53.狩猟会と囮(前編)
「ルシア、行ってくるが...」
「分かっておりますわ、カリスト様。貴方のご活躍を期待して、ここで待っております」
だから、早く行けよ。
この数日のうちに何度聞いたと思ってるんだ。
ルシアのそんな言外の声を聞き取ったのか、王子は後ろ髪を引かれながらといった風ではあるが、狩猟会の会場である森の中へと騎乗する愛馬の足を進めていく。
それに続くのはフォティアとオズバルド。
二キティウスも後ろから付いて行っていると聞いているし、森の中にはノーチェも国王直属の諜報部隊も巡回していると聞いている。
本日、ついに狩猟会当日。
ルシアはここ数日、王子たちに何度も諸注意と欠席を促す話の両方を聞かされ続けながらも、こうして離宮へとやって来ていた。
さすがにレジェス王子はこの間の騒ぎを理由に欠席とのこと。
「あら、とても仲がよろしいようで喜ばしいことですわね」
「!伯爵夫人様、御機嫌よう。ご参加なさっていたのですね」
王子を送り出して、イオンとピオと共に離宮のサロンへ戻ると声をかけられて立ち止まる。
彼女は件の伯爵の夫人だ。
対応だけは柔和に会話を紡ぐ。
「ええ、我が夫も参加していますの。さぁルシア様、こちらへいらしてデザートでもいかがかしら」
「申し訳ありません。大変魅力的なお誘いですけれど、今日はカリスト様がお戻りになられた時に一番に気の付ける場所で待つことに決めておりますの」
「まぁ。少し残念ですけれどそんな素敵なこと、お邪魔しては悪いですわね」
少し申し訳ないながらも喜色が見え隠れする声を演出してルシアは夫人の誘いを断った。
実際に王子に見える場所に、と言われていたし、出来れば気疲れする令嬢、夫人方の相手ではなく、隅で読書でもしながら考え事をしていたい。
何より、今日は襲撃の可能性が高いと睨んでいる為、無駄に気力を消耗なんてしていられないのである。
ルシアは努めて夫人の機嫌を害することのないようにサロンの端――外からは狙いづらいが、こちらからはしっかりと外が見える位置へと陣取る。
こうして周囲を見やると思いの外、令嬢や夫人が参加しており会話に花を咲かせていた。
狩猟会など、女性は何をする訳でもないというのに。
「お嬢様、こちらを」
「ありがとう、イオン」
イオンから手渡された本を開いて読書に入ったと周りに見せる。
お陰でわざわざ声をかけに人が寄ってくることもない。
「ねぇ、イオン。ここに書かれていることは本当なのかしら」
「はい、そのようです」
ルシアはイオンの返事を聞いて再び本へ目を落とす。
本を読んでいるように見えたそれは案の定、報告書が挟まれていた。
つまり、ルシアが先程、尋ねたのは本の内容ではなく、報告書の内容についてである。
そこには先日の弓矢での襲撃についての詳細が書かれていた。
あの日の実行犯は割れていない。
その後、私の射返した矢は木々の中から回収され、それには致死性は然程強くないものの、射られて血を流している状態であれば危篤もあり得るといった具合の毒が塗布されていたらしく、王子により説教を喰らうこととなった。
あの矢は犯人の身体を掠ったらしく、血が木々や矢に付着していたとのこと。
犯人が如何に毒耐性があれど、無効まではいかないだろうから少しはパフォーマンスが落ちていると思いたい。
「お嬢様、こちらはノーチェから受け取りました」
「!あら、そうなの。......へぇ」
「...ルシア様、そちらはどういった書物だったのですか?」
イオンが追加で差し出した本を開くとそこにもやはり一枚の紙が。
ルシアはさっと目を通して本を閉じ、元の本を取る。
まるでどのような本なのかを確認だけして読みかけだった本を読むことを再開したような仕草だった。
だから、ルシアのその行動を見て、不審に思う者は居ない。
唯一、挟まれていた紙の存在を見ていたピオがそれが何であったのか、と問うてくる。
「少し前にノーチェに頼んでいたものよ。有難く受け取ったと伝えなければね」
ノーチェからの返答はルシアが望んだそのものだった。
ひとまず、と満足げに笑うルシアに一人、近付く者が居た。
「恐れながら、王子妃様」
「あら、何でしょう?」
「我が主が是非とも王子妃様とご歓談をなさりたいと」
うわー、ベタなお誘い来たよ。
声をかけてきたのは何れかの家に仕えるメイドのようだった。
イオンがその怪しさ満載の誘いに不信感を表情へと浮かべ、すぐに断り文句を告げる為に一歩、前に出て口を開く。
「申し訳ございませんが、殿下からルシア様をサロンから出すなと...」
「わたくしは構いませんわ。ねぇ、案内してくださる?」
しかし、それを遮ったのは他でもないルシアであった。
実は接触してくるのを待ってましたといえば待っていた、というのがルシアの本音なのである。
王子にはとてもとーっても大目玉を食らうことを承知の上で今回はルシアは自身を囮に黒幕を誘き出せれば、と考えていた。
まぁ、サロン内で襲撃は他の令嬢や夫人も多く居る為にあり得ないし、そうなれば前回のような毒か呼び出しがかかるのは必然だ。
とはいえ、毒を摂取させるには前回のことで警戒が増している上に、それを匂わせれば、ルシアが何も口にせずとも名目は立つ。
だから、相手方が使うとすれば、ルシアを外から狙撃するか、何処かへ呼び出すというのが一番現実的だろう。
そのうちの狙撃の線を失くし、護衛の存在から難易度は上がるがルシアを呼び出す策の方を相手方が取るようにルシアはわざわざ狙いづらい位置に陣取って、よりサロン内でも襲撃確率を下げたのだから来てくれないと徒労になる。
こうして、読書を遮ってまで熱烈な招待をかけてくるのであれば期待に応えてやろうということで。
「ルシア様!」
「お嬢様!よろしいのですか、殿下は...」
「承知の上よ、少しくらい良いのではないかしら?ピオ、貴方はここに。ほら、いつカリスト様が戻っていらっしゃるか分からないでしょう?お戻りになられたら伝えに来てほしいの。イオンはわたくしと共に来なさい」
知らぬ者が見ても不自然に映らない光景。
退屈しのぎに何も考えず、王子の言いつけを破ろうとする馬鹿な王子妃。
咎める護衛たちの言葉も聞きやしない。
そう見えるでしょう、見えるでしょうとも。
ルシアはピオにしっかりと目線を向ける。
彼はあわあわとしていたが、ルシアの意思の強さを見取って、渋面を作りながらも頷いた。
よし、これで王子にも伝わった。
同じようにイオンにも視線を向ければ、こちらも分かりやすくため息を吐かれたものの、否定は飛んでこないのでルシアはそれを承諾と取る。
ピオがここに残せば、自分たちが立ち去った後で王子の帰還を待たずとも連絡に行くなり、二キティウス辺りが速攻で駆け付けてくれるだろうから、この呼び出しが完全に罠であろうが王子たちの到着までは持ってくれるとルシアは踏んでいる。
まぁ、全ては机上のこと。
そう全てが自分の思い通りに上手くはいくとは思わないが...。
だからといって、私だって易々殺されるつもりは毛頭ない。
下手に逃げ切られて怯えて過ごさねばならないくらいなら、多少の危険は飲み下してやろうじゃないか。
そう、ルシアは今から試合に臨む選手のように口端を持ち上げたのだった。




