542.紫黄の従者と店主の老爺(前編)
「可笑しいわね、......居ない」
きょろきょろと障害物が多く、決して視界が広いとは言えない店内の中央よりは奥にあたる場所でルシアは周囲を見渡しながら、そう溢した。
当然ながら、連れを全員、奥へと置いてきたルシア以外に近くに居る者は一人としてなく、この呟きを拾う者もまた居ない。
誰にも拾われることのなかったそれは放たれたまま、床に棚に陳列された品々に吸い込まれていった。
ルシアがそう溢したのは偏にここに来るまでにこうして、歩き回る理由となった男の姿を欠片とも見かけていないからである。
もうすぐで店内の半分が探し終わるというのにだ。
その中にはイオンが担当していた区域もあった。
それというのも、ルシアが真っ先にそこへ直行したからである。
居なかったけども。
「一体、何処をほっつき歩いているのかしら。もしかして、店からも出ているということはないわよね」
何の報告も伝言もなしに。
さすがにないと思うが、そうであった場合は引き返すほか、なくなるだろう。
ルシアには制限が本当に多いのである。
通りへ接する店の入口の扉をちらと開いて、外を見るメリットとその後に起こるであろう説教から始まり、主にルシアに対して重警戒化が成されるだろう周囲の目というデメリット。
どう考えても、割に合わないのでそうなった場合は何の躊躇いもなく、イオンが見当たらずとも放って、引き返すつもりのルシアである。
まぁ、その裏には大抵のことなら卒なく熟すし、大方、暗躍などしているのだろう、というイオンなら大丈夫、という信頼があってのことでもあるのだが、それをルシアが口にも態度にも出すことはないだろう。
それはそうと、イオンは一体、何処に行ったのか。
ノックスたちの証言では担当していた区域内には居たはずである。
けれども、店内に居たとしても中央よりは入口側に居ることになる現状、一体、どうしてそんな移動をしたのだろうか。
これがただの散策、延いては気紛れ、気が惹かれるままに取った行動だというのなら、イオンの足を踏み抜く所存である。
集合時間やら何やらと取り決めを口に出してした訳でもないが、イオンには絶対に何らかの攻撃を受けてもらう。
これはルシアの中で決定だった。
因みに鳩尾を殴るでも、イオンお得意の額を弾くでも、頬を張るでも背を掌で叩くでもないのは力のないルシアが一等、ダメージを負わせられるのが、それだったというだけの話。
そんな決意を固めながら、果たしてルシアは長年の最早、腐れ縁の域である己れの従者の後ろ姿を見つけた。
場所にして、入口が背後に見えるほどの位置。
店の入口と呼んで良い場所。
何なら、エントランスのように開けて所狭しとまるで迷路を区切る壁のように時には形も色すらも変えて乱雑に並ぶ商品棚が一斉に途切れたスタート地点である。
要するに探す物すらない場所である。
そこにイオンはルシアに背を向けて立っていた。
「ちょっと、イオン。ねぇ、ここには商品も何もないのだけれど?せめて、一声くらいかけなさ、い......」
全く、もう。
そういうのが最も適している態度でルシアはかつかつとこちらに向いた意外と引き締まってすらりとしている背に歩み寄った。
いつも通りの皮肉を混ぜて。
散々、言われ慣れているお小言のお返しとばかりに。
いつまで油を売るつもりかと。
どう見ても選別対象どころか、そもそも精査するべき物もない場所でまだ資料探しは終わらないのかと。
何なら、今からが本番でやることが山のように残っているのだけど、と。
笑んだ顔の言外に含められた言葉はこんなにも嫌味たっぷりである。
到底、ミアには聞かせられない。
とはいえ、ルシアは半分冗談、じゃれ合いの延長程度のもので決して、不快感を煽ろうとしてでのものではなく、実際に自身の方がよく使っている手法にイオンがその言外の言葉を額面通りに受け止めたことはない。
大袈裟に反応して、反撃することはあるけども。
これはもう、お互いにどんな言葉が言外に含まれようと自業自得である。
言外の言葉は冗談半分、話半分、真面に受け取る必要はなく、さらに裏を読んで掛け合いを楽しむが良し。
言外であるというのにこの雄弁たるや、額面も何も水面下に潜ませたそれらに額面通りに受け取ってはならないとは何とも言い得て妙だ。
お陰様で王宮での探り合いでは大変役に立っているし、連携を取る場でもその効果は抜群に発揮されている。
怪我の功名。
それはそれとして、そんな心地で良い具合に無防備な、とは言っても、きっと本当に警戒されていたなら絶対に狙うことの出来ない隙を晒すイオンの背中に軽くというには思い切りの良い音を立ててやろうと片手を浮かせたところでルシアはイオンの数歩後ろに辿り着いたところでやっと、イオンの正面で椅子に腰掛け、対峙する店主の老爺の存在とそこが入店したすぐに見た店主の特等席なのだろうあの端の一角であることに気付くのであった。
短いけど、きりが良いのでここで。




