405.獅子は激情に赤を揺らす
ルシアは目の前で人の表情が抜け落ちる瞬間を見た。
無表情というよりはただただ無の顔をしたアリ・アミール皇子は人から見れば、それは怖い顔をしていることだろう。
ただの無表情を見るより恐ろしいと感じるだろう。
しかし、その程度で美人の迫力ある能面顔くらいで恐れるルシアではない。
「わたくしは貴方自身に聞いております。肩書きではなく、貴方に。どうして、こんなことを?」
どうして、第一皇子の振りを。
成り代わりを。
反逆を。
今にも言外にそんな副音声が聞こえてしまいそう。
それはルシアの意図しての発言だった。
「......口が過ぎるぞ。」
「まぁ。貴方はわたくしが何を尋ねているのか、理解されているのですか?」
重ねるように紡がれたルシアの言葉に対して、アリ・アミール皇子は低く吐き出すように答えにならない返答をした。
それにルシアは今回は堂々とした態度で煽るつもりしかないような言葉を選んで口にする。
アリ・アミール皇子の反応からその問いかけが正解であることに気付いているというのに。
これはいつだかのやり取りと同じであった。
ルシアがアリ・アミール皇子を怒らせる。
だって、それが一番手っ取り早く、そして人の素を引き出せる方法だから。
けれど、この場の空気はあの時とは違って、怒気をその赤い瞳を宿し始めたアリ・アミール皇子ではなく、ルシアによって支配されていた。
只ならぬ緊張感にルシアは後ろで息を詰めて、一番の特等席でこの場面を見ることになった青年に振り向くことなく、片手で制止の合図を送った。
勿論、正面のアリ・アミール皇子には気付かれぬように。
青年が詰めた息を整えるように無理やり吐き出した音をルシアは聞いた。
ルシアを睨むように凝視するアリ・アミール皇子は聞こえていなかったか、若しくはこの状況下でそちらに割く意識がなかったのか、ハサンに注目が行くことはなかった。
ルシアは一人でアリ・アミール皇子と対峙した。
怒れる獅子が目前に居るにも関わらず、ルシアは微笑みを崩さない。
これは作戦に無理を言って追加してもらった時から決めていた、予想していたことだった。
それでも、ルシアはここでアリ・アミール皇子の本音を引き出そうと決めていた。
だから、ここに来る前にも伝えてはいたのだ。
ハサンにはこの部屋の中で何があっても手出しをするな、と。
その立場が露見するようなことはするな、と命じる声音でルシアは告げていた。
そして、この区域の外で待っているだろうクストディオにもまたあることを頼んでいた。
「ねぇ、そうまでして......兄、に牙を剥いてまでして手に入れたいと思うほど、貴方にとって玉座はそんなに魅力のあるものなのかしら?」
「貴様...!」
ついにルシアの畏まった口調が崩れて告げられた核心を突く言葉にアリ・アミール皇子はかけていた椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。
美麗な顔が歪む。
「ええ、知っていました。わたくしは知っていました。知った上でこの皇宮に、この部屋に来たのです。貴方に尋ねる為に。どうして、そうまでして...こんな大掛かりで大それたことをしてまで貴方は何を欲しがっているのか、と。」
そんなことを、と人は言うだろう。
王子たちもルシアの目的が、まさかこんな方法で行われるとは思っていなかったに違いない。
もし、知っていたならそれこそ私を気絶させてでも止められただろうから。
案外、シャーハンシャー辺りはこの追加を告げたことで勘付いたかもしれないが、彼はそれを含めて、私の行動を後に知った王子の反応までを予測し楽しんでいると思う。
「...貴様の問いに答える必要があると思うのか。俺が答えてやらなければならない道理があると?わざわざ聞きに自らやってきた貴様に敬意を表して?何故、そうしてやらねばならん。相手取ってやらなねばならん。今、ここで貴様の細首を絞め殺すことも出来るのだぞ。貴様は今、自身がどういう状況下に置かれているのか、分かっているのか。」
低く、低くアリ・アミール皇子は歪んだ顔をまた無に帰してそう一言一言、言い聞かせるように言い捨てながら、つかつかとゆっくりと、然れど靴音をはっきりと響かせて、ルシアの前に移動してきた。
ルシアの首にアリ・アミール皇子の片手が添えられる。
男性らしいその大きく骨ばった手は片手でも充分、彼の宣言通りにルシアの首を絞め殺すことが出来るだろう。
しかし、ルシアはそんな状況になっても避けることもその添えられただけの手を払い退けることもせずに微笑みを持って、こちらを見下ろす男を見上げた。
「勿論、理解しておりますとも。それでも問うのです、アリ・アミール殿下。」
ピクリ、とアリ・アミール皇子の手に力が入ったのをルシアは直に感じ取った。
赤い瞳が激情に揺らぐ様子を見上げる。
あのよく似た紅が同じ色を宿すところは全く想像出来ないのに、今目の前で見ている赤がその色を浮かべる様子は想像出来ていた。
「ねぇ、まだ答えを聞いていないわ、タクリードの第二皇子アリ・アミール。こうまでして、シャーに成り代わるのは。玉座を、皇帝の座を狙うのは。本当に貴方がこの国の王になりたいからなの?」
ルシアはアリ・アミール皇子の返答を聞きながらも、急所を相手に押さえられているこの状況下でそれでも強気にそう言った。
鏡のような銀色に近い灰色の瞳は射貫くように、そして轟々と炎の色をただ純粋に映していた。
投稿予約かけて初めてもうクリスマス・イヴなんだと気付きました。
最近、日付感覚が完全に馬鹿になっている作者ふゆのです。
本格的に調子が戻ってきて不敵なルシアですが、己れを顧みない辺りは前々からあったので。
の、今回。
さて、どうなることやら。




