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38.For me カモミール


「...寝た、か」


カリストは自分の横で眠りに落ちている少女を見やる。

その姿は結婚初夜から幾度となく見てきたものの、先程まで灯りに照らされていた灰の瞳がしっかりと閉じられ、その色合いを(うかが)えないことを不思議に思う。

今、揺り起こせばあの光の揺らめく不思議な色合いをした灰色が顔を覗かせるだろうか。

あの鏡のように周囲の景色を、その色を取り込んでは移ろう瞳は紺青に染まるだろうか。

目の前の少女へと手を伸ばす。


「...っ、何をしているんだ。俺は」


カリストは無意識に伸ばした手をシーツの上に落とした。

たった今、眠りに就いたのを確認したばかりだというのに起こそうとするなんて。

彼女はまだ10歳の少女だ、ただでさえ夜更かしなのを俺に気遣って寝そうになかった彼女をこれ以上、起こしておくのは健康に悪いと思ったからこそ一緒に寝室へと来たのに。


大体、この少女は無防備極まりないのだ。

いくら俺にその悪癖がなくとも、いくら事実に夫であろうとも男の隣で、その男の寝台で、そう簡単に眠りに就くなんて、いくら何でも警戒心がない。

まぁ今回、すぐさまルシアが眠りについたのは俺が意識のある人の前で寝られないと知ってのことだろうが。

それでもこうも容易(たやす)く寝顔を(さら)さないで欲しかった。


それだけではない。

警戒心が甘い癖に危険には自ら突っ込んでいく悪癖とも言える彼女の行動は見ていてハラハラするなんて程度では済まない。

この俺が振り回されているのは分かっているのに対処出来ないのは本当にこの少女だけだ。


何かあれば一人では何も出来ない脆弱さをしているのに変なところで頭が良く、冷酷な思考も読んでみせる。

他人へ警戒心を抱くことを知らぬまま生きてきた甘やかされた深窓の令嬢かと思えば、一通りの苦難を生き抜いてきたかのような達観した瞳でまるで大人のような顔をして人を(さと)す。

甘くて冷淡で早熟で大胆で芯が太く、自分の為と言いながらその根っこは何処までも利他的に動く。


これまでにも彼女はこの俺に警戒心を解くな、と言い募り、俺をお人好し扱いしてきたが、本当にお人好しなのは果たしてどちらか。

俺は少女が言うほどお人好しではない。

敵とあれば切り捨てるし、今までだって身を守る為に幾人が犠牲となったことか。

いつだって自分の命一つを守ることで精一杯だった。


「ルシア...君は俺と違って、いとも容易く人を救ってみせる」


この少女の無邪気さに、頭脳明晰さに、どれだけ俺が支えられたかこの少女は露とも気付いていないに違いない。

人の機微(きび)を読むことに長けていないどころか得意としているのにこの少女は自分へ向けられる悪意ある感情以外の感情にはとんと鈍い。

何ともアンバランスで掴みどころのない少女。


「どうりであのイオンがああも言うことを聞いてべったりと張り付いている訳だ」


イオンこそ根の部分は酷く冷たく、他人に気を許すことのない冷徹な側の人間だ。

そんなイオンですら救って振り回しているということなのだろう。


一人で突っ走っていかれる方がずっと心臓に悪い。

カリストが今感じている感情をイオンも感じているに違いない。

さて、もう既に熟睡しているようだし、居間に戻って作業を始めても起きないだろう。

カリストの突いた片手が柔らかい寝台に沈むが、ルシアの起きる気配はなし。


「ん?」


カリストはそのまま立ち上がろうとしたが、何かに引っ掛かって中途半端な体勢で寝台に縫い止められてしまう。

視線を向けるとカリストを縫い止めていた正体はルシアの手。

彼女の小さく白い手がカリストの夜着の端を掴んでいた。


『おやすみ、カリスト。...抜け出したりはしないでね』


彼女の眠りに落ちる直前に放った言葉が脳裏に(よみがえ)る。

ああ、本当にこの少女は。

是が非でも俺を仕事に戻らせたくないらしい。


「......仕方のない奴だな」


何処までも突き抜けたお人好しはやっぱりこの少女の方だ。

それほど力強く握られている訳ではないこの手を(ほど)くことは容易いが、カリストはそんな気一つも起きなくて、そのまま力を抜いて寝台へと再び沈み込んだ。

今日は彼女に従ってもう寝るとしよう。

ああ、久しぶりに睡魔を感じている。

きっと明日は気分良く目が覚めるだろう。


今まではいくら寝ている相手だとしても完全に一人でないと眠る気になれなかったのに。

彼女の言う通り、自分も随分と(ほだ)されていたらしい。

カリストは苦笑交じりにルシアの頭を一撫でしてからその青い瞳を閉じたのだった。



カリストが熟睡を始めた頃、ルシアは軽く身を起こして隣で眠る彼を見下ろした。

その衣擦れの音に彼は反応を見せないほど眠り込んでいる。

今、暗殺者が来たら一溜りもないだろう。

ルシアの目には彼の目元の薄らとした黒い影が映っている。


「...仕方のないのは貴方の方でしょ」


ルシアは一言、そう呟いて再びベッドに横たわったのだった。


※今回はカリスト視点となっておりますが、最後だけルシアの視点です。


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