517.本を探して(前編)
空は快晴、散策日和。
燦々と照らす陽光は活気付いた街をより一層、明るく見せる。
しかし、決して暑くはない温度もまた、出歩くには持ってこい。
そんな中、今から街へ繰り出そうとしているような恰好で宿から出てきた男女は見事に正反対の表情を浮かべていた。
「よし。じゃあ、予定通りに」
落ち着いた、けれども質は良いワンピースに身を包んだ少女――ルシアは憂いなどない真っ直ぐ前を向いたにこやかな笑みを満面に浮かべ、日除けに被った帽子のつばをひょいと持ち上げて、視界を広げ、隣を見上げて、そう言った。
快晴の青空、眩しくも晴れやか、生に溢れた活気の賑わい、それらが途轍もなく似合う鮮やかな笑みと声音だった。
「......ああ」
対して、ルシアの視線の先に居た青年――王子は苦虫を嚙み潰したようとまではいかないが何とも不服そうな顔で引き結んだ口を開いて、物凄く気乗りしない声音で頷いていた。
晴れやかな青空よりもどんよりとした曇り空の方が本来、似合うその表情がそれでもこの場で浮いていないのは偏にその美貌が原因である。
「そう簡単にいくとは思ってはいないけれど、こちらはこちらで頑張るから。カリスト、そちらはよろしくね」
「......ああ」
だが、ルシアは王子の機嫌が悪いだろうこともその美貌に関しても一切、触れずににこやかなまま、そう続けた。
またも王子は苦い顔で渋々、絞り出した声で同意を口にしたのだった。
それもこれも既に散々、言い争うかの如く、意見をぶつけ合った末に決まった事柄であったからである。
もとい、ルシアが正論で押し切ったとも、王子も王子で頑なに却下し続けたものの、ルシアのその上をいく頑固さに折れたとも言う。
さて、どうしてこんなことになっているのか。
まずはルシアがまる一日、クストディオと共に宿に篭り、その間に街へ情報収取に出ていた王子が帰還し、身支度を終え、関係者各位が全員が集い、始まった情報交換会という名の作戦会議が行われたその時まで遡る。
ルシアは彼らから聞けるだけの情報を聞いた。
そして、その日、その部屋で密かにやっていたことと同じようにそれらを纏めて、情報整理を行った。
そうして、分かったのはやはり些細なことばかりでこれと言って有力と言えるものはなかったということだった。
纏めて、繋げ、予測し、出来得る限り信憑性のある確率の高い情報の精度を増したというのに、である。
前途多難、まさにこれ。
そんな進むに進まない会議の中、ルシアが出した結論はやっぱり例の本が必要ということだった。
勿論、それがあったところで全てがどうにかなるとはルシアも思っていない。
無駄足になる可能性は今も常時高くて、悪戯に時間を消費するだけの不毛なことをしようとしている可能性もルシアには見えていた。
室内で会議に参加している他の皆と同様に。
しかし、このままでも無駄に時間を消費するというのも変わりなく。
そして、他の皆には見えない視点でルシアだけが脳裏の端に信じ難いものの、完全には一蹴出来ない疑念を抱えていたのもまた、こうした結論に至ったという経緯であった。
ルシアだけがその疑念を払うことが出来るなら、それならそれで収穫だ、という捉え方をしていた。
現状は変わりなくとも、プラスにはならなくとも、相対的に見た時にマイナスを、他の正解ではない選択肢を消せるのであれば、それはプラスであるとルシアは考える。
何事も得てして、そんなもの。
何より、正答らしい正答がない今、グレーゾーンを潰しておくのも大事なこと。
それで正答だったなら儲けもの、ただそれだけだ。
やって損がないなら、やってみるのも一つの手である。
それは今までのルシアの行動を見ていれば、自ずと分かる必然だった。
そんなルシアの懸念。
それは本当に些細でそれそのものが今回の件に関しているのかと言われれば、ちょっと違うと言えるだろうし、ルシアもルシアで出来れば正答であって欲しくない事柄であった。
だって、それはあんなにも縛られはしまいと酷く似通っただけの別物と言い続け、ここは現実であると認識してきたルシアの見解を壊してしまいかねないからである。
ルシアの懸念。
それはゲームなどでよくある特定のアイテムがなければ、次に進めないという非常によくあるシナリオの造りであった。
そして、それはここがそのまま作中の中だと言っているようなものだった。
勿論、ルシアは色々なことを変えてきた。
結果、ここでもずれが起きている。
だけど、変わってないことがあるのも変えても大筋は同じところを辿っているのも否定出来ない事実な訳で。
そう、これは別に今回に限った話ではない。
本当はずっとルシアの中にあった懸念。
そして、ずっと否定的に振り払ってきた事柄。
ルシアが作中では、と似通った、と言い続けてきたこの世界のこと。
それがその本が見つかって、大した内容でもないのに現状が前へと進み始めてしまったら。
良いことだ。
現状が行き詰っているのだから喜ばしいことのはずだ。
だけども、そうなった時、自分は今まで前提としておいてきたここが現実である、という認識を保ったままで居られるのだろうか、ともルシアは考えてしまった。
偶然、内容とは関係ないところで別のヒントを得た結果の前進。
そう考えることも出来るだろうし、それが事実かもしれない。
けれども、もし。
一度、その疑念を明確に認識してしまったらもう。
ルシアはその時になって、己れの身の内から本当に?という囁きを聞く、そんな姿をいやにはっきりと幻視した。
ひやり、と背筋が寒い。
これはルシアにとって悪魔の証明へと一歩近付くことに他ならなかった。
疑念を疑念のままにしておかないこと、それは選択肢を減らすことであり、正答へ近付くこと。
例え、その正答が望まぬ答えで知らない方が幸せであったとしても。
「......」
ルシアはその時のことを思い出して、黙り込んだ。
今になっても、行動そのもので得る今件の収束よりも付随するそれらの証明足りえる事項が恐ろしい。
けれども、本当にそうであったなら手詰まりであり、結局のところ、虱潰しの末にそこに辿り着いてしまうだろうことも明白だった。
遅いか、早いかの話。
ルシアは自身にそう言い聞かせて、挑むことにしたのである。
そこからの会議は如何に説明出来ない部分を避けて、事の重要性を語り、実行出来るように王子たちを説得するか、ルシアの手腕の問題だった。
彼の本は既に探しているものの、一向に良い報せがないままになっているものである。
ニカノールが追い返されたからと単身、忍び込んできたセルゲイの家にもそれはなかった。
確実に辿れるはず場所すらも既に失敗と終わった今、これがどれだけ困難なことか、ルシアだけでなく、王子たちも分かっていた。
そして、何よりの問題はその本に対しての認識の違いである。
ルシアにとっては重要なキーアイテムの可能性がある本は他の人にとってはもしかしたら参考になるかもしれない資料の一つである。
今までの傾向でルシアの発言への信憑性は高いものの、今回、ルシアがそれをどうしても手に入れたい理由というものが完全に前世の知識によるものであり、現実的な確固たる理由付けが出来ない以上、ルシアはそこを省いての説得にかかるしか方法はなかった。
当然、ルシアが抜いている言外の存在に気付かない王子ではない。
だけども、ルシアはそれを語らない。
語れない。
結果として、今までのルシアの意味の分からない発言も行動もそう至った根幹を語らないことも須らく前進になってきたことを鑑みて、例の本探しが決行されることになったのだった。
区切りが悪くなりました。




