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552.紫水晶のブローチと夜の女王


「......洞窟と言うのは、深山にあるという洞窟のことでしょうか」


随分と間を置いてから、ルシアは静かにそう口にした。

飾らない、直接的で核心を問う内容だ。

事が事だからか、表情もただ引き締められているのではなく、何処か硬い。

それら全て、ルシアが話を逸らすでもなく、遠回しに聞き出すのでもなく、真っ向から真剣に向き合い、隠さず、本心で対峙することに他ならなかった。


普段ならば、この場面なら素知らぬ振りして、無垢というのは難しいまでも世間知らずの令嬢の振りをして、浮かんだ疑問に対して、問うように聞き出していたことだろう。

ルシアの一等、毛づやの良い猫はそれは大変、優秀なのである。

しかし、ルシアは猫に出番を設けなかった。

イオンとの会話でそれとなく仮面が外れかかっていたものの、それでも素はほとんど隠しおおせていたのにも関わらず。

きっと、一風変わったご令嬢、と言ったところで老爺の中でのルシアの印象は留まっていたはずだ。


けれども、ルシアは真っ正面から切り込んだ。

言葉こそ、丁寧。

語り口はイオンの名付けと昔話を語った時とそう変わりない。

ただ、その表情が。

取り(つくろ)うのを止めた、気温が下がったのかもと思ってしまうような冷ややかな抜け落ちた表情が、――真剣な顔が。


ここぞと言う場面でいつもルシアの見せるそれは(まと)う雰囲気すらも重さを増させる。

ルシアとしては表情に気を遣わずに直面している事柄について、集中している証である。

後は複雑なそれを即時に同時進行で脳内にて処理していることからくる深く考え込んだ時のそれ。

考察の(はかど)るような頭の使う話は何であれ、(わず)かにでも眉間に(しわ)が寄ってしまうような、険しい表情になってしまうものだ。

それだけ、きちんと取り組んでいるということでもある。


ましてや、自分たちの求めている情報に(まつ)わる内容なんて、食い付かない訳がない。

その意気込みからのその態度。

また、ルシアの知った老爺の人となりが優秀な猫を被るよりも愚直であっても直球勝負をした方が話を聞けると無意識に判断した結果だ。

ルシアは先程、その(てのひら)にある宝石を差し出すように見せられた時と同じようにじっと老爺を見据えて、返答を待つ。

はぐらかすのもそれを告げておきながら、これ以上を語らぬのも絶対に許しはしないとばかりに、人によっては耐え切れず目を逸らしてしまうだろう直線的な視線で老爺を待つ。

その双眸(そうぼう)に宿っていた青の揺らめきはより大きく、色濃くなっていた。


「...やはり、そこまで知っていたか。その様子ではあの絵と同じ、銀の竜と男の話も知っているな?」


「――ええ、その通りです」


暫し、沈黙の落ちた中で視線のかち合いだけが続いた後、老爺は確信しているかのようにひょいと片眉を跳ね上げて、呟き、ルシアに問い返す声もまた同様の響きで放たれた。

ルシアはそれにこくりと(うなず)く。

隠し立てはしない。

全てを明らかにするほどの面持ちで対話する。


「お前さんの言う通り、あの深山にあるらしい洞窟のことだ」


老爺は鷹揚に頷き、ルシアの問いに対する答えを口にした。

ルシアの躊躇(ためら)いは何だったのかというほど、するりするりと出てくる情報、会話。

皺れた顔で分かりづらいその相貌が(しか)めているように見えたのはそれだけが理由ではないはずで、今だって、その顔に違いはないのに。

一体、何を思ってなのか。

イオンなのか、その紫水晶のブローチなのか。

再トライは今でない方が良いと判断したルシアさえ、(なか)ば勢いであったとはいえ、予定変更するほどには饒舌(じょうぜつ)な老爺。


「――らしい?」


「ああ。何分、直接、足を運んだことはないもんでね」


何とも奇妙な感覚を(ぬぐ)い切れないまま、ルシアは一切を無視して、会話を進める。

首を傾げて、問うたのは老爺の言い回しで引っ掛かりを憶えた部分。

些細なことだが、それらが重要であったことなど何度もあった。

得てして、直感的に反応したものは気にするに正しい。

生き物の本能が叫んでいるのだから。

だから、ルシアは疑問に感じたことは遠慮なく、調べ、問うことにしている。


それに対して、老爺は事もなげに言葉を返した。

何の変わりようもない、誰もが予想出来るような普通の返答。

だが、今回においてはそれで済ます訳にもいかないのだ。


だって、どうやって知ることが出来たというのだ。

ルシアたちでさえ、見たことのないあの坑道の奥に続いている洞窟の存在を。

そこに居たという紫紺の竜とやらを。

当人が直に見たのでないのならば、何故?


「だが、あの洞窟に居た竜は決して、派手で明るい色ではなかったと言うのに目を惹くような一等、美しい紫紺を持っていた」


「......」


ルシアの困惑が気配にでも出ていたのだろうか。

老爺はその困惑の原因にまでは気付かなかったようだが、続けるように言葉を紡いだ。

ルシアは黙って、ゆっくり(まぶた)を開閉させる。

老爺の瞳に宿る哀愁が、懐古が一層、濃くなったのをルシアは見た。

まるで、古い記憶を思い返すようなそれ。

まるで、実体験でのことを語るような――。


それでは可笑しいというのに。

洞窟を知らないのにそこに居たという竜を知るというちぐはぐさ。

あの物語のように坑道には入らず、その外の森で出会ったのかもしれないが、それにしても不自然なことだった。

言い訳をしなければ、成立してしまう大きな矛盾。

しかしながら、老爺は訂正や弁明は(おろ)か、注釈を入れる気もないようだった。


「――まるで、夜の女王だった」


「......どうして、そのようなことをわたくしに?」


懐かしむように称える言葉で締め括る老爺は恍惚としていて、まさにその視線の先で紫紺の竜が存在しているかのようだった。

ルシアはややあって、老爺へ尋ねる。

イオンへの配達、奇しくも一対一での対峙となった現状の流れが行き着いた、とも言えるかもしれないが、それでもこの話を敢えて、ルシアにする必要はなかったはずである。

また戻ってきた(いぶか)しげな表情で険しい顔をするルシアに老爺は手の中のブローチを(もてあそ)びながら、口を開いた。


「なに、ただの気紛(きまぐ)れさね。――うちに来たということは探しておるのだろう、あの洞窟に、あの話に纏わるものを」


最後だけ、つい、と手中の宝石へ落としていた老爺の視線が上がる。

目が合った。

それを強くルシアは知覚する。

老爺の声が耳元で聞こえたかのようにはっきりと、そしてこだまする。

ルシアは咀嚼し、意味を理解する。

そして、老爺の断言の形をした問いかけに対して、ルシアが持つ選択肢は是、の一つだけ。


「――資料の一つだと思って、持っていきな」


ルシアが何かを言うよりも前に老爺はそう締め括って、顰めたような顔に似合う雰囲気に戻り、ルシアへと再度、手にしていた紫水晶のブローチを差し出したのであった。


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