476.鍛冶師とその弟子、仕事の依頼(中編)
「爺さん、これでも駄目って言うつもり?」
顔を合わせた最初から浮かべられていた顰め面がより深く、渋面さながらの表情を浮かべる老爺に追い打ちをかけるようにそう言ったのはやはり、何処か反抗期の子供の見せる気の強さを顕にするニカノールだった。
心無しか、そうは言わせないといった気迫が見える。
だが、ルシアも王子もそれを指摘せずに同じようにして、老爺へと視線を真っ直ぐに伸ばした。
ルシアたちとて、このチャンスを逃したくはないのである。
勿論、このスカラーにはイストリアよりもその他の国々よりも腕の良い鍛冶屋など吐いて腐るほど、ごろごろとそこらに居るだろう。
きっと、見習いというニカノールでさえもその腕は他国では店を開けるほどに違いない。
そもそもの、全ての基準が軒並み高いのだ。
それでも、ここまで来たならばこの老爺に仕事を依頼したい。
その腕の良さも偏屈さも折り紙つきであるが故に、そしてあの小説と同じであるならば何よりも確実だろうこの人に。
そんな思いを前面に出した紺青と灰の二対の瞳はしっかりとそれを老爺に伝えていたらしい。
初めて、黙り込んでうんともすんとも言わない一辺倒だった老爺が動きを見せた。
老爺ははぁ、と深い深い息を肺の中の空気を全て吐き出す勢いで床へと向けて、吐いた。
そして、ようやっと、何処までも渋々といった風に老爺は口を開き――。
「竜玉。剣の修理を請け負う報酬として竜玉を持ってくるなら、その依頼を受けても良い」
交換条件。
RPGゲームなんかで度々見られるような、それ。
ああ、始まったのだとルシアは一人、勝手に得心を得る。
竜玉。
また何とも名前からして入手困難な素材であると言いそうなそれらしさ。
ルシアはそれの呼称をここで初めて聞いた。
よく分からないけれど、それでも違わず、希少価値のある素材なのだろう。
「――分かりました、その条件を受け入れましょう」
最早、やり尽くされた感さえ漂わせる展開に笑い出したくなるような心地を必死に押し込めて、ルシアは軽く一度、頷くだけに留め、老爺の言を受諾したのであった。
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「...儂がそれを聞いてやる義理はなんだ」
王子の真摯な仕事の依頼、ここまで真っ直ぐに訴えかけられれば、大体の人は諾と口にしただろうそれに、それでも目前に立つ老爺――セルゲイは少数側の反応を見せた。
にべもない、取り付く島もないような態度はやはり一律らしい。
こくり、ルシアは音を立てぬまま、僅かに息を呑んだ。
偏屈な鍛冶師、無理難題、厄介だということは重々承知していたが、実際に目前にして体感すると気を引き締めなければ、と強く感じた。
たった一言。
そのたった一言とその態度でそれだけで鍛冶師セルゲイ、その人そのものがかなり厄介なのだと痛感させられたのである。
「儂は例え、相手が王侯貴族だとしても気に入らない者からの仕事は受けん。それも新しく作るのではなく、修理だと。気に食わん。以上だ。分かったならさっさと帰ると良い。ここは職人の国だ、表通りにも値は張るがそれに比例して腕の良い奴らがわんさかと居る。奴らに頼め」
「ちょっと、爺さん!!」
ルシアが気を取り直して、対峙しようとしたその合間にもセルゲイはまるで拒絶するように目に見えて棘のある言い回しで否、と突き付けてきた。
あまりにもな言いぐさにニカノールが非難めいた声を上げる。
しかし、セルゲイは聞き飽きたとばかりにニカノールの声を気にも留めない。
決意は固いようだ。
――でも。
「――どうしても引き受けてはもらえないのでしょうか」
この一行の代表たる、そして依頼主その人である王子に任せようと見ていただけだったルシアは一歩半、前へと進み出た。
王子と並び立って、ルシアはセルゲイに向けて、そう問いかけた。
セルゲイの言葉は刺々しいが内容は正当性があるのも事実だとルシアとて理解している。
実際にどうしたって引き受けてもらえないのなら最終手段であるだろうそれには尤もだ。
けれど、だからといって、おいそれと引き下がってしまう訳にもいかないだろうとしゃんと背筋を伸ばしたルシア。
問いかけ自体には意味はない。
その通りだ、と素気無く返されて終わるのも可笑しくない、そんな問いかけであるのも知ってのこと。
ただ、自分も参戦するぞ、という意思表示。
ルシアは横からちらりと見下ろす紺青の柔らかな視線を感じ取る。
しかし、それにルシアは和らぐことなく、既にモードは戦闘モードである。
戦いに挑むくらいの心地で良い。
交渉だって戦闘そのもの。
はて、こう考えるようになったのは果たしていつからだったか。
激しい交渉のやり取りを舌戦と、それは戦いと人は呼ぶ。
さぁ、どんな返答でも来い。
どんな言葉であろうと打ち返し、こちらの望む結果を手に入れてやる。
そんな肉食獣も真っ青な鋭いやる気を持って、挑むようにルシアはセルゲイに視線を伸ばした。
その顔に微笑みはない。
今回は微笑みで隠すのは悪手だと、無意識に判断したのだろう。
ただ、真剣な表情をセルゲイへと向ける。
怖いくらいで良い、引き締めた気持ちと共に表情も引き締めろ。
そんな考えの元、示されたルシアのその態度は微笑みを作っている時よりもずっと素に近い。
だが、そんなルシアの戦闘モードはセルゲイが王子の時よりもあからさまに驚愕をその顔に浮かべたことで一度、解けることになる。
そう、セルゲイは後ろから進み出て、王子の横に並んだルシアを見て、目を見開いた。
信じられないものを見た。
そんな驚愕の表情であった。
ここに来て初めて、セルゲイが見せた渋面、顰め面以外の表情であった。
遠慮も何もなく、声すら失ったように、しかしその視線はルシアに注がれたまま。
「......?」
ルシアはただただ純粋にセルゲイの動揺とも取れるその様子に訝しげな心地で首を傾げた。
先を促すように視線で訴えるも合っているはずのセルゲイの視線は何処かルシアを通り越してその向こうを見るようにかち合ったような心地をルシアに与えない。
「え、何...?爺さん、どうしたの」
ニカノールが驚いたようにそうセルゲイへと言葉を投げかけた。
ついつい、声に出てしまったと、問いかけずにはいられなかったと言いそうなその顔はセルゲイのその表情が本当に予想外であったことが窺い知れる。
つまりは彼らしくないということ。
長く一緒に過ごしてきたはずのニカノールがそんな反応をするということは滅多にないことが起きていると見て、間違いない。
それがどうしてか、何がセルゲイにそうさせたのか、きっと原因は自分であろうルシアにも全く見当が付かなかった。
思い当たる節すらない。
けれど、何であれ確固としていたものを揺らせたなら、それ自体は話に関係なかろうとそこが足掛かりとなるのは必定。
交渉事で相手の動揺を誘うのは立派な手法だ。
意図してのことではなかったけれど、有利に事を進められる糸を手離すルシアではない。
ルシアはすうっと目を細めて、糸を手繰り寄せる次の言葉を紡ぐ為に口を開いたのであった。
Twitterで意気揚々と1時に上げられそうと言っておきながら、この体たらく...ほんとに申し訳ないですm(__)m
※5月の中旬から7月の頭まで週刊でお送りすることを検討中。




