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490.泉の宝と鉱石の番人(後編)


じり、じり、とほとんど意味を成さないと分かっていながら、足を後ろに滑らせていくのは本能か。

黒色の瞳の少年は後ろ手に年下の幼馴染を庇いながら、こんな時にも、否、こんな時だからこそ一周回って冷え切った脳裏でそんな自問自答をする。

けれど、意識は目前の獣もどきへと最大限の警戒として(そそ)ぐ。

それこそ、本能が目を逸らせば、隙を見せれば最後、飛び掛かられるぞ、と吠えているかのように。


じり、じり、と(うるさ)い警鐘が思考と共に脳裏でがなり立てる。

絶体絶命、万事休すか、子供の足では到底、逃げられない。

まして、戦う?

それを無謀だと告げるのは本能か、それとも理性なのか。

だからといって、心まで折られてなるものか、と(にら)み付けるのは?


「...ニカ、どうにかして隙を作るから僕が言ったら真っ直ぐ坑道まで走って」


「え......っ!?」


「大丈夫、坑道ならあの惑わしの魔法がある。あれは厄介だけど、この状況には僕らの味方になるよ」


今は少しでも出来ることを、そんな思いを語るようにその少年は背後の藤の瞳の少年に指示を出した。

藤の瞳の少年はまるで予想だにしていないことを言われたかのように目を見開いて、もう一人の少年を見つめるもこちらに背を向けたその少年の黒色は前方に据えられたまま、ちらりとも藤の瞳の少年を映さない。

そして、映していないからか、藤の瞳の少年がありありとその藤の瞳に浮かべる不安と焦燥の色に気付かない。

だから、黒色の瞳の少年は藤の瞳の少年が上げた声の不安の色に気付いても、その不安の意味までは気付かずに安心させようと言葉を紡ぐ。

いつ状況が急変するか分からない中で手短に告げられたそれはそれでも、何かしらの考えを元に導き出されたのだと説得力を持って、響く。


事実、少し頭を回せば成功率はかなり低くとも今の状況ではそれが一番の最善であるということは分かることだった。

確かにあの惑わしの魔法のかかった坑道ならばこの獣もどきを撒くことが出来る可能性がある。

(もっと)も、その後に脱出が可能かは今、考えないことにしたのは他に何の手立てもなかったから。

それはこの獣もどきから逃げるという意味でもこの坑道と洞窟からの脱出という意味でも。


藤の瞳の少年は全くの見当違いだったもう一人の少年の言葉に反論しようと口を開いたのは彼の(かたく)なな、もう覚悟を決めてしまったとでも言いたげな背中を見たからだ。

藤の瞳の少年が不安に思っていたのはあの獣もどきから逃げることだけではない。

それも勿論、あったが浮かべた焦燥は黒色の彼が自分だけを逃がそうとしているのではないか、と直感で感じ取ったから。

けれど、その覚悟を決めてしまった背中だからこそ、声は藤の瞳の少年の(のど)をするりと通って出なかった。


もたもたとしている合間に黒色の瞳の少年はじり、と足を滑らせて、地面との摩擦音を立てる。

今度は前に。

前へと一歩、彼の足は踏み出していた。

臨戦態勢、戦闘を知らないながらも腰を落とした格好で目の前の少年はそれでも虎視眈々と隙を狙っていた。

複数の獣もどきの青玉の瞳は無機質にある。


「――いくよ」


「あ、待って!!――、だめ!!」


宣言するようにそう言い捨てて、黒色の瞳の少年は飛び出した。

急に視界が広がった藤の瞳の少年は叫んで止めようとするが、黒色の瞳の少年は止まらない。

だが、その揺らがない瞳があれらと対峙してから初めて、こちらにちらりと向けられる。

何色にも染まらない色のそれは踏み出すことの制止と共に相対する行動せよ、という明確な指示を藤の瞳の少年に叩き付ける。

この場合の行動というのは彼と共に戦うことではなく、すぐさま身を反転させて坑道へと向かえ、という意味なのは嫌でも理解出来た。


「...っ、――!!」


悔しい、と音にならない叫び声を藤の瞳の少年は上げた。

黒色の瞳の少年の意志が固いこともそれを確固として揺らがない、揺らがせないのも知っていた。

何より、この場で自分は足手(まと)いだった。

藤の瞳の少年は(きびす)を返して、背後の洞窟へと走った。

それが今、自分の出来ること。

だが、所詮は子供の足。

二人の少年が動いたことで獣もどきたちも跳躍する。


「!!――ニカ!!」


いち早く、気付いた黒色の瞳の少年は振り向きざまに叫んで、そちらに駆け出す。

しかし、藤の瞳の少年に距離を詰めるのは獣もどきの方がずっと早い。

いくら、子供らしからぬ態度と頭脳と度胸と少々機敏に動ける身体があっても、彼もまた、子供には変わりなかった。


「っ、あ!」


獣もどきの一匹が藤の瞳の少年に飛び掛かる。

藤の瞳の少年は必死に身を(よじ)った。

お陰で勢いのまま通り過ぎた獣もどきの爪は藤の瞳の少年の腕を掠るだけに終わった。

けれども、鋭い獣もどきの爪は簡単に子供の柔肌を裂く。

ぽたり、と鮮血が地面を汚す。

重傷というには少ない、けれどもそのまま流したままにしたならば身体の大きくない子供では命の危険も(ともな)うだろう量の血は尚も(したた)り落ちていた。

一瞬のうちに付けられたその傷の痛みに藤の瞳の少年は(うめ)く。

冷汗が吹き出るような、痛みは何処か他人事のようにじくじくと熱い。


それがきっかけだった。

黒色の瞳の少年は視界が真っ赤に染まるのを感じた。

果たしてそれは視界に飛び込んできた幼馴染の血の色だったのか、怒りが見せた自分の中を駆け巡る熱の色だったのか。

そうして、それは判別する間もなく、状況は急変する。

藤の瞳の少年に傷を負わせて飛びずさり、次の機会を(うかが)っているようだった獣もどきがまるで見えない何かの力によって吹き飛ばされたことで。


藤の瞳の少年は少し前の時とは違う驚愕で目を見開いた。

きゃうん、とぶたれた犬の鳴き声のようなものが耳を刺す。

次いで、がしゃんと叩き付けられて破損する音。

視界に映るは吹き飛んだ獣もどきとゆらゆらと――まるで空気そのものを揺らすように瞳と同色の髪を、飾り気もないのに格好良く着こなした服を、はためかせる彼の姿。

何より、それを現す淡い青の光が彼に纏わりついていた。

鉱石の灯す燐光よりもはっきりと意図して揺らぐ薄みの青の色。

それは正しく――。


「――魔法」


藤の瞳の少年は呆然と呟いたその単語。

彼は魔法をよく知らない。

だって、彼の出身は職人の国で、彼は今まで国を出たことはない。

けれども、目の前の光景を指し示すのならば、その言葉が一番、しっくりくるような気がした。


魔法だった。

魔法だと思った。

けれど、藤の瞳の少年はもう一人の少年が魔法を使えたとは知らなかった。

少なくとも、共に過ごした時間の中で彼が魔法を使ったこともその素質を垣間見せたこともない。


黒色の瞳の少年は呆然とする藤の瞳の少年に目もくれず、ただ自分の敵を見据え、睨み付ける。

少年はやや乱暴に手を横へと振った。

まるで、そうするのが当たり前というように。

そうして、その動きと連動するようにまた獣もどきが吹き飛んで宙を舞う。

確かに見えない何かの力は彼の意思で発動されていた。


だが、藤の瞳の少年は傷の痛みに荒く息を吐きながらも思う。

漏れ出たような周囲の薄青に。

(しか)め面のように引き結んだ口とは裏腹に感情を膨れ上がらせているのだろうと示唆する黒色の瞳に。

暴走、または意図しないところでの突然の覚醒。

――そう、藤の瞳の少年が感じた通り、実はこの時、初めて黒色の瞳の少年は魔法の力に目覚めたのであった。


藤の瞳の少年は朦朧とし始めた意識の中で思う。

どうにかして、彼を止めなければ。

もう既に藤の瞳の少年の頭の中には獣もどきのこともこの場所のこともなかった。

ただ、目の前の幼馴染のことを。

ただ、ただ、そのままにしては駄目だと掻き鳴らす脳裏の警鐘に従って、手を伸ばす、足を前に進める。


視界に入っているはずなのに全くこちらを映していない黒色の瞳の少年の正面に藤の瞳の少年が辿り着いた時にはもう周囲を囲んでいたはずの獣もどきは全て壊れ()していた。

それすらも気付かない藤の瞳の少年はただ(ひとえ)に手を伸ばす。

血に濡れた手が黒色の瞳の少年の腕を掴んだ。

外を駆けても色白い彼の腕を汚す。

黒色が揺れた、視線が合う――。


そのことに藤の瞳の少年がほっと安堵の息を吐いたその時、また状況が急変したのは藤の瞳の少年が起こしたことでも、黒色の瞳の少年が起こしたことでもない。

またあの光が、泉の中央の光の塊が強く(またた)いた。

最初の二度よりも強く、強く、強く。

視界が染まる。

それと同時に藤の瞳の少年はついに意識を失ったのだった。


――そうして、次に彼が目を覚ました時、そこはあの広間のような場所でも洞窟でも、ましてや、惑わしの坑道でもなく、そこに彼の慕った黒色を纏う少し年上の幼馴染の姿は何処にもなかったのであった。


一応、過去編はこの辺で...あとちょっとだけニカに説明してもらうかな?

お待たせしました、ルシア。

次回は出番ある、うん、多分。

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