500.まずは一歩、竜玉へ
「――あれが?」
ただ前を見据えてそう発したルシアに振り返らない首肯が返される。
それはルシアが指を差すまでもなく、ルシアの視線を追うまでもなく、それが示しただろうものは前方に映る光景において、たった一つであっただろうからだ。
それは一見、ただの壁のようだった。
山の中、突然現れた岩盤の絶壁。
まるで、その地点から何かに切り取られたかのような、垂直の壁。
もし、ルシアたちがその上から見下ろしていたならば、それはとてもではないが端には近づきたくはないだろう立派な崖であっただろう。
そんな、木々の隙間から待ち構えていたかのように見える土色をルシアたちは下から見上げる形で行き着いたのである。
「......」
ルシアは近付くにつれて視認出来たそれ以上の先に進むことを拒む幅広い絶壁を、そしてある程度、近付いたからこそ見えてきたその絶壁の根元、ルシアたちの丁度、正面にあたる位置の一点の墨を睨むように見つめた。
だって、それはニカノールが首肯した通り間違いなく――。
「......ああ、ここだ。この坑道だ」
やがて、ルシアたちはその絶壁の真下に辿り着いた。
自然、それ以上は進むことが出来ずにルシアたちは足を止めた。
そこは少し開けていて、目の前の垂直が左右へ流れ、円を作るように自分たちの居るこの場所を途切れなく囲んでいることが分かる。
つまりは道はルシアたちの来たもの一つ。
あとは正面のそれ。
その時だった。
この道を発見してからここに至るまでずっとやや覚束ない足取りで、けれども先頭を譲ることのなかったニカノールが呆然とそう溢したのは。
誰かに聞かせるというよりもつい零れた、若しくは自分に言い聞かせるような声音にルシアは少しだけニカノールの方へ視線を向けた。
盗み見するような形を取ったのはニカノールの心境を慮ってだった。
あまりじろじろとは見られたくないだろう、と。
だが、ルシアは一瞬、息を呑んだ。
それは横目に見た藤の色が何処までも透明であったから。
「ニカノール」
ふいに背後から降って来た王子のものであるその声にルシアは隙を突かれたこともあって、跳ね上がりそうになる心臓を抑えながら、不自然にならないように振り返った。
その際にちらりと盗み見ていたことがバレていないかとニカノールに視線を送る。
しかし、ニカノールはルシアには一瞥もくれずに緩慢な動きでその細い身体を捩って、かけられた声にやっと顔を向けた。
何だ、と言いたげであるような、ただ虚空を見つめるような向こう側が透けてしまいそうな薄い藤の花弁の瞳があと数刻もすれば頭上に現れるであろう夜の空の瞳とかち合う。
「ここが例の入口で間違いないな?」
「......うん、実際に見たらはっきりした。ここだよ。ここが例の出ることの出来ない坑道」
静かに風すらも揺らさないような王子の問いかけに藤色が少しだけ色を濃くする。
そして、ほんの少しだけそれを細めて、ニカノールはゆるりと笑った。
それを見届けたルシアはもう一度、正面に向き直る。
じっくりと、隈なく、観察するように。
けれど、そこにあるのは見るだけではただただ何の変哲もない坑道の入口。
場所がここでなければ、裏通りへと通じるあの惑わしの小道の方がよっぽど雰囲気があったくらいには。
そんなルシアの横でまぁ、そもそも立ち入り禁止のこの山にこんな場所が幾つもあるなんてたまったもんじゃないけどね、とニカノールが続けた。
確かにそうである。
行きはよいよい、帰りは...なんて、故事でも何でもなく、実現するならたまったもんじゃない。
だから、ルシアは用心を重ねて、何かの拍子にその入口へと踏み込まないだけの距離は取っていた。
「...ルシア、どうする?」
観察続けながら思案するように尋ねたのはいつの間にか、横に並んで立っていた王子であった。
ルシアは墨のように真っ黒な暗闇の満ちた坑道に目を出来る限り凝らしながら、んー、と唸る。
「――取り敢えずは簡易的な地図を作って、......あ、そうそう、途中で付けてきた目印も記載して、ある程度の形に出来たなら周囲を少し探索して、今日はもう宿へ戻りましょうか」
本格的な地図の作成も情報の整理もそちらの方がずっとやりやすい。
何より、もう自分たちの横顔を染めるのは橙色だとルシアは視線だけで指し示す。
そんな風に感情ではなく、冷静にルシアは自分なりの最適解を王子に示したのだった。
「そうだな。ニカノール、良いか」
「...うん。まずは一つってことで」
王子はニカノールにも了承を取り、方針を決める三人の意見が一致したことでルシアたちは日暮れの早さを鑑みて、急ピッチで地理情報の整理を行うのであった。
正直、書いてて何が何だか分からなくなった作者です(土下座)
短くてごめんね(大幅な修正あるかも)




