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494.深山ともう一つの山の話


「......エクラファーンの山もこんな感じだったかしら?」


青々と草木が何処までも生い茂り、最早、一度でも迷えば戻って来れない樹海のような大自然を前にルシアが放ったのはそんな言葉であった。

――何故、そのような場所に今、ルシアたちが立っているのか。

それはあの作戦会議の最後に(らち)が明かないからと全てをすっ飛ばして行動に移すのみ、とルシアが説いたからだった。


そう、ここは深山の入口にあたる場所。

あの後、ルシアの言葉に呆れながらも一理あると人並み以上に賢い頭脳と今までの経験で即座に思考回路を切り替えた王子たちによってあれよあれよという間に予定が組まれ、そうして翌日にはニカノールの記憶を頼りにまたもいとも容易(たやす)く惑わしの小道を抜け、さらに裏通りまでを超えて、ここまで足を運んできたのである。

勿論、その間にも密偵たちには情報収集を任せてある。

だから、ここにノーチェやニキティウスの姿はない。

敢えて言うなら、これは密偵たちの集める情報が手元に来るまでのタイムラグを使った時間の有効活用。

そう考えるルシアは何処までも効率主義であった。

あまりにも速やかに行われたこれらの行動にニカノールが目を回したのは言うまでもない。


ルシアはもう一度、周囲を見渡す。

至るところで何もかもが伸び放題、まさに手付かずの山だ。

その程度は道らしい道もなく、ニカノールにここが入口と言われて、やっと理解したほど。

だからこそ、ルシアのこの場所こそは初めてだが、その目の前に広がる光景は初めてではないと言いたげな発言にニカノールは目を()いた。


「え、エクラファーンの山?ここと同じような?......ねぇ、どうして、そんなこと知ってるのかな」


「それは勿論、行ったことがあるからでしょう」


「いや、何があればそんなところに行くようなことになるの」


思わず、聞かずには居られなかったという風に(まく)し立てたニカノールにルシアは至極真っ当なことを言っていると言わんばかりにぴしゃり、と答える。

この世界に写真の技術はない。

つまり、何かを知るのに用いられる方法は言葉か、絵か、自ら(おもむ)くか。

それを踏まえて、書類や本の言葉だけでは先程のルシアのように景色を実際に見たかのような発言は出ない。

絵であれば、もう少し情景を浮かべることも出来るが、そもそもこんな鬱蒼とした何もない山を描く奇特な者などそう居ないだろう。


何より、ルシアの言葉は実感を(ともな)ったもののような響きを持っていた。

当然だ、ルシアはこの場所と類似するそこへ実際に行ったことがあったのだから。

ルシアの言葉だけではなく、その響きも感じ取ったらしいニカノールはまたも困惑を浮かべたまま、問い返す。

ルシアはその様子に宥めるでも憤慨するでもなく、思案するように宙を仰いだ。

その間に視界の端に入った苦笑を浮かべる一部の者たちに関してはまた後で覚悟してもらうけども。


ルシアは視界に映る大自然を眺める。

しかし、ルシアが思い浮かべて懐かしむように見ているのはこことよく似た別の場所だった。

ただ少しだけ、ここよりは分かりやすかった入口は多分きっと、大自然の秘境でありながら、人の住む場所へと繋がっていたから。

安定しない足場、ややきつい勾配の坂というのは見た目以上に体力を消費する。

その途中で起こった地割れ、足元が崩れて裂け目が広がり、崖が彼らと自分を(へだ)てた。

洞窟の中での雨宿り。

彼の聖職者があの場で何を語ったか、それはルシアだけの知る話。


――そう、あれは治癒魔法に長けた一族を訪ねていった時間軸で言えば、本編の初期。

ルシアがまだ、本編そのものに関わることなく、暗躍していた頃のこと。

今に至るまでの怒涛の日々は既にそれを懐かしいものとしてルシアに想起させる。

自然とルシアは口元に淡く笑みを浮かべていた。

その笑みが示すのは大変だったけれど、自分自身で掴み取ってきた現在に対しての確固たる自信。

全てが上手くいったとは言えないし、まだ途中だけれど。


「成り行き......いえ、目的がそこにあったからかしら?山頂付近に用事があってね」


幾つもの懐古の末に言葉が(まと)まったらしいルシアはそう紡ぐ。

元より、清廉な空気を持った場所。

住人も決して多くなくとも人里である故の温もりと気配を持った場所。

今は誰も居ない険しい山奥の隠れ里。

真白の墓石の群れ、その背で空白全てを埋め尽くすのは息を呑むような広大な青の世界。

誰も居ないが、定期的に彼らのうちの若衆が清掃をしに行くのだそう。


「...山頂?え、登った?ただ、行ったんじゃなく、登ったの?この深山と同等の山を?」


「ええ、まぁ」


ルシアの言葉に含まれた感情に言葉こそはほとんど説明になっていなかったそれをニカノールは根拠もあったものではないが感化されたように何だか納得させられた心地で呑み込もうとしたのだろう。

へぇ、と感嘆にも似た息を吐きかけて、唐突にその言葉が指す意味を理解してはた、と押し留まり、信じられないというより最早、信じたくないといった呆然とした様子で言葉をぽろぽろと溢した。

ルシアは自身でも馴染みのあるそれを思考の整理の際に零れ出た誰に問うでもないものだと理解した上で律儀に(うなず)いたのはこの場で自分がその解を答えるのに一番、適しているからである。


「......俺も初耳だ」


「あら、ちゃんと一部始終を話したし、報告書だって書かされたの忘れていないのだけれど?」


(いま)だに混乱を極めるニカノールの代わりに声を上げたのはなんと王子であった。

ルシアはニカノールから視線を外して、王子を見上げる。

そこに浮かぶのは少々、機嫌を損ねたといったようなムッとした表情。


それはそうだろう。

ルシアはそれこそ、その山登りの後に合流した王子によってそれらの事柄を根掘り葉掘りとしつこいぐらいに聞き出された挙句、書面にしてまで伝えたのである。

まぁ、それはその件に関してだけではないけれど。

何だかんだ言って、今までにルシア手ずから書いた報告書の枚数は数知れない。

けれど、本格的にそれを(なか)ば義務化させられたのはあの時からだった気がする。

なのに、王子は初耳と言ったのだ。

それはあの時を含めて今までの報告書に(まつ)わる苦労に苦い思いをしてきたルシアが拗ねるのも当然だった。


そもそもがルシアの無茶を抑制する為に自分が傍に居ない間の状況把握とそれそのものが抑止力になるように王子が仕向けた結果のそれなのだが、当の本人だけが棚に上げて気付いていない。

王子はルシアの様子を見て、すぐにああ、と首肯し、それは覚えている、と言った。

そうして、ルシアが怪訝な顔で矛盾した二つの言葉の意味を尋ね返す前に口を開く。


「確かに話は詳細に聞いたし、報告書も読んだ。だが、ここまで険しい山だったとは聞いていない」


「それは...」


確かにそれは言っていない。

ちらりと向けられた紺青にルシアはさっと目を逸らした。

王子は例の件の後にエクラファーンを訪れているが、その山には近づいていない為にどのくらいのものか知らなかった。

それを利用して、あまり山の様子は語らなかったのだが、ここに来てぽろりと溢した言葉によって過去の隠蔽が露呈してしまったらしかった。

どうやら当時、ルシアに同行していたノーチェも里でのことが色濃かったのだろう、途中の地割れなどについては報告していたがその山の険しさまできちんと説明し切れていなかったのが前回の救いであり、不発弾となって数年越しに今、被弾した。

本当に、全くの失言である。


「ま、まぁ!その話は余裕のある時にしましょう!今は坑道を見つけることが優先よ。ほら、日が暮れるまでには少なくともここまで戻ってくる必要があるでしょう?時間は有限よ」


「......それもそうだな。慣れない山での夜は危険だ。日は暮れずとも出来るだけ遅くなるのは避けた方が良い」


ルシアは慌てて話を逸らしにかかった。

並べ立てられるのは全てちゃんと筋の通った正論だけにあからさまであれど、無視出来ないそれは時間稼ぎとしてはかなり性質(たち)が悪い。

かく言う、王子もあからさま過ぎるそれに気付いたようだったが、はぁ、と深い息を吐いた後にゆるりとルシアに頷いてみせたのであった。


「ええ、行きましょう。――ニカ」


「え、あ、うん。ここからはほとんどあってないようなもんだけどね。取り敢えずこっちだよ」


王子の首肯を受けて、許可を得たとばかりにルシアはニカノールへ声をかける。

混乱が落ち着き始めていたニカノールはその呼びかけに答えて、促されるままに足を獣道ですらない草に覆われたそこへと分け入った。

ルシアはこれが終わったら絶対に全部聞き出すからな、と訴える王子の瞳に気付かぬ振りを突き通しながら、少しだけ足早にニカノールの後を追って、深山と呼ばれるこの長らく未踏であった大自然へと足を踏み入れたのであった。


遅れてすみません...(今週は没頭してて完全に頭に欠片たりとも残っておらず、気分を乗せるのに苦労したんです(汗))


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