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409.その祈りは何処へ


「......。」


ああ、そんな顔はしなくても良いのに。

まぁ、これも想定として有り得たことを伝えていなかった私に非がないとは言えないけども。

ルシアは躊躇(ためら)いの為か、酷くゆっくりと扉を閉める青年の動揺に揺れる紫眼に向けて、安心させるようにとびっきりの微笑みを浮かべた。

上がる口角、細める瞳と長年意識して繰り返されてきたそれは絶妙な位置にあって、とても余裕ある様子が(うかが)えるものだった。

――今まさに閉じ込められようとしているのにも関わらず。


「 」


「!」


ルシアは最後のひと押しとばかりに声なき言葉をまだ躊躇のある青年へと送る。

ゆっくりと一文字一文字を噛み締めるように発せられたたった一言は、音がなくても彼にはちゃんと伝わったようでその瞳が見開かれる。

あんなにも事務的で無表情を貼り付けた人だったのにその表情の変わりようにルシアは少しだけ素で小さな笑みを溢す。

すると、青年は既に見開かれた瞳を最大限に丸くしてから、気を引き締めたように表情を落ち着かせた。

しかし、いつもの無表情とは違う真剣な顔である。


青年の先程まで躊躇いの見えた動きがしっかりとしたものに変わる。

いよいよ閉じられていく扉の隙間がルシアの小さな掌くらいになった時、ルシアは微笑んだまま、無言で(うなず)いてみせた。

ついにバタンと音を立てて、扉は完全にその動きを止めた。

外と内とがきっかりと遮断される。

続けて、無情なほどにはっきりとガチャリ、と外から鍵がかけられた音が冷たく響いた。


コツコツと二人分の靴音(くつおと)が遠ざかっていくのが扉越しに鈍く聞こえる。

最後、彼にあの頷きが見えたかは分からない。

けれど、ルシアはそれを気にすることはなかった。

ルシアにとって、それは然して気にする必要があるようなことではなかった。

少なくとも、彼が最後に浮かべた表情。

あれならば、見えていなくても大丈夫だと感じたから。


靴音すらももうほとんど聞こえなくなったところでルシアは静かに、然れど何の気負いもなく、扉の前から長椅子の方へと移動した。

沈黙が落ちる中、腰をかければ柔らかくも冷たい感触が伝わってきたのだった。


ルシアはそれすらも気にせずに両手を組む。

そして、祈るように自身の(ひたい)へと押し当てた。

まるで時を待つように。

そこに普通の祈りにある懇願や悲壮感はない。

ただ、あるのは静寂だけ。


けれど、その様子はどんな絵画よりも美しい光景のようだった。

着飾っては居るものの、宝飾品なども大振りのものはないただの少女がである。

ルシア以外は誰一人居ないこの部屋の中。

しかして、この光景が誰かの視界に映ることはついぞなかったのだった。



ーーーーー


「......。」


たった一人しか居ないこの部屋は身動ぎすらもしないからか、静けさが耳に痛い。

本当の無音は本当に音が何もしていないのか、それとも自分が聞こえていないのか、曖昧にさせて人を焦燥させる。

静寂は人に落ち着きを(もたら)すが、過ぎれば人を狂わせてしまうものだ。

ルシアは伏せ目がちにしていた(まぶた)を少しだけ持ち上げた。

きらりと(きら)びやかな部屋の調度品の輝きを反射させて、鏡のような灰色は不思議な色を揺蕩(たゆた)わせていた。

まだまだ静かな室内はそれでも(かす)かな衣擦れの音がその沈黙を緩和させる。


『......もう逃げる時期はとうに過ぎた。』


これはアリ・アミール皇子がルシアに向けて最後に言った言葉だった。

あの夜に聞いた言葉でもある。

ルシアを押し倒したまま、動揺が過ぎて茫然自失としていたアリ・アミール皇子は(しば)しの見つめ合いの後に顔を伏せたまま、ルシアの上から退(しりぞ)いて立ち上がった。

そして、ルシアに背を向けて扉の方へ足を向けてながら、そう言ったのである。

ルシアが長椅子から身体を起こしながら見たその背中はとても、哀しい背中だった。


ルシアは(なか)ば叫ぶように彼の名を呼んだ。

演じていた地位の名称ではない、彼自身の名前を。

引き留めるような、咎めるような、そんな声は言わずには居られないと勝手に口から飛び出たものだった。

けれども、アリ・アミール皇子は止まらなかった。


動揺が消えた訳ではない。

その赤い瞳はまだ揺れていた。

けれど、それでも足を止めることはしてはいけないと何かに強制されるように彼はルシアに背を向けた。

一度でも振り返れば、これ以上、ルシアに向き合えば意志が鈍るとばかりに(かたく)なに視線を合わせることなく。

彼は控えていたハサンに一言、部屋の施錠とルシアを置いていくことを言い置いて、もうこの部屋には居たくないとでも言うように廊下へと続く扉を(くぐ)っていった。


ルシアはそれを眺めていた。

反論することはせずに、けれど責めるように真っ直ぐにその背中からは視線を逸らさずに。

ハサンは戸惑(とまど)いを前面に出して、けれどスパイとして居る以上はまだ彼の指示を無視することは出来ないが故に眉を下げたまま、扉を潜っていく。

長椅子から立ち上がって、今度は彼と対峙するようにルシアは扉の内側で足を止めた。

それはここで無理やり外に出ても非力な自分では押し戻されるのが目に見えているから。

けれど、ルシアは焦ることなく、そこに立ち、彼らを見送ったのである。


『 』


『!』


ルシアは最後に見たハサンの表情を思い浮かべる。

彼はアリ・アミール皇子を気にかけていた。

そして、手出しはルシアに制止されながらもアリ・アミール皇子の吐露を特等席で聞いていたのも彼だ。


この状況で彼はアリ・アミール皇子をどう思うだろうか。

兄の為に自分の命すらも()す健気な弟と見るだろうか。

それとも、心を凝らせて彼の願う通りにただの反逆者として見る?

ハサンはどうするのか、それはルシアにも到底、分からないけれど。


『私は大丈夫。貴方は貴方のしたいと思うことを。』


きっと彼なら、ハサンならその言葉通りにやり遂げてくれることだろうから。

ルシアは再び灰の瞳を伏せた。

揺蕩う不思議な色が瞼の下へと閉じ込められた。


結局、アリ・アミール皇子は制止を聞かずに謁見の間へ向かった。

ルシアとの会話でそこで何が起こるのか、理解していながら。

ルシアを人質にすることもなく、ただ後は極刑が下るのを待つ犯罪者のように。

己れの終わりを悟りながらもその役目を全うする強敵の悪役のように。


皇宮の第一皇子宮区域内の中でも奥の方に位置するある一室。

再び耳に痛いほどの沈黙と薄暗さに支配されたこの空間で少女はたった独り、祈るように組んだ両手を己れの額に押し当てて、来る時を待っていたのだった。


いや、気が付いたら100万文字来てたことにびっくり。

皆様、よくお付き合いくださいました。

今後もよろしくお願いします!


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