあ、お嬢も年々(かわ)したり、(もっと)もらしい理由を用意するのが上手くなってますからね。あと共犯者にしてしまうのも。それに対抗していたら、自然とこうなるもんですよ」


「あら、私のせいとでも言いたいの」


「いいえ?お嬢のお陰ですよ」


ぽつりと吐く息のようにルシアが溢したのは賞賛と言うべきか、それとも嫌味と取るべきか。

しかし、イオンはいつものやり取りとそう変わらぬその言葉に見事、同様の響きを持つ言葉を打ち返した。

ルシアはそれに咎めるような声音で言葉を重ねるが、どうやらイオンは本調子らしい、こちらも素晴らしい切り返し。

ルシアはその口の回りようにむすりと口を引き結んだ。

けれど、同時に気付かれぬ程度に胸を撫で下ろす。


「――それで、明日はどうなったんです。やっぱり、ブエンディアのご令嬢は同行すると?」


ルシアが黙り込んだからか、話題を変えるように問いかけてきたイオンにルシアもまたいつものことと切り替えて、先程、束ねた紙の束とは別のところに置いていた一枚の手紙のような封筒に入った紙を机の上から(すく)い上げた。


「ええ、それはまぁ。あの様子で今更、同行しない、とは言わないでしょう。そもそも、中途半端に関わってしまった物事を投げ出すことが出来るような性格をしていないでしょうし」


「ああ、確かに」


問いかけからやっぱり、と言うくらいに答えがほぼ分かり切っていたようなその質問へルシアはそれを把握しながらも、望み通りに安直なほど簡単な符号で結びつく答えをイオンへと説明付きで返してやった。

それにイオンは透かさず、いやに得心のいったような(うなず)きを持って、応える。

そこにほんの少しの驚きがないところを見るにやはり、ルシアの答えはイオンの予想通りであったらしい。


たった少しの間、直接話す機会など業務連絡程度。

イオンがミアに接触したのはたったそれだけ。

それなのに、イオンもミアの真っ直ぐさと純真無垢さをしっかり感じ取ったらしい。

さすがはヒロイン、裏表などないものだ。


「そういう訳だから、明日も今日と同じよ。時刻も一緒。まずはミアさんを迎えに行ってから店へ」


「で、資料の山に目を通す作業の続きですね」


「ええ」


淡々とルシアは予定を決めていく。

あまりにも手早いそれはまるで、それだけ単純な道筋であるみたいだ。

実際にイオンが続きを言い重ねられるくらいには今、出来ることとやることは決まっている。


「だからこそ、これは明日までに仕上げなくちゃ。休憩を取らせたんだもの、勿論、イオンが手伝ってくれるのでしょう?」


ぱちんと両の手を合わせて、ルシアはにっこりと微笑んだ。

準備したティーセットを片手にルシアへ休憩を促したイオンとそっくりの顔である。

そう、ルシアが今やっていたのはあの店で今日のうちに得られた分の新しい情報を既存のものと兼ね合わせて纏めていたものの作成である。

人海戦術にも等しき状態にあるとも言える現状では情報の共有は何よりも優先事項。

その為のひと手間とでも言おうか。

円滑に進める為にも後々、王子に報告することや総合的に考えるとなった時を思えば、早いうちから纏めていくことがこちらの方が断然良いと思ってのこと。


「あー、はいはい。手伝いますよ、手は多い方が良いですからね」


イオンはルシアの輝かんばかりの笑みに苦笑を浮かべながら、首肯した。

ただし、その言葉は全て棒読みである。

だが、それでもてきぱきと動く様は元々、手伝ってくれるつもりではあったのだろう天邪鬼な従者だ、とはきっと言ってしまえば、主に居たんだと言い返されるのが落ちなので、ルシアは決して口にしなかった。


カタン、と音を立てて、ティーセットを片付け終えたイオンがルシアの向かいに座る。

手に取るのはルシアが書き込み済みの紙の束。

進捗を確かめる為なのだろう。

しかし、もう片方の手は既にペンを持っていた。

まるで、すぐに作業を開始出来るように、である。

そして、それは(あなが)ち間違いではない。

優秀な頭ですぐに内容を把握したイオンはルシアに一つ二つと担当区分を大雑把に振り分けた後、さらさらと真白い紙を黒で埋め始める。


ルシアはほんの少しの間、その様子を眺めていた。

見慣れない光景では決して、ない。

イオンは従者であるが故にこうして、共に書類仕事を(こな)すことは珍しいことではないのだ。

ただ、いつもと違うのは。


「......」


ルシアは無意識に一つため息を落とした。

あまりに小さかったそれは拾えなかったのか、拾うほどでもなかったのか、イオンが指摘しなかったことで誰にも拾われずに空中で霧散した。


いつまでもそうしていても仕方がない。

まるで、そう言いたげにルシアは何も言うことなく、紙の束を引き寄せた。

そうして、先程の続きから作業を再開させる。

後はペンが紙の上を滑る音は響くだけだ。


結局、この後は二人して驚異の集中力を見せて、時たま片手間に会話を交わしながらも資料の作成が終わるまでただ只管(ひたすら)にペンを走らせたのであった。


※話が急に飛んだように思われるかもしれませんが、お手持ちの端末は正常です。

ちょっと話が前後してまして。

前後編の切り方があれなので、完全に間が飛んだ状態になっていますが後半で繋ぎ直しますので少々お待ちください。


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