534.ガラクタの山の中に眠る彼の絵画(後編)
――あの場所。
幻想的と言うに相応しいあの神聖な雰囲気を醸し出した何者も受け付けぬ、彼の山に存在するあの場所。
そこに行き着く過程で通る坑道が帰路を隠してしまう為にまるで、最期くらいはこの世の美しいものを、という慈悲のようにも思えてくるほどには美しい場所。
そして、これを見ればきっと人は死に際に思い出して、自ら最期の地にしたいと望むだろう場所。
その賞賛は全て、勝手な想像である。
だって、ルシアはその場所を人伝ての話でしか知らない。
空想の中にしか、その光景はない。
そもそも、知る限りでは生還者は二人だけの秘境なのだ。
この世のものとは思えない場所だった、と言った生還者の一人であるニカノールの言葉から連想したという話だった。
それでも、話に聞くだけでも、その場所の情景が浮かぶようでそれ以上に美しさ故の棘では済まされないほどの残酷さを持つことは事実である可能性が高い以上はきっとそうなのだろうとルシアは思うのだった。
その例の場所。
そして、例の一頭と一人の物語の舞台でもあった場所。
――ニカノールが今尚、僅かな手掛かりでも良いからと探す幼馴染みが消えた原因があったであろう場所。
ルシアはニカノールの断言を聞いた後、こちらを向かない藤色を眺めた。
そこにあるのは懐古か、後悔か、決心か。
そのどれであるかも分からないし、そのどれでもないかもしれない。
はたまたどれでもあるかもルシアには知れないが、そこに強く固い意志があることだけは見て取れた。
それだけを見届けたルシアはゆっくりと前へ顔を戻す。
あの場所が、そこに描かれてあった。
初めて、ルシアは目に見える形でその場所を視認した。
例え、本物ではなかったとしても。
これが、その一言がルシアの思ったことだった。
感嘆詞とも取れるそれだけが思い浮かんだことだった。
絵に描かれている場所がほとんど特徴として機能していなかったことも要因の一つではあるだろうが、ルシアは別のことに気を取られていたから。
そちらばかりに意識が取られて、認識が遅れたのである。
そして、その間に衝撃が過ぎてしまったとも言う。
だから、ルシアはある意味、冷静過ぎる目でその絵を見てしまっていた。
けれども、ニカノールにあの場所でもあると告げられて、感慨深くも感じたのであった。
「......あの」
「ああ、ミアさん。ごめんなさい、放っておいて」
「いえ、それは構いません。それだけ、大事なことなのですよね?あの、それで、そちらの絵は」
食い入るように、その他に気付けることはないのかとルシアは目を鋭く、ほう半身前に乗り出して、絵の隅から隅を見逃さぬように見ていた時である。
背後から可愛らしい声が聞こえてきて、ルシアは現実に引き戻された。
当然ながら振り向けば、ミアが居る。
ルシアたちの食い付きに間違いないとは思っても彼女自身は中途半端な事情しか知らないが故に本当に自分の案内してきたこの絵がルシアたちの探し物であったか、判断付かずに不安げに眉を下げている。
功労者であるはずの彼女をそんな心地にさせたことに悪いことをした、とルシアは思って、謝罪を口にした。
ミアはそれに首を横に振りながら、謝罪の不必要をルシアに伝えた。
そして、続けてルシアが思った通り、気になっていたのだろう答えをルシアに問うてくる。
ルシアは正面から蜂蜜を捉えて、こくりと顎を引いた。
それ即ち、同意または正解を告げる動作。
「ええ、ありがとう。私たちの探していた物に関するものだったわ。これを見つけることが出来て良かった。貴女のお陰ね」
「いえ、恐縮です......お役に立てて良かった」
「本当に貴女のお陰よ。ありがとう、ミアさん」
ルシアの言葉にミアは胸を撫で下ろしたようにふにゃ、と相好を崩した。
ほっとして、思わず出たのだろうこれこそ感嘆詞のような一言にルシアは微笑んで、重ねて礼を言う。
本心である。
少なくとも、これで手掛かりが全くない訳ではないと掴めたのだから。
「じゃあ、ニカ」
「――うん。俺はもう少し、この絵に何かないか調べるからそっちは」
「ええ、私たちで引き受けるわ」
ルシアはすっと背筋を伸ばし、凛として未だに絵に視線を固定したままのニカノールに耳は貸せるだろうとばかりに声をかける。
仕事のモードである。
相変わらず、スイッチが入れば誰よりも逞しく、行動派。
そして、ニカノールはニカノールで完全に毒され切ったらしい。
名前を呼ばれただけで背後で姿すら見えていないルシアの意図を読み取り、瞬時に役割分担を提案出来るようになっている。
自分にとっても利のあることとはいえ、使われることに一切抵抗がなくなっているのは完璧な従者のようで頼もしいけれども、あくまで協力関係にある一般人であることを考えれば、何とも世知辛いものである。
そんなしょっぱい気持ちを幾分か抱えながらもルシアは噯にも出さずにニカノールの出した提案だけに頷きを返した。
私情は後。
徹底したルシアのスタンスである。
そうして、ルシアはもう用はないとばかりにニカノールから視線を外して、振り返る。
見るは自分よりも後ろ。
映るは呆け顔のミア、やや困惑気味の女騎士、既に内容の予想がついているだろうが自身の主からの指示を待つ己れの護衛三名。
「イオン、クスト、ノックス。この絵の他に関連する資料、書じゃなくても良いわ。探してちょうだい」
ルシアは端的にそう命じれば、御意、という異口同音が上がる。
それと同時に彼らは勝手知ったるとばかりに初来店の店の中を各方向に散っていく。
それを見届けるまでもなく、ルシアはミアたちに一言言いおいて、自身もまた棚の隙間へ踊り出たのであった。




