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398.赤と青が交わる(前編)


ルシアは今、夜も更けるバルコニーに立っていた。

目前には一番本音で話がしたくて、でも今は一番会いたくなかった赤い瞳のその人。

愉快そうに(ゆが)められた瞳が柵に座っているからか、いつもより近くでこちらを見下ろしていた。

けれど、どうにもルシアにはその笑みが不快さからくる表情のようにしか、見えなかったのだった。


「――お前、何処まで行っていた?」


「......皇宮の外れの方まで足を運ばせていただきました。あちらの奥の方です。(さび)れた庭園のある。」


ゆらゆらと、ゆらゆらとルシアの丁度、視線上で男性のものには違いないが、しなやかさを思わせる指先がグラスを、その中のワインを揺らしていた。

ルシアは視線を意識して、それに固定していた。

だから、目の前の人物がどんな顔でそんな問いかけをしてくるのかは見ることはなかったのだった。


ルシアは手招きされるままにバルコニーへと踏み出して、逸らされることなく、こちらを射貫くような視線にやや間を置いてから歩き出して柵の上に腰掛ける彼の目前で立ち止まった。

遠くからでは見えた彼の顔も近付いたことでルシアの視界から外れる。

彼の顔をルシアは見ようとはしなかった。

それは勿論、顔を見せるなと言われたこともあるが、ルシアが今、軽装であったことも理由にある。


彼とここに来る以前に接触した覚えはルシアにはない。

あったら、いくらタクリードの貴族令嬢が顔を隠すのだと言っても、こんな作戦を立てることはなかっただろう。

とはいえ、ルシアも立派な公人である。

こちらが認知していなくとも、何処かで知られている可能性はないとは言い切れないのである。

後は近付く前に見た彼の表情がどうしてもルシアにその気を失くさせていたのであった。


ルシアは彼の――アリ・アミール皇子の問いかけに答える。

それは真実であった。

何が、とは言わないが、()いて言うなら何処に、ではなく、何処まで、という言い回しに意味もなく、感じ取るものがあったからである。

果たして、それが正解だったのかは明かされることはなかったのだった。


「――ほう?それはまた、随分と遠くまで出歩いたものだな。普通ならば、とっくに衛兵によって部屋へ連れ戻されていたであろうよ。」


「...わたくし、運だけは良い、ということでしょうか。」


悪運が、とは言わなかった。

それに十中八九、というよりはルシアもそれを知った上で移動順路を決めたので間違いなく、ルシアが誰に会うこともなく、あの皇宮外れにある寂れた庭園に行って帰って来れた一端を(にな)ったのはこの目前に居るアリ・アミール皇子その人である。

この第一皇子宮には使用人を始めとした人が極端に少ない、それが答えだった。


「ふ、運が良いか。まぁ、俺に見つかる程度の運だった訳だが。」


「......。」


そうですね、とも、チャンスだった、とも言えず、ルシアは何と言おうか、言葉が見つからなくて困った令嬢のように微笑を浮かべてみせたのだった。

まぁ、言葉が見つからなかったこと自体は本当でもある。

そして、アリ・アミール皇子の言葉に関しても一言、やっぱり前述に思い浮かべた通り、運は運でも悪運だからね、で全て納まる話であった。

言える訳がない。


「......第一皇子殿下はあの庭園に何か思い入れが?」


ふと、ルシアはそんな言葉を口に衝いて出した。

それは気不味い空気の中でずっと無言は居たたまれないということでもあったし、ここまで来たのならば、出来る限りのやれることはやろうという魂胆であった。

少なくとも、今回のこれにタイムリミットがあることをルシアは承知していた。

(ひとえ)に帰りが以上に遅くなれば、己れの護衛たちが迎えに来ない訳がない、という信頼である。

タイムリミットがあるのならば、限られた時間で最大限の成果、若しくは雲行きが悪くなってもそこまで引き延ばすことが出来れば、こちらの勝ち。

そういう余裕もあって、ルシアは自ら口を開いたのだった。


「何故、そう思う?」


ピタリ、とアリ・アミール皇子は動きを止めて、ルシアを見据えた。

ルシアはそれに視線をうろうろと彷徨(さまよ)わせた後に遠慮がちに見返して、返答を紡いでいった。


「わたくしが方向を指し、寂れた庭園と申しただけでどちらのことか、お分かりになったご様子でしたので。あと、......。」


「何だ。」


「少しだけ声音が、懐かしんでおられるように感じました。わたくしの勘違いだったのならば、申し訳ございません。」


ルシアは理知的な根拠となろう説明と共に自分の感じたことを語った。

説明については(もっと)もらしい理由付けとして口にしたが、感じたことに関して言えば、ルシアは本当にそう思ったのである。

その揺らぎが探りを入れるのに有効だろうと思ったのも、それが自分の知りたいことに繋がるだろうと思ったのもまた、ルシアには妙な確信があってのことだった。


いつの間にか、ルシアは赤い瞳を伏せ目がちでこそあるものの、真っ直ぐに見返していた。

彼の皇子の怒気を(はら)んだ目に怯えてみせた令嬢はここには居なかった。

ルシアの正面ですん、と表情が抜け落ちて真顔になった兄そっくりの整った顔がこちらもまた、真っ直ぐに星空を溶かした瞳を一時として逸らすことなく、見つめ返したのであった。


これまた前後編の前編ですみません。

ルシアとアリ・アミール皇子の対話、どうなることやら。

今回は短めです。


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