559.関連資料でもある紫水晶(後編)
一部始終、老爺から聞いたあれやこれやを余さずルシアが語り終えた後、残ったのは静まり返った中に響く時計の音。
ルシアの声が消えたからか、途端にそれは耳に付く。
カチコチ、カチコチ、規則正しいその音は何処か古ぼけた印象を持たせながらも変わりなく、寸分の狂いもない。
「......」
誰も声を発さずにいるのは一番に話すべきだろうイオンが何も言わないからだろうか。
それとも、考えが纏まらない?
いや、この空気に何と言って切り出すのが正解か、分からないから口を噤むしかなく、黙っている。
果たして、それらは全部が少しずつ正解である。
厳密に言えば、上の通りの思考回路で沈黙を選んだ者も居れば、複数の考えが入り混じっての結果の者も居るし、ただ黙って行く末を見ている者も居る。
一つだけ言えるのは何も考えずに居る者は一人として居ないということ。
取り留めのない、的外れかと言うほど形にもなっていないものだとしても脳裏に思考を巡らせずに居られるほど、この場の空気は軽くない。
だが、その中で一人。
誰もが先程まで続いていた事の説明に思考を集中させているだろうその中で一人だけ。
ルシアだけが全く別のことにその頭を使っていた。
それもそのはず、一人で出来る範囲の熟考などこの場へ戻ってくるまでの遠回りで端から端までやってしまった後だったのだから。
彼らが何かを発し、考察に議論にと話が拡大していったなら、それがどんなに些細なことだろうと熟考する余地は発生したことだろう。
しかしながら、彼らはルシアが説明を聞くだけ聞いて黙り込んでしまったが為にルシアには新しい余地など何処にもなかった。
まぁ、他の者たちからすればまずは自分の考えを纏めたいだろうし、何せこの空気なので仕方がないと言えば、仕方がないのだろうけれど。
そういう訳で一人、手持ち無沙汰とまでは言わずとも他の者よりは回す必要のない思考回路を持て余していたルシア。
語り手として、この中ではイオン同様に第一声を発するべき人間と数えられていても可笑しくない立場である以上、ルシア自体はこの場を纏うこの空気をそこまで重いものとして捉えていない。
まぁ、どれだけ重かろうと場合によってはどんなに口の滑りが悪くとも先陣を切れるルシアであるが。
しかし、だからといって皆がそれぞれ考えを纏めようとしているその様子を見て、緊急事態または空気を入れ替えるべき、と判断した場合を除き、待ってやりもせずに話を進めるような大人げない真似はしない。
よって、ルシアも静かに口を噤んでいた。
静かに、静かに他の者たちの様子を窺っては話が再開されるだろう時を待っていた。
勿論、ただただ意味のない停滞をし始めたなら第一声を放つ役を買って出る所存である。
だから、今はまだ黙っているべきところ。
だが、その間をただ静かに待つだけのルシアではない。
ルシアは人間観察よろしくこの場に居る者たちの様子を窺いながら、その彼らが一体、どんなことを考えているだろうかということにそのよく回る頭を回転させていた。
今までの経験もあってか、そういった仕草や様子から心境を推測するのはそれなりに得意なルシアである。
何より、ここに居るのは長年の付き合いである故に考えそうなこともその癖も熟知しているノックスとクストディオと協力関係を結んだことで十数日という期間をほぼ丸々、共に過ごしてきて勝手知ったるメンツまでとはいかなくともある程度はお互いを知って来たニカノール、そして良くも悪くも分かりやすいミアと実直そうな女騎士。
優秀な観察眼を持つルシアが苦心するほどの者は居ない。
もし、苦心することになるとしたらこのメンツでなら、本気で隠そうと無を通した状態のクストディオくらいだろう。
――普段とあまりに違う反応を見せるイレギュラーが居ない限り。
「......」
尚も落ちる沈黙。
そろそろ、それぞれの考えに輪郭が出来てきた頃合いだろう。
まだ、待っても良い範囲。
でも、同時にそろそろミア辺りが空気に耐え切れず、眉を下げて困ったような顔をして周囲を窺い出す頃。
それでも、そこで切り出さないのはイオンが、ルシアが口火を切らないから。
しかし、ルシアはそれを切るつもりは毛頭ない。
もし、自分が次に口を開くのならそれはこの場に居る自分以外の全員が声を発した後だ、というくらいの気合いである。
そうとなれば、多少の躊躇いくらいどうってことないが、わざわざ順当でもない自分から口を開く必要もないと考えているだろうノックスたちも思えば、第一声を上げるのは必然的にただ一人。
ルシアはそれとなく、全体を見渡していた視線を一方へ、自分の目前へと向けた。
そこに居るのは当然ながら話し始める前にそこへ着席したイオンである。
真正面のすぐそこで、何なら触れられるくらいのその距離でイオンはルシアの視線を一身に受けながらも、そのアメトリンの瞳を下へと落としていた。
手の内にある、ブローチを見つめていた。
ルシアに渡されて、誰かに渡す訳にもいかず、テーブルに置くにもルシアの語る内容を思えば、いつでも確認が出来るように、とだろう手にしたままになってしまっていたのだ。
実際、裏に刻まれた老爺から聞いた話の内容も相まって意味ありげな呼称の表記にイオンはルシアの話の間、何度もそれをじっくりと手にして見ることとなった。
ゆらゆらと薄暗さの中で揺れる紫。
イオンは片手の掌に載せたそれをそのまま手遊びするように転がした。
ルシアの手では収まりこそすれ、あのように片手で支えなく動かすのは難しいだろう。
きっと取り落としてしまう。
それを実行するには宝飾品としても資料としても価値あるものであるそのブローチ。
イオンがなんてことのないようにやって退けているのは偏に少女と青年という比べるまでもなく、性差と年齢による肉体の大きさの違いからである。
ルシアの手では収まるに留まった紫水晶、それは今、イオンの掌ですっぽりと覆える程度にちょこんとして鎮座していた。
どうして、イオンにこれを渡せと言ったのだろう。
どうして、老爺はこれを持ち、纏わるものと思わしき話を語ってくれたのだろう。
答えは出ない。
それはルシアがとっくのとうに、それこそこの場に戻ってくる前に出した答えである。
同様にして、ルシアには今のイオンが何を思ってそのブローチを弄び、考えているのか、分からなかった。
その視線に浮かぶのは一体、何の感情だ。
「......あー、取り敢えず、分かりました。事情は。――それで、どうします?これについて、調べますか」
ルシアがそれを答えかはさておいて、何かを掴みかけたその時、既にただの沈黙となり替わろうとしていた空気をたった一つの声が破り霧散させた。
その声は言わずもがな、第一声を放つだろうと目した者で、然れど、緊張感をも断ち切る鋭い切れ味であるはずのそれは随分と間伸びて、鋭さの欠片がないどころか、決定権すら投げ出す始末。
気の抜ける、その言葉が一等、相応しい有り様だった。
「――そうね、まずは皆の意見を聞いて、その後、ここにある資料の中から結び付けられそうな記述を探してみるべきだと思うのだけれど」
どう思う?
イオンへ鷹揚に頷いて、いつもの調子で次の行動の提案を口にしたルシアは周囲にそれを振った。
あまりに間伸びたそれ、あまりにいつも通りのそれ、空気の重さは一体、何処へ。
主たる二人がこういった態度を取った以上はどんより重しをいつまでも持ってはいられない。
良くも悪くもルシアとイオン、内心は見えないのにその切り替えの早さにつられた他のメンツはまだ滑りが悪いものの、開くようになった口を各々、動かし、言葉を紡いだのであった。
書き切ってから気付いた。
あれ、この話あってもなくても変わらなくね?
(あんまり意味がないのにやたら長いだけの回になってしまいました)




