524.花の少女と次の旅、へ...?(前編)
「お嬢様...!今の今まで一体、何処におられたのですか!?ご心配致しました...!!」
「...心配をかけてごめんなさい、街をもう少し見てみたかったの。でも、何も言わないで一人で出歩くのはいけないことよね。もうしないわ」
街の中央にほど近くそれなりに値の張る宿の一つの前で狼狽えた様子で詰め寄って、目尻に涙を滲ませて縋り付く落ち着いた色の服を身に着けた大体、三十路ほどの女性の声は一層、響き渡るようだった。
その向かいでその女性に両手を取られた紺色の髪の愛らしい少女が宥めるように穏やかな声で、それでいて何処かしょんぼりとした色を表情にも乗せているのは自分の非を自覚しているからか。
「......お嬢」
「皆まで言う必要はないわよ、イオン」
「令嬢たるものそう易々と出歩くのはいけないこと...」
「言う必要はない、って言ったわよね?」
そして、これはその女性と少女のやり取りを少し離れた位置から聞いていた銀色の髪を持つ少女とその一行のうちの一人である紫と黄色の混じる瞳をした青年の会話である。
一方は苦虫を嚙み潰したような顔、もう一方は片眉をひょいと持ち上げて、挑発的とも取れる顔をしていた。
最初に青年――イオンが静かに自身を示すそれを音に出して呼んだ時、銀髪の少女――ルシアは嫌な予感を感じ取り、先制したのだ。
しかし、その程度で止まるならば今までのからかいからかわれ、まるで悪友のような気の置けない応酬を続けられてはいない。
伊達に皮肉を言い合っては来ていないのである。
その分、余計な一言も多ければ、口が緩くなるのも道理。
結果、意図してかそれともそのまま口から滑り落ちたのか、ルシアの先制など何の効力も発揮せずにイオンはするりと続きの言葉を宣り、ルシアがイオンを低い声でぎろりと睨み付けることとなったのであった。
とはいえ、このやり取りさえも日常茶飯事であることも事実でルシアは一つ息を吐いた後、顔を緩めた。
ほんの少し、ばつが悪いような苦い表情を残しているのは自覚しているが故のご愛嬌。
「はいはい。どうせ、私は普通の令嬢ではないから」
「拗ねないでくださいよ、それがお嬢の良いところでもあるでしょ」
すっとあしらうような口調で投げやりに言ったルシアにイオンは宥めるように言葉を付け足す。
嘘を言っている訳ではない。
ルシアのそれは令嬢としては少し歓迎はされないだろうが、それがあったからこそ今までの結果を掴み取ってきたというのも違いようのない事実であると認識しているからだ。
だから、イオンは本心から漏れ出た微笑を口端に浮かべて、ぽんぽんとルシアの頭を撫でた。
その手付きはとても優しく、普段はそう歳の差、と言ってもそもそもどのくらい空いているのかは分からないがそれはともあれ、その差異というものを感じさせないやり取りをしている相手だとは到底、思えないものだった。
そう、イオンは時々、酷く大人びていて、ルシアはイオンが自分よりずっと年上なのだ、と実感する。
「何だか、含みがあるようにも思うけど...良いわ。それで、ニカ。この後のことなのだけれど」
ルシアはそれが何だかむず痒くて、つんと顔を別方向へと逸らした。
そうして、さっさとこの空気を流すべく、そしてイオンがこれ以上、何かを言う前にとニカノールの方へ向き直って、目下の目的へと話を進めようとしたその時であった。
「あ、あの...!!」
背後から可憐ながらも頑張って張り上げたと分かる健気な声で呼びかけられたのは。
ルシアは振り返る。
そこに居たのは先程まで少し離れた位置で一回り以上は上であろう女性と話をしていた紺色の髪の少女――ミアである。
そのすぐ後ろには控えるようにミアに縋り泣き付いていたあの女性が立っていた。
きっと、ミアが言っていた共に街に出ていた侍女なのだろう、と最初にミアをこの宿に届けた時に入口でおろおろと誰かを探すように必死に周囲を見渡していた女性のことをルシアは判断していたが、この様子ではそう間違いではなかったようだ。
すっと視線を向ければ、侍女の女性と目が合う。
すると、侍女の女性は零れんばかりに目を見開いた。
驚愕、この言葉ほど相応しいものはないだろうという顔だった。
そして、ルシアはこの顔をされる理由に心当たりがありまくる。
「まぁ、なんてこと――」
「ミリアム、それ以上は言っては駄目よ」
思わず口走りそうになった己れの侍女に透かさず、口止めしたのは他でもないミアであった。
そこに先程までのたじろいだ様子は一つもなく、まるで自身の侍女の無礼を止める模範的な令嬢そのもの。
素晴らしく流麗、今にも匂い立つほどの気品をほのかに覗かせたミアがそこに居た。
初めて見るミアのその姿勢にルシアは内心、目を丸くする。
勿論、素晴らしい淑女であるだろうとは知っていた。
だって、彼女はヒロインである。
そうでなくとも、タクリードへ出立する直前に鉢合わせた彼女の取った行動は貴族令嬢として完璧なものであった。
しかし、些か気が弱そうに見えたのも事実。
それがどうだろう。
毅然とした物言いもやれば、出来るらしい。
「あ、申し訳ありません。こちらからお声をかけたというのにお持たせをしてしまいました」
「――いいえ、良いのよ。それより、どうしたの?まだ何かあったかしら...」
「いえ、そんな。ルシアさんが気に病まれることは何もありません。ただ、無理を承知でお願いを、と」
ルシアが変なところで感心しているうちにミアは普段、見せない姿を見せたことに気付いたのだろう、途端にそれまでと変わらぬ恥じらう花の如く、しゅんと眉を下げて、頭を下げた。
ルシアはすぐに首を横に振って、受け流す。
このままでは話が進まないので顔を上げさせて、こちらから問い返せば、ミアは謙遜を交えながらもはっきりと提言したい旨を口にしたのだった。
「お願い?」
「はい、差し出がましいと存じてはおります。ですが」
ルシアは首を傾げる。
ルシアによって反芻されたそれにミアは深く頷きながら、尚も望むように言葉を重ねた。
...何だろうか?
これと言って、ミアを巻き込むような何かがあった訳ではないので見当が付かないルシアはええ、構わないけれど、とミアの提案を聞く態勢に入った。
何であれ、聞かねば何なのかも分からないのだ。
それを良しと言うのも否と言うのも聞いてからでも出来ること。
ルシアはそもそも発言することに対して、場所が場所でなければそこまで厳しく咎めたりなどしない。
「ありがとうございます。――あの、ルシアさんたちは絵を見にあの店へ行かれるのですよね」
「ええ、まだ時間に余裕があるからニカの都合が悪くなければ今からでも」
「あ、俺は全然、今からでも大丈夫だけど」
まるで確認のように問われるそれに少しずつ先が見えてきそうな感覚に襲われながら、ルシアは素直にこの後の予定を告げる。
次にニカノールが声を上げたことで決定事項となったそれをルシアが素直に答えたのは既にミアには知られていること、彼女が協力してからこその結果である以上は答えるべきだと判断したからである。
「――そう、ですか」
「ミア、さん?...あの絵のことについてはとても助かったわ。もう一度、礼を言うわね。ありがとう。貴女のお陰で今から見に行けるのよ。地図も出来たのだから、後は大丈夫。ミアさんは気になさらないで」
「ルシアさん」
そうしたルシアから聞き出した予定にミアはたったそれだけをぽつりと呟くだけであった。
いつも可愛らしい笑みが特徴的な彼女が浮かべるには少々、異質のそれにルシアは調子を狂わされるような心持ちになりながらも何とか場を繋げようと無意識に思ってしまったのか、口角を持ち上げて微笑み、言葉を紡いだ。
しかし、これを止めたのは大変、珍しいことにミアであった。
ルシアは目を瞬かせて、ミアに視線を合わせる。
身長はルシアの方が幾分、高い。
ルシアの瞳にとろりとした金色が映る。
ルシアが咎めることをしなかったからか、ミアは意を決したような面持ちで再度、口を開き――。
「宜しければ、私も同行させてくださいませんか...!」
彼女はそれはもう、懸命な姿がより可愛らしいそんな声音でそう言い放ったのであった。




