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399.赤と青が交わる(後編)


「――貴様は俺に同腹の兄弟が居ることを知っているな。」


いつまで視線を交わし合っていただろうか、どちらも逸らすことも(まばた)きすることもなく、緊張感すらも置き去って出来上がったその空気はアリ・アミール皇子が目を軽く伏せたことで終わりを告げた。


「...第二皇子、殿下のことでしょうか。」


次の瞬間、アリ・アミール皇子から吐き出された言葉にルシアは静かにそう返した。

今、どうしてそれを、とルシアは聞くことをしなかった。

それはそのほんの少しの無駄でも今のこの空気を壊してしまいそうだったから。

ルシアは今、この時が自分の一番知りたい何かを知れる最大のチャンスだと感じ取っていた。

そして、ルシアもまた説明を頭の隅では欲しても、その疑問をアリ・アミール皇子にぶつけようとは一つも思えなかったのである。

アリ・アミール皇子は肯定とも否定ともつかぬ態度でルシアの返答の答えを紡ぐ。


「......当の昔、まだ俺が、いや、俺たちが幼児であった頃。あの庭園は既に(さび)れ、人が寄り付かず、俺たちの恰好の遊び場だった。」


訥々(とつとつ)と、語り聞かせるようにアリ・アミール皇子が口を開いたのを、ルシアは静かに息の音すら邪魔というように(ひそ)めて、聞いていた。

昔の話だ、と始まったそれは今の状況が噓のようにそれはそれは穏やかなものだった。

手入れがされずに草木の伸びるままになった庭園をそっくりな二人の少年が駆ける。

寂れた庭園もその少年の片割れの10歳前後の姿も目にしたことのあるルシアはとても鮮明にその光景を思い浮かべる。


「他にも皇宮の様々な場所を遊びの場としたがな。俺たちが飽きず、過ごした場所は後にも先にもあの場所だけだ。」


「...大事な場所だったのですね。」


どう答えて良いものか、いや、これは私の意見など求められていないと正確に察して、当たり障りのない相槌をルシアは打ったのだった。

でも、本心だ。

たった一言、二言だったが、その節々から少量だけど、寂寥(せきりょう)をルシアは感じ取ったから。

懐かしんでいるのだろうと。

思い出の詰まるからこそ、あの庭園が大事な場所なのだろうと。

しかし、その相槌にアリ・アミール皇子が答えることはなかった。


「貴様も気付いているだろう。今、この皇宮の何処にも俺の片割れの姿がないことを。それもこの時期に。そして、それがどういうことかも。」


「...そういえば、一度もお見掛けしておりません。」


突如と変わった内容に、そしてそれが込み入った内情であることにルシアはひやりとしたオーラを感じながら、少しだけ空惚(そらとぼ)けたように返答した。

白々しさが前面に出ていたが元来、隠し事の出来ない無垢な令嬢としては完璧であった。

この場合、知らない、気付いていないという返答はあり得ない。

だって、ただの令嬢として過ごしたこの4日間の中で第二皇子の話は何度も口頭に上がっていたから。


誰もが気付いていない振りをしながら、第二皇子が居ないことを、それが第一皇子の手によるものだと(もっぱ)らの(うわさ)であった。

いくら、無垢で無知な令嬢であれど、回りくどい言い回しで伝えられたそれの意味が分からないなんてことはない。

本当の意味では理解していないかもしれないが、それでもこれがおいそれと話して良い話ではないと感じ取ることだろう。

何より第一皇子の振りをしたこの皇子の前では特に。

だから、白々しくも(にご)した返答をした。


「昔は仲が良かっただろうに何故、とでも思ったか?」


「い、いえ......気にならないと言えば、噓になります。」


皮肉げに告げられたアリ・アミール皇子の言葉にルシアは咄嗟に否定を口にしたところで我に返って、素直に本心を吐き出した。

ルシアのよく知るシャーハンシャーという青年は肉親だろうと、共に母の腹から産まれ落ちた片割れだろうと、それだけでは情をかけない人物だ。

仲が悪い今を普通と思うことこそあれど、昔は普通の兄弟のように仲が良かったという方が違和感を覚えるほど。

しかし今、目の前で過去を語ったアリ・アミール皇子は兄よりも分かりやすく、その表情と声音だけでそれが本当なのだとルシアの心臓に訴えかけた。


なら、何故、と。

思うことは普通のこと。

でも、王族や貴族にとって継承権による兄弟仲の悪化もまた、あまりにもよくある話であった。

それをルシアは今までに見飽きるほど見てきた。

それでも、アリ・アミール皇子の心の内が、彼の素の感情が聞ける気がして、ルシアはそう答えたのだった。


しかし、いつまで経ってもそちらから問いかけたというのにアリ・アミール皇子は口を開かなかった。

ルシアは先程までと打って変わって、気不味そうにこちらをじっと見下ろす赤をそろりと見上げた。


「――皇帝とは。」


「はい...?」


沈黙が落ちかけた中で空気を揺るがしたのはそんな言葉だった。

要領が掴めず、ルシアは首を(かし)げて尋ねるような視線を送る。

見返してくるのは(わら)うでもなければ、怖いものでもない、真剣なようで何処か遠くを見ているような掴みどころのない瞳。


「貴様は皇帝とはどのようなものか、想像出来るか。」


今度こそ、アリ・アミール皇子は先程言いかけたのだろう言葉を完成させて問いかけた。

ルシアは真意が掴めずに口籠る。

今、彼はアリ・アミール皇子は何を思い、考え、この問いを訊いているのだろう。

ルシアは探るように見つめ返す。

あるのは赤だ、赤い色。

あの(ひる)むような紅ではない。


「皆の上に立ち、導く者...でしょうか。」


最高権力者、一番偉くて豪奢な生活を送る人。

そんな馬鹿げたことをルシアは口に出来なかった。

例え、何も考えずに自分の地位を享受するだけの貴族はそう思っているのだと知っていても、この神妙な空気の中でそんな馬鹿げたことをルシアは口にすることが出来なかった。


だからといって、その場に近いところに居るからこその視点を告げる訳にもいかず、ルシアはそう答えたのだった。

それはルシアの意思と本心、そして扮する無垢で無知な令嬢、それをぎりぎりのところで保った解答。

今度はこちらの真意を探るようにアリ・アミール皇子がルシアの瞳を覗き込むように見つめる。


「......皇帝とは孤独に生きる者を言う。最も自由のない者の名称だ。」


「......!」


ふいにアリ・アミール皇子の視線は逸らされて、彼はくい、と(そそ)がれたままだった手元のワインを飲み干した。

そして、そのまま空になったグラスを手遊(てすさ)びしながら、そう溢した。

ルシアは目を見開いた。

それは思いがけない言葉だったから。

彼がそれを承知しているとは思わなかったから。

否、もしそうであっても口にするとは思っていなかった言葉だった。

しかし、何度まじまじと見つめてもそれを言ったその横顔は変わらないでそこにある。


「...それでも玉座をお目指しになるのですか?」


第一皇子だから当たり前。

そんな分かり切ったことを、と言われるようなことをそれでもルシアは聞かずには居られなかった。

だって、そうと知っているのにそれなのに。


「ああ、皇帝になるのは俺だ。誰にも譲りはしない。逃げる時期はとうに過ぎた。」


もう戻れない、あの頃には。

そんな言外の言葉をルシアは聞いた。

例え、それが正しいことでこれが過ちだったとしても、己れに破滅を呼ぶだけだったとしても、戻る訳には、引き返す訳にはいかないのだと、グラスに落とされた視線が、少し背が丸められた座姿が、声音が、赤が、全身で彼はルシアに伝えていた。


「貴様に貴様の意志があるように、彼奴(あやつ)には彼奴の意志があるように、俺にも俺の意志がある。そういうことだ。」


その言葉は今までのどの言葉よりも感情が思いが篭っていて、そしてその姿はやはり何処か寂しげにルシアの紺青に染まった瞳には映ったのだった。


噓を吐く時は真実を混ぜること、上手く明言を避けて噓にしないこと。



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