475.鍛冶師とその弟子、仕事の依頼(前編)
こちら側に住まう案内人が居なければ辿り着けない裏通りにあるということ以外は何処にでもありそうなその古民家。
そんな少し特殊な場所の一角にひっそりとあるそれこそ、外観はここでは一番地味な部類に入るそれは内装も同じく、奥の一部が工房のようになっているらしく、その境い目手前に暖簾が掛かり、奥が見通せないようになっていること以外は本当に普通の古民家であった。
やや躊躇いがちに、そしてその後はどうとでもなれ、とばかりに一気に勢いよくその古民家――セルゲイの鍛冶屋の出入口の扉を押し開いたニカノールに促されるまま、潜ったその先に広がる光景に物珍しそうに室内を見渡したルシアはこの鍛冶屋をそう結論付けた。
あまりにも没個性的な見た目は物語の舞台としては地味で、けれど、一個人の自宅と考えれば、何とも生活感とそれらしさのある質素さと馴染みの良さであった。
それこそ、そこらに置かれている武具の類いの多さを見なければ、店内とは到底、思えないほどの。
「ただいまー。おーい、爺さーん。あー、えーと、昨日、言ってた客なんだけどねー」
さて。
何故、ルシアがそんな風に室内の様子をじっくり心置きなく眺めていられたかというと、その場に想像していた人物も含めて、誰も居なかったからであった。
室内に人影一つ見受けられないことにルシアが首を傾げたのと同時に一歩先に室内の中心へと踏み込んでいたニカノールが数歩、躊躇いなく奥へと歩きながら、そう声を張り上げた。
ニカノールの視線が向かうのは例の工房に続いているのだろう暖簾の先。
ルシアにはその奥に人が居るかどうか、と探るほど人の気配を読み取れない。
少なくとも、鍛冶屋の仕事特有であろう鋼を打つような甲高い音も響かなければ、人が動く際に生じる些細な物音すら聞こえてはこなかったのだ。
しかし、ニカノールは奥に人が、この店の主が居て当然とばかりに奥へと声をかけた。
だが、それに対する返答はない。
音もしないことにルシアが首を傾げたその時、すらりと暖簾が一本の腕によって持ち上げられた。
そうして、そこから顔を覗かせたのはまさしく気難しそうだと見る人の大体が判断するだろう風体の老爺だった。
鍛冶師セルゲイ、ルシアの脳裏で瞬時にその名前が過り去る。
「――ニカ。お前、本当に連れてきたのか」
工房だろう暖簾の先に居た老爺。
確かに如何にも気難しそうな顔をしたそれなりに高齢だろうその老爺は既に眉間へ皺を寄せていた。
その深さは常時、そこに皺が刻まれているのだろうと思わせるほどのものだった。
その表情のせいか、ルシアにはその老爺が通常よりもずっと不機嫌そうに見えた。
とは言っても、通常が如何ほどのものなのか、知らないので憶測でしかなかったけれど。
そんな老爺から放たれたのは順当に年を老いていった人の、威厳すらも纏わせるような、そんな深みのある低めの声であった。
少しだけ咎めるような響きをしたそれはやはり、噂通り人を拒むようで思わず、ルシアは身を硬くする。
「ちょっと、ねぇ!爺さん。俺、言ったよ。昨日も今日の朝、ここ出ていく時にも今日はお客さん連れてくるからね、って!!嫌かもしれないけど、門前払いは勘弁してよ、って!!」
「知らん」
「爺さん!!」
だが、それもこの鍛冶屋へ入ってきた時と同じように躊躇のないニカノールの声に一瞬で肩の力が抜けた。
ニカノールは入る前の再三に渡る忠告をした時の怖がりようは何処にいったのかといった勢いで叫ぶように老爺へと訴えていた。
しかし、それすらも慣れているかのように老爺はにべもない。
ただ、非難するようなニカノールの声に先程よりも深く眉間に皺が刻まれたのをルシアは見た。
その様子にニカノールはむっとしてまた叫ぶように言葉を放ち、ぎゃんぎゃんと声を張り上げるさまは喧嘩中の反抗期の子供か、といったところである。
そんな完全に身内乗りの言い合いになってしまった二人の会話に置いてきぼりを喰らいながら、ルシアは最初に入ってきた時から動かないまま、そのやり取りを眺めていた。
鍛冶師セルゲイの人となりを知るにはもってこいと思ったからでもあるし、口を挟めなかったということもある。
「あーもう、俺の紹介だから顔立てさせて、なんて言ったって構いもしないのはとっくに知ってるから絶対に仕事受けて、だなんて言わないけどさ。話聞いてあげるくらいはしてくれても良いんじゃないの。ねぇ、師匠?」
暫くして、主にニカノールが凄まじい勢いだった二人の言い合いは徐々に沈下をし始める。
きっと、ニカノールの言いたいことは言い切ったからだろう。
幾分は落ち着きを取り戻した声音で後頭部を掻きながら、再度、頼み込むように、まるで譲歩だ、と言わんばかりの様子でニカノールは言い聞かせるようにそう言葉を募った。
正直、急に言い合いをし始めた時はどうしようかと思ったが、ああ言っていた割に仲介役としての取り成す姿は中々に様になっていた。
...もしかしたら、前にもこんなことがあったのかもしれないな、とルシアは思った。
しかし、老爺はむすりと気難しそうな顔で黙り込むだけで口を引き結んだまま、うんともすんとも言わなかった。
つまりは許可を口にしなかった。
自分の弟子がここまで言っているのに、と意固地なほどのその態度にニカノールは片方の眉をぴくりと動かした。
「ほんとにもう、生粋の頑固じじいだな!良いよ、勝手に紹介するから!――カリスト!」
「――!あ、ああ」
ついに我慢するのも止めた、とばかりに勢いよくニカノールは言い捨てるようにそう叫んでくるりとこちらを振り返った。
何とも投げやり。
何とも見事な踵の返し。
最早、自暴自棄とでも言うような勢いでニカノールはつかつかと靴音にもそれを滲ませて数歩。
ビシッと藤の一対が真っ直ぐに王子へと固定される。
これ以上ない真剣な表情に、急に名を呼ばれたことにさしもの王子も少しだけたじろいだ。
ルシアも直接、その視線を向けられてはいなかったものの、王子の横に居たことでほぼ真っ正面からニカノールのその表情を見てしまい、肩を揺らした。
しかし、何であれここまでお膳立てされて出ない訳にもいかないだろう。
すぐに気を取り直した王子はニカノールに返答を返して、一歩前へ。
ルシアは斜め後ろから既に毅然として立っているその姿を眺める。
仕事を依頼しに来たのもこの場での代表者は王子である。
私まで前に出る必要はない。
ルシアの目の前で老爺の前へと進み出た物差しでも仕込んでいるんじゃないだろうか、と思わせる真っ直ぐに伸ばされた背中が声を発する為に僅かな躍動を見せる。
「この度は無理を言ってニカノールにこちらへ連れてきてもらった。急に押しかけた非礼を詫びよう。貴方がとても腕の良い鍛冶師だと聞いた。――俺の、先日、罅を入れてしまった剣の修理を頼みたい。話を聞いてくれないだろうか」
「......、――」
王子は実直に要点だけを老爺へと告げた。
この老爺が回りくどい台詞や長々とした無駄話は好まないだろうと判断してのことだろう。
少しでも機嫌を損ねないようにより真っ直ぐに、より正直に、より真摯に王子は言葉を選び、そう言った。
ルシアからは見えないが、その顔に浮かべる表情もまた、それ相応のものなのだろう。
そんな王子に老爺はやはり、口を開かずに品定めするかのように王子へと視線を向けていた。
こちらは正面に当たる為にルシアからも表情ははっきりと見える。
それはもう、既に不機嫌そうな顰め面だった。
急な来客を不審に思うからか、その険しいとも言える表情はニカノールとのやり取りで見せていたのとはやや違う。
だが、その顰め面の中に驚きのようなものが混じっていたことを感じ取り、ルシアは目を瞬かせたのであった。
最近は本当にすみません...(再三に渡る謝罪)
多分、暫くはこんな感じです、ご了承ください...。
あ、カッター傷は治ってないけど治りました(絆創膏なしでも大丈夫な状態、何ならそれよりも前にやらかした逆の手の人差し指の半分以上、剥がれた爪の方が痛い)ので、執筆自体は問題ないです。
問題があるとしたら、まぁ、結局のところ私なんですけども(ちょっと多忙で疲労なの、許して)




