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465.鍛冶師見習い


「ニカ、ノール......」


「ん、ニカでいーよ」


ルシアはひくり、と己れの唇が(わず)かに震えているのを感じながらも彼の名前を紡いだ。

しかし、呼ばれた当の本人はそれはもう、あっさりと笑んだまま、ルシアに応える。

ひくり、ルシアはまた唇が戦慄(わなな)いたのを感じた。

――きっと今、自分の感じているこの予感を知る者は他に居ない。


「ああ。よろしく、ニカノール。俺はカリストと言う。彼女はルシア」


だから、ルシアの心地など露とも知らぬように王子はニカノールへと自己紹介の後にルシア、そして流れるように護衛たちの名を紹介していく様子をただ眺めていた。

そうして、ルシアの調子が戻り切るよりも前に人の良いニカノールによって、会話はどんどんと進んでいく。


「へぇ、やっぱりこの辺で聞かない名前。外から来たお客さんってとこでしょ。うーん、響き的には北の方かな」


「ああ、イストリアから来た」


ルシアたちの名前に着目したニカノールは首を(かし)げながらも正答から外れてはいない推察をしている辺り、まだ見習いの身とはいえ、職人の国たるスカラー出身の職人らしく、他国からの客との交流の経験が少なからずあるらしい。

そんな様子のニカノールに王子は鷹揚に(うなず)いて、自分たちがイストリアから来たことを口にする。


多少、不用心ではあるが、それだけでルシアたちの身分に行き着くことは各国の上流階級のことに詳しくなければ、難しいだろうから大丈夫だろう。

まぁ、バレた時はバレた時である。

危険性を考えれば、全く困らない訳ではないけれど、大体は対処出来る。

うん、こればっかりは慣れるほど経験してきたので。

警戒し過ぎても、気疲れするだけだと知っているということもある。

要は効率化してきた結果の無駄を(はぶ)いた結果とも言える。


「イストリア!あの竜の国から来たの。それはまた、離れたとこから来たね。俺、一度も行ったことないんだけど、冬は雪が凄いんでしょ?ここじゃ、冬の特に寒い日、年に数日降れば良い方だよ。あ、竜の国って言われてるけどさー、ほんとに竜人(りゅうじん)って居るの?どんな?彼らの生え変わって抜け落ちた(うろこ)、すっごい良質な素材になるって聞いたけど」


「そういえば...前にアナタラクシがそんなことを言っていたような」


王子の返答にニカノールはぱっと輝くように顔を明るくさせて、声を弾ませた。

(まく)し立てるようなそれに王子がやや圧されかけていると、背後でフォティアがふと思い出したといった様子で呟いたものだから、ルシアは考え事も全て吹き飛ばして、振り返った。


「――フォティ、それは本当?」


「え、ええ。丁度、抜け落ちたばかりの古い鱗を拾い上げているところに遭遇しまして。普通はそのまま放置しますから疑問に思って、尋ねたのです。それを手に、強度が高いから武器には最適なのだと。特に職人の集まるこのスカラーでは素材として欲しがる者も多く、よく売れるのだと。それこそ、小遣い稼ぎ、とアナタラクシは言っていました」


「そうだったの。......もしかして、貴方も?」


そうして、尋ねればフォティアは淡々と分かりやすく説明をくれる。

...何というか、アナタラクシらしい話だ。

彼なら例え、元々は自分の一部であったそれももう抜け落ちた後なのだから痛くも(かゆ)くもない、良いじゃん、どうせそのまま捨てるくらいなら、なんてへらりと笑って、その足で売りに行きそうではある。

勿論、それを狙って乱獲されそう、なんて目に合えば、泣き言を言って馬よりも早く逃走しそうでもあるが。


竜人族(りゅうじんぞく)であれば、そういう輩は叩きのめして(しか)るべきである、という普通はアナタラクシには通じない。

竜人族の鱗が高値で取引されているのであれば、それはその質だけでなく、そこら辺もあっての希少価値も理由だろうに。

そりゃあ、逃走だけにその力を使われては力の無駄遣いとヒョニが嘆くのも仕方ない。

そんなことを思いながらも、ふとルシアは目に映った赤の瞳の中の楕円形を見て、フォティアに尋ねる。

主語はなかったがすぐに理解出来たフォティアは眉を少しだけ下げて、口を開いた。


「いえ、私は...それに私のものは彼ほどの質にはどうしてもなりませんから」


「あら、ということは生え変わりはするのね」


「......爪と同じようなものですよ」


どうやら、アナタラクシほどフォティアは割り切れないらしい、とルシアはフォティアの表情も相まって納得した。

それと同時にやはり、生粋の竜人と半竜(はんりゅう)では鱗にも違いが出るのか、と初めて知る内容にほう、と息を吐く。

勿論、半竜が悪いという訳ではないけれど、力が強いのも生粋の竜人族の方である為、そういうこともあるのだろう。


とはいえ、そう答えるということは気乗りしないだけで物理的に売れない訳ではないようだ、と思ったルシアは少しだけからかうような口調でフォティアに言葉を投げかけてみる。

返ってきたのは爪と同じ、という何だか納得出来るような、出来ないような返答であった。

...失礼は承知の上で言うが、どちらかと言えば鳥や動物の羽や毛の生え変わりの方が近いのではなかろうか。

それはそれで人の姿の方をよっぽど見慣れているルシアには想像しづらいものではあったが。


「えっ。そっちのお兄さん、竜人なの」


「いえ、私は竜人と人の血を引く半竜です」


ルシアとフォティアの会話である程度は予測が出来たらしいニカノールが目を丸くさせて、フォティアに視線を向けた。

ルシアとしては竜人も半竜も身近に居る為に忘れそうになるが、イストリアの外ではまずお目にかかれない存在であり、竜人に至っては現在、接触出来るのは王宮の詰所か、隠れ里か、という希少さだった。

イストリアへ来たことがないというニカノールにとっては存在しているかも半信半疑というその存在がまさか目の前に居たとは思わなかったのだろう。

しかし、フォティアは竜人ではなく、半竜である。

惜しいその言葉にフォティアは淡々と訂正を入れた。


「へぇ、半竜。半竜ね。あ、ほんとに瞳孔が楕円形だ。初めて会ったよ」


「まぁ、イストリアの外の人ならそうでしょうね」


フォティアの訂正に半竜というその名と特徴は知っていたのか、フォティアの顔をまじまじと見たニカノールは感嘆するようにそう言った。

ルシアはニカノールのその呟きに頷いた。

でも、フォティアが半竜という存在を知らずとも分かるように訂正したのに対して、その必要はなかったようなのはさすが、鍛冶師見習いといったところか。


「って、あ。ついつい話し込んじゃった。いやぁ、外の人の話聞くのって面白いんだよね。ごめん、案内しながらにしよ。そうだねー、最初は無難にこっから近いもう一個の雑貨屋に行くかー」


「あ、ニカ。ちょっと待って」


弾むような会話は何処までも続くようにも思えたが、事実、ニカノールはまだまだ聞きたそうにしていたが、そこではた、と気が付いたようにばつの悪い顔をして、方向を向き直して、道の先を指差した。

行先を決めるのも行動もスムーズなところはこの短時間で分かった彼の特徴である自分のペースを崩さないところからきているのだろう。

しかし、ルシアはそんなニカノールを呼び止めた。

きょとんとした顔が振り返る。

王子たちも何を言い出すのかとルシアに視線を向けた。

だが、そのくらいでルシアは(ひる)まない。


「何?あ、別のところが良い?」


「あ、いえ。行先はお任せするわ。ただ、ちょっと聞きたいことがあって」


「聞きたいこと?」


「ええ、そう」


呼び止めたルシアにニカノールは首を傾げて、そう口にした。

ルシアはその気の回るニカノールに申し訳なく、思いながらも否定して、言いたいことを口に出した。

聞きたいこと、そう聞いて、ニカノールは目を(またた)かせる。

見当が付かないのだろう。

しかし、ルシアは大きく頷く。


「ねぇ、貴方の師事している鍛冶師の名はセルゲイというのではない?」


「!」


ルシアの問いに驚きに空気を揺らしたのは王子であり、護衛たちだ。

ニカノールはやっぱり、きょとんと目を瞬かせた。

そして、口を開く。


「あれ、どうして師匠の名前知ってんの?」


ニカノールは心底、不思議そうにそう言ったのであった。


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