439.彼の皇子はきっと、その名に恥じぬ王となるだろう
秋も半ばをとうに過ぎ、タクリードという砂漠の地であっても吹く風に肌寒さを感じ始める頃。
無事、というには大それた上にどんでん返しに次ぐどんでん返しなどという仕組まれまくった茶番劇があり、街中に皇宮にと幾か所かで中規模の被害があったものの、当初の予定通りに行われた夜会はそれはもう、盛大且つ大成功に終わった。
各国の要人にタクリードの貴族や王族に連なる者で賑わった会場はタクリードの王族色である金と赤の装飾で煌びやかに彩られ、参加者たちの色とりどりの服装も相まって、何とも鮮やかだった。
そんな夜会の会場で高い位置の一層、豪奢に設けられた席に皇帝が座す。
皆の視線が中央へと向かう中、一人の青年が其処此処を照らす明かりを弾いて煌めく黄金の髪を惜しむことなく晒してそれらを受け止め、誰よりも紅い紅い一対の瞳を弧に描いた。
この日、この瞬間に第一皇子であったシャーハンシャーは大々的にタクリードの次期皇帝としてその姿を知らしめた。
その名が告げられ、シャーハンシャーの演説の如き宣誓に参加者たちは会場を揺らがすほどに湧いた。
悠然と立つ次期皇帝に未来の安泰と栄華を夢見て、満面に笑みを浮かべる。
浮足立つように会場全てが盛り上がる、そんな喜色に満ちた夜会であった。
もう一人の最有力候補だった皇子の姿が一向に見えないことに誰一人、気付かないほどに。
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「お嬢。」
「あら、今日は早いのね。」
ルシアがこの国では珍しい緑を眺めていれば、後ろから駆け足気味の足音と共に馴染みのある呼び声が辺りに響いた。
ルシアはくるりと振り返って、声の主であるイオンに受け答えた。
上質であるが華美過ぎない青の衣装がルシアの動きに合わせて揺れる。
周囲が忙しくしている中、比較的手の空いていたルシアはこうして散歩と称しては皇宮内の庭園を一人、意味もなくただ歩いては何もない時間を過ごしていたのだった。
勿論、不審者が入らないようにシャーハンシャーが手配済み、少し離れた位置でノックスが待機している。
お陰でルシアは悠々自適に誰にも邪魔をされることなく、一人の時間を過ごしていた。
「それはまぁ、今日は出立の日ですからね。......って、お嬢。まさか、忘れてたとか言いませんよね?」
「失礼な、さすがに忘れていないわよ。」
イオンの半信半疑とでも言いたげな顔を見て、ルシアは片眉を上げながら答えた。
さすがに前日に荷物を纏め、出に向けての準備、挨拶回り、そして本日は旅装を現在進行形で身に纏っているのだから、それで忘れていたら記憶喪失を疑う、私なら。
そう、本日はルシアたち――イストリア一行の出立日。
夜会も終え、暫しの時間が経ち、王子の手伝っていたシャーハンシャーの執務もひと段落が付き、帰る段取りが付いたのである。
まだぎりぎり冬になっていないこともあり、帰還が可能だったこともある。
シャーハンシャーにはいっそのこと、そのままタクリードで冬を越してはどうか、と笑いながら提案されたが。
あの目は半分以上、本気だったと言っておこう。
少しでも迷う素振りを見せたら最後、ずるずると滞在を伸ばされて、本当に今年中に帰れなくなっていただろうというのは必至だったので王子共々、はっきりと断った。
「それはすみませんでした。――お嬢、出立の準備が整いました。殿下もお待ちです。」
へらり、とイオンは何処かの竜人を思わせるような気の抜けた笑みを浮かべた後、何とも気持ちの篭っていない謝罪を口にした。
しかし、次の瞬間には出来の良い完璧な従者となって畏まった口調で恭しく手をルシアへと差し伸べる。
その相変わらずの変わり身の早さに少しだけ呆れ顔になりながらもルシアは一つため息の後にそれを取って、王子たちが待っているだろう庭園から皇宮の正面門へと向けて歩き出したのだった。
この世界とよく似た前世の小説。
その作中にもあったタクリードの次期皇帝という地位を巡ってのシャーハンシャー成り代わり事件。
時期や登場人物たちの想いなど、色々と違いが見られたものの、結果としてはほとんど作中との差違は起きなかった。
ある悪魔というイレギュラーを抜きにすれば。
けれども、そういった予定外すらも上手く利用しての茶番劇。
全てはシャーハンシャーの用意した舞台の上だったことを閉幕時にルシアは体感し、そしてその後にも彼の執務室にて、まざまざと実感させられたのだった。
後に賢君にして、暴君と呼ばれる彼の皇子は余計な柵のついた最高の素材から柵だけを取り除いて、上手い具合にメリットだけ残して手にいれたのだ。
何とも強欲、けれどもルシアは彼に作中の王の片鱗を見た。
ルシアはシャーハンシャーから詳細を全て聞き出した訳ではない。
ほとんどははぐらかされてしまった。
けれども、ルシアは一つだけ真剣な顔をしてシャーハンシャーに一つの問いかけをした。
『――ねぇ、今回の騒動は一体、何処からが貴方の脚本だったのかしら?』
その問いにシャーハンシャーは答えなかった。
しかし、はぐらかす言葉も口にしなかった。
空惚けた態度であの含みのある紅い瞳で笑んだだけだった。
けれども、ルシアはそれを答えだと受け取った。
最初にアリ・アミールを唆す貴族を焚き付けたのも、反逆を起こさせたのも、入れ替わりという案も含めて全部。
アリ・アミールが望んだ死も。
知っていた上でそれすらも利用したのだろうと。
知らぬと思っていたのはルシアやアリ・アミール皇子ばかりで。
彼はこれ以上ない暴君で賢君で玉座に相応しい人。
全てを上手く運ぶ知性と時に非情とも言える判断を下せる外道。
王子とはまた違った王の姿。
ああ、この砂漠という厳しい環境下にありながら、イストリアに次ぐ歴史を持つこの国は一層、栄えることだろう。
血のような鮮やかな紅が目を光らせているうちは。
――黄金が頭上に輝くうちは。




