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458.夜の静けに気付かぬ振りの心を覗いて


「......ん」


日が昇り切るよりも早くから夕方、日が落ち切るまでの賑やかしさが噓のようにまるで街そのものが眠りに就いたような深夜のこと。

街の中でも中心にあたる場所に建つ、ランクとしては高級と言っても良いだろう宿の一室。

街と共に眠りに就いていた少女が一人。

その容姿は元々、精巧な人形に例えられることもあり、小さく胸部が上下していることを視界に入れなければ、本当に人形のように見えるその少女――ルシアはふるり、と睫毛(まつげ)を震わせた。


それは目覚めの予期であり、人形に息吹が吹き込まれたような瞬間。

静寂の中に寝起きや半覚醒時特有の篭ったような声が響いた。

鈴の音のようなそれは静まり切った夜の街の中では一層、際立って余韻を残す。

けれども、それを聞く者もまた、誰一人として居ないのはその者たちもまた寝静まっているからだ。


ついに、いや、時間としては(わず)かのことであっただろう。

揺れていただけの銀の睫毛が静かにゆっくりと、けれども確かに意思を持ったように持ち上がる。

そこから覗くは灰色の、鏡の瞳。

今は夜闇の色に染まっていた。


するり、まだ夜色の瞳をぼうっとさせながらも起き上がったルシアに上掛けの布が重力に従って、ルシアの膝の上で(わだかま)った。

しかし、それにも気を止めず、ルシアはぼうっと虚空を見つめて(しば)し。

ゆっくりと(まばた)きをしたルシアはこれまた緩やかに周囲を見渡して、ここが旅先の宿であることを思い出した。


「今、何時......うわ、また中途半端な」


先程まで半覚醒状態で揺蕩(たゆた)っていたし、現在もはっきりと完全に覚醒しているのかと言われれば、ほんの少し判断付きかねる状態であったが、身を起こした時点でそのまま寝付くつもりはなかったらしい自分にルシアは辺りを見渡していた目をそのまま動かして時計を探し、現在の時間を確認した。

部屋の壁に掛かっていた時計は真夜中を越えてそこそこ経っているものの、朝と言うには早過ぎる未明の時刻を指しており、思わずルシアは起きるにも眠るにも微妙な時間の目覚めに口を引き結んだ。


次に窓へも視線を向けるが閉まっているカーテンによって、空の様子は(うかが)えない。

ただ、月の明かりが淡くカーテンを輝かせていた。

今朝の光景と同じようで同じでないそれはいっそ幻想的でもあった。

月明かりの下でルシアの銀糸の髪はより一層、(きら)めきを持って輝いているように見えた。


「――なんか、思い出したような気がしたんだけど......んー、思い出せない」


ふわりと何かを思い浮かべていたのに、それは結び切るより前に霧散して溶け消えてしまった。

思い浮かべたことは覚えているのに、それがどんなものであったか、掴もうにも欠片一つとしてはっきりと形を成さなくて、どうしようもない据わりの悪い感覚だけが残っていた。

これは覚えていない夢と同じものだ、とルシアは未練一つ見せることなく、淡泊にそれを追うのも止めた。

経験上、それを幾ら追ったとしても思い出せないことを知っているからである。

これが欠片一つでも覚えていたならば根気と運によって形成すことが出来るが、今回の場合はそれすらない以上はどうにもならないとルシアは分かり切っていた。


ぼうっと、寝起きの際と同じように。

または思考の海を(ただよ)う時のように、ルシアは正面の壁を見つめた。

別に壁そのものを見ている訳ではない。

ルシアが見ていたのは前世のこと――あの小説のシナリオのこと。

やっぱり再度、考えようとしてもあの道案内をしてくれた鍛冶師見習いの青年の姿も名前も出てこない。


偏屈な鍛冶師の老爺――セルゲイの店は惑わしの小路の先にある。

これはイバンからの情報も装飾品店の店主の情報もあり、事実である。

スカラー編の始まりにして、物語の根幹である王子の剣の修理の依頼。

けれども、その店にすら辿り着くのも一苦労とは。

しかもこれ、作中にはなかった苦労である。


だからなのか、ただシナリオを沿うように次へ次へと対策を練って実行するよりも気が重く感じられた。

それもこれもイレギュラーが酷く厄介なことだ、と知らぬうちに脳内に刻まれてしまっているからか。

仮に拍子抜けなほどあっさりと案内人を見つけ、惑わしの小路を抜けられたとしても彼の偏屈な老爺は引き受けてくれるかは分からないのである。

本当にもう、前途多難と言わずして何と言う。

はぁ、と無意識のうちにルシアの口からため息が漏れ出ていた。


「......」


ルシアはそこで考えるのを止めた。

どうせ、起きたらまた考えなければならないのだ。

今は少しぐらい忘れたって良いだろう。

惑わしの小路から宿に戻ってきて以降、ずっとそれについて頭を悩ませ続けていたルシアはいい加減、考えることに嫌気が差していた。

ぐるぐるぐるぐると堂々巡りを続けるだけの己れの脳に疲れていたのである。


けれども、今すぐに掛布の中へと(もぐ)り込む気にもなれなかったルシアは僅かな月明かりの中で自分の真横に視線を下ろした。

そこにあるのはこれも今朝と同じ、目にすることこそ機会が多くないが、既に馴染んでしまって当たり前となった光景を、王子の寝顔をルシアは視界に捉えた。

今朝、指摘した溜まった疲れだけでなく、惑わしの小路のこともあったからか、疲労が(ぬぐ)い切れなかったらしい王子が起きる気配はない。


それ自体はあまり良いことと決して言えないけれど、ルシアは滅多にないこの状況にまじまじと王子を見下ろした。

だって、そうだろう。

さすがに気の置けない仲だとしても起きている相手の顔を面と向かって、じっくり見ることなんて、はっきり言って無理だ。

精巧な人形みたいだ、と自分のことには割と無頓着なルシアは自分の容姿を棚に上げて、ひっそりと音に出さずに呟いた。


ああ、惜しむらくは寝顔ではあの紺青が見えないこと。

ルシアは自分で思う以上にあの色が好きだった。

他でもない王子の瞳の色が。

冬の夜空を思わせるその色が。

それが温かく移ろうことが。


「...――てるよ」


ルシアは王子の髪に触れそうで触れない位置で手を宙に押し留めながら、小さく溢した。

それは聞く者も居ないというのに酷く小さくて半分以上、音の体を成していなかった。

――けれども、そこに綴られた言葉は全て、灰の瞳が映していたのだった。


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