499.彼の坑道、ノスタルジア
「さすがに元々は整備された道だったと言ってもこう時を経ていたら山道とそう変わらないわよね」
僅かばかりの名残だけが道だと示す荒れた道を伸びた草木を搔き分けて進みながら、ルシアは前を見つめる。
ガサガサ、と立つ音は複数に重なって、殊の外、賑やかだった。
「まぁ、多少は楽だけれど」
道は確かに比較的緩やかな坂であった。
だが、そういう微妙な登り坂は思った以上に体力を奪うもの。
ルシアはやや鈍くなった足を、それでもしっかりとした歩みで踏み出しながら、少しだけ荒くなった息交じりにそう訥々と唇からそんな言葉を溢していたのは現在の状況こそが全てだった。
幸い、変わらず草木は生い茂って避けては通れないとは言えども、全くの道なき道を進んだここまでの経路と比べるまでもなく、それらはずっと大人しく、先程は地味に体力を奪うと言ったものの、緩やかな坂もしっかりと踏み締めなければならないような勾配の坂や表面が崩れる不安定な足場、平らというものが一つもなかった正真正銘の山道よりかはずっと楽であったのも事実である。
だから、ルシアは疲労を覚えながらも未だ自らの足で目的地へと進んでいた。
元来、ルシアに王子たちほどの体力はないのは知っての通り。
確かにそこらの令嬢よりも令嬢然とした容姿にそれらしい振る舞いを身に着けている割にお忍びではそこまで違和感を覚えられないほどにはそうでない振る舞いも見た目以上の体力も有してはいるものの、やっぱり、令嬢で妙齢の少女であることには変わりないので。
いくら、普段から戦場やら何やらと駆け回っているとしても、さすがに鍛えている男性とはそもそも並べるのが根本的に間違っている、というのが常日頃からのルシア再三の言だ。
「少年の貴方は随分と歩いたのね」
「...ああ、うん。でも、もう少しだよ。もう少ししたら見えてくる、と思う。記憶が正しければ。着いたら、休憩しようか。いける?」
「当然」
ただし、ルシアはかなりの頑固者でもある。
こうと決めたら頑として譲らない、そんな豪胆さは例え、疲労を感じていようと足を止めないほどの活力を見せるというのもルシアである。
だから、ルシアは独り言ちた問いかけであって問いかけでなかった感嘆詞に律儀に返答したニカノールの言葉に自信に溢れたような挑むような笑みを返したのであった。
ルシアはあくせくと足を動かしながら前を見た。
ルシアが歩くのは一行の中央よりやや後方である。
少し前に王子が居て、ここ最近はずっとそうであったようにやっぱり先頭を行くのはニカノールであった。
その背はやはり、変わりない。
変わりはないけれど、ルシアには郷愁のようなものがあるように思えてならなかった。
事実、ニカノールはルシアたちの会話に受け答えはしても前を向くばかりで藤の瞳はひた、と何かに据えられていた。
それはこの人工の道だったものを見つけてからは顕著でルシアはそれがこの道の上を歩いて暫く経っても未だ見えぬ坑道へと伸ばされているのだろう、と直感的に気付いていたのだった。
だが、そのニカノールの視線が語らぬ確かな目的に突き進むルシアのそれを酷く類似しているのだということは当の本人ばかりが気付いていない。
「帰れない坑道......出来れば、しっかりと様子を確認したいけれど」
まぁ、難しいだろうな、と思い馳せながらもルシアは呟く。
入ったら出れない坑道。
それはどの時点からなのか。
入口が見えている範囲であれば、範疇外だろうか。
それとも、入口を一歩でも踏み入れてしまえば、既にそこは適用内だろうか。
さすがにこれを実地で確かめる訳にもいかない以上はきっと本当に場所を確認するだけで今回は終わることだろう。
結局、肝心なところは碌な対策を思いつかないまま。
これは難航しそうだ、とルシアは先へと思考を飛ばしていた。
だからだろう。
元々、体力はそこそこ削られていた。
そして、そこに普段でも周囲が疎かになる考え事。
それはもう、見事にルシアは足元を這う木の根に足を取られた。
「っ!?」
咄嗟のことで声は喉の奥に呑まれて出なかった。
ルシアは何とか態勢を整え直す為にほとんど反射で手を伸ばして、バランスを取ろうと、若しくは何かに捕まろうとした。
だが、そのどちらかをルシアが果たす前にルシアの細腕は掬い上げられた。
急に止まった落下にガクンと身体へ抵抗がかかる直前、これまた腰に手が添えられる。
全てが絶妙なタイミングで行われたそれに転んだ時の打ち身の痛みは疎か、一切の衝撃すら感じられなかったことにルシアはぱちくりと目を瞬かせた。
そうして、ルシアは一瞬、動きを止めた思考回路をゆるりと稼働させると共に斜め上を見上げた。
そこにあるのはとても見慣れた稀に見る美しい顔。
そこはかとなく、じとっとした呆れが乗せられているそれはルシアに一番、馴染みのある王子のもの。
どうやら、一歩前を行っていたのにも関わらず、ルシアが傾いだのを察知して支えてくれたようだった。
「――ありがとう、カリスト。お陰で転ばずに済んだわ」
至近距離にある紺青にルシアは何だか久しい気分になりつつ、ふ、と笑んで向き合いながら王子に礼を告げた。
少し開けられた距離に先程よりもしっかりと王子の顔がルシアの視界に収まる。
「君はもう少し気を付けてくれ。もう抱えていくにするか?」
「あら、大丈夫よ。少し考え事をしていただけだから。それももう、ある程度の整理は着いたわ」
いつものお小言だ。
ルシアは慣れたように飄々と笑って、説教から逃げるようにするりと前に出た。
ルシアと王子、二人の立ち位置が入れ替わる。
緩やかな坂は二人の身長差を埋めはしない。
だから、ルシアは王子を見上げながらも気遣い無用とばかりに王子の過保護を却下する。
「あ、...」
何、という訳でもないが立ち止まった状態で対面していたルシアと王子は前方から思わず漏れたとでも言うような声を聞いて、そちらに意識を向け直した。
そして一度、顔を見合わせてから共に声の主であるニカノールに近づいていく。
ルシアは少しばかり大きめの枝を押し退けたニカノールの腕の下から、王子はその肩越しから正面を見る。
一面の緑の海、その先に――。
崖のように聳える岩壁の土色とそこの中心にぽっかりと口を開けた黒の一点を、今回の目的地をルシアたちはついに見つけたのであった。
勘の良い方はそろそろ勘付いているんじゃないかな~




