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419.最期の一太刀


「......何もかも手を回し済みであるという訳ですか。さすがは兄上。私にはもう何一つ、何の手札も残されていないようだ。」


長い沈黙の末、他の誰の声も要らぬとばかりのシャーハンシャーの威圧に静まり返った謁見の間で最終的にその声を響かせたのはやはり唯一、口を開くことを望まれたアリ・アミール皇子であった。

ルシアの知る口調より幾分、堅く礼儀正しいその声はその実、とても皮肉げな表情と共に嫌味としてその言葉を響かせる。

シャーハンシャーを見下ろし、彼は兄、と呼んだ。

もう言い逃れの出来るような状況でなかったとはいえ、開き直ったのかと思わせるそれはシャーハンシャーの語った全てを肯定したも同然の証拠で分かっていても周囲はざわめく。


アリ・アミール皇子は堂々とそれを受けて立っていた。

もしかしたら、第一皇子としてあった時よりもずっと立派なほど。

けれど、そんな終わりを前に抵抗を見せる悪役さながらのその姿はルシアには(むな)しく見えた。

ルシアは唇を噛む。

それを止めるものは居ない。


けれど実際、今のアリ・アミール皇子は翼を全て()がれ、地に落ちた鳥そのものだった。

反論も言い訳も出来ぬほどにとことん細部に至るまでシャーハンシャーの手が回され、逃げようなどない。

唯一の道も提示した傍からシャーハンシャーによって排除されてしまった。

大袈裟でも何でもなく、此度の終わりをどんなものにするか、その決定権は主役であるシャーハンシャーだけが持っている。


「ああ、俺は中途半端は好かない。それにここまで大掛かりなことを仕掛けてくれたのだ。こちらも全力で討ち返すのが礼儀であろう?」


「......貴方は昔から変わらない、本当に。」


まるで手の込んだゲームをクリアするかのように軽々しく言い放つシャーハンシャーにアリ・アミール皇子は口を(いびつ)(ゆが)めて弧に描かせた。

軽々しくも本気。

飄々(ひょうひょう)としていながらもいっそ神経質かというほどの緻密さで。

そして、一気に牙を剥き、その猛攻を緩めない姿はまさに百獣の王。

シャーハンシャーという人物。


少なくとも、ルシアが初めて出会った時からシャーハンシャーは今のシャーハンシャーだった。

まぁ、歳を重ねた分の老獪さは増しているけれど。

根底は元来のものだ。

だから、ルシアはアリ・アミール皇子の言い分がよく分かった。


「...昔からそうだった。産まれながらに人よりも多くのものを持っているというのに貪欲に全てを手中に収めんとばかりに手を尽くす。その割に表情にも出さず、然も簡単そうにやって退けるのだから、その度に比べられた私はそれはもう何度、顔を歪めたことか。」


アリ・アミール皇子から吐き出されるのは恨み節。

だが、ただの妬みにしては想像に容易(たやす)いその光景は白昼夢のように視界に浮かぶ。

それはもう、比べられたことだろう。

心無い言葉をかけたものだって居ただろう。

所詮、お前はシャーハンシャーの――第一皇子のスペアなのだと。

肩書きした見ていない者たちの理不尽な悪意を彼はその身を持って知っている。


けれど、それでもアリ・アミール皇子は。

ルシアは顔を歪めさせる。

目尻には(しわ)が寄った。

それでもアリ・アミール皇子はシャーハンシャーのことを恨みはしなかった。

例え、今まさに目の前で実感の篭った恨み節を吐き出していようが、ルシアはそれを知っていた。


(ひとえ)にそれはあの夜の手遅れだ、と言いながら、諦観の眼差(まなざ)しで夜空を仰ぎ見ては誰かを浮かべた羨望の瞳を。

何よりもここに来る前に聞いた彼の本音を。

ルシアはその目で見たから。

ああ、なんて虚しいんだろう、なんて悔しいんだろう。

アリ・アミール皇子の演技は、そしてやはりただの観客でしかない私は。

ああ、なんでこんなに哀しい、どうしてシャーハンシャーは。

ルシアは目元が熱くなるのを感じながら、シャーハンシャーを理不尽に(にら)み付ける。


「今度こそ、兄上の持つもの全てを奪い、上に立ってやろうと大掛かりな策を(ろう)したというのに結局、最後の最後も(みじ)めに敗北者として下劣な醜態を(さら)しただけとは。」


はっ、と吐き捨てるようにアリ・アミール皇子は自嘲する。

それすらも只管(ひたすら)、哀しい。

ルシアは何度でも思う、和解の道は本当になかったのか、と。

どうして、どうして、とシャーハンシャーにルシアは口を挟むことは許されていないから、視線だけで訴えかける。


「......こうなったのならば、最期まで無様な姿で終わらせてやろう。精々、多大な痛手を(こうむ)ると良い。――不出来な弟からの最期の置き土産だ、しっかりと受け取ってくれるだろう?なぁ、兄上よ。」


「!?」


捨て身になった悪役の最期の笑みとはこんな風に壮絶なのだろうか。

脳の処理を遅らせるほどに悪役らしくアリ・アミール皇子は(わら)った。

シャーハンシャーの浮かべるそれとはベクトルの違う凶悪な笑み。

それと同時にルシアたちの入ってきた扉の向こう側、遠くの方でそれでもこの場の床すらも揺らすかのような、爆音が響く。


「――アリ・アミール、まさか貴様。」


「ああ、少し前にな、知り合った男に爆薬の扱いに長けた者が居たのだ。」


ひょい、と片眉を上げて尋ねたシャーハンシャーにアリ・アミール皇子は口元を歪める。

爆音、爆薬。

ルシアはその言葉に鳴り響く警鐘を聞いた。

そもそもそんなものに思い入れがある者などほとんど居ないだろうが、ルシアはそれに良い思い出がなかった。

嫌な、本当に嫌な感触が肌に(まと)わり付いているような気分だ。


「アリ・アミール殿下...!」


もう黙っては居られないとばかりにルシアはついに飛び出す。

貴族や皇帝の視線がこちらを向くも構いやしない。

後ろから遅れて続く足音を四つ、聞く。


「貴様は......。」


「その男は!!」


ルシアの姿を見止めて、譫言(うわごと)のように何かを呟こうとしたアリ・アミール皇子を遮って。

シャーハンシャーの思案するような視線も無視を決め込んで。

ルシアは必至に中央へと駆け寄って、赤い瞳の皇子を見上げて、声を張り上げる。


「その男は!......もしや、白髪の瞳孔も分からぬほどの黒い瞳をした男ではありませんか。」


「なっ...!!」


ルシアはそんな男を知っているのかというほど真っ直ぐに具体的な特徴を口にした。

そして、それに心当たりのあったイオンたちが声を上げる。

けれど、ルシアは振り返ることなく、逸らすことなく、アリ・アミール皇子を見据えた。

アリ・アミール皇子の赤い瞳が見張られたことを見たルシアは途端に見られていることなど構わずに苦々しいほどに口を引き結んだ。


ああ、しくじった。

ルシアの胸中を埋めるのはそんな言葉ばかりであった。

悔しい、忌々しい、負の感情ばかりが一緒に渦巻く。

なんてこと。

たった10日。

けれど、10日の日々をこの皇宮で、アリ・アミール皇子の隣で過ごしてきたというのに。

今の今まで、あの()()()を聞くまで気付かないなど。


「...ルシア、知っているのか?」


「ええ、とても厄介な男よ。あの『悪魔』は。」


声を抑えるでも、神妙さを持たせるでもなく、いつも通りの口調でこれまた周囲など気に止めずに尋ねてきたシャーハンシャーにルシアは怖いくらいに目を吊り上げて、低くそう言い放ったのだった。


ちょっと、時は遡って王子の視点を入れようかな、と。

あまりにもあっさり行きそうなので......。


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