37.For you カモミール
「嫌な予感ほど当たるってよく言ったものよねぇ」
ルシアは自室のベッドの上で窓から射し込む月明かりに照らされながら、昼にイオンから聞いた内容について熟考していた。
生物の生存本能に基づいた結果にせよ、げんなりするものはげんなりする。
先日、図書館でイオンに頼んだことで齎された情報は中々にカオスだったのだ。
魔窟こと王宮内でのごたごただけでなく、国境付近でも俄かにごたごたし始めていることが分かったのである。
こうも早々にきな臭いと今年は多忙になるよ、と告げられているようで嫌だ。
そりゃあ、小説なら次から次へと事件が起こるだろうけどここは私にとって現実なんだから手加減を求む!!
国境でのごたごたについては、ついにスラングのスパイを発見、最終的に自害されて情報を持ち出しこそされなかったとはいえ、こちらも証拠をみすみす失ってしまったという結果らしい。
本格的なスラングの動きに周辺諸国もピリピリしているようで貿易が慎重になっている。
スラングがイストリアに、延いては大陸西方の国々に侵入出来るルートは主に三つ。
一つ目は、その名の由来が示す通り、元々スラングからの攻撃を防ぐために建てられた城砦の騎士によって興された砦の国アルクス。
彼の国は荒野と大陸東方を遮る壁のように南北に伸びており、一番荒野に接している国だ。
二つ目は、南方に広大な国土を持つタクリード。
タクリードは地質としても荒野に近く、正確な国境が定まっていない節がある。
最後に、アルクスとタクリードの丁度、間にイストリアの国境の一部がある。
とはいえ、どれも古くからの侵入経路として十分厳重警戒体制が施されているので侵入は難しいはずだ。
「...もしくは竜の尾から?」
竜の尾とはイストリア東方の国境にもなっている渓谷だ。
それはアルクス、一部を荒野と接しており、まず越えられない。
それ故に、それさえ越えてしまえばイストリアに入り込むのは容易だ。
とはいえ、竜が叩き付けた尾によって引き裂かれたと逸話の残る大渓谷。
それこそ、空を駆ける竜の背に乗る以外に渡ることは出来ないだろう。
竜人族は長年、スラングとの諍いを治めてきた。
いくら、彼らがイストリアを見限ったとしてもあちらに協力することはあり得ない。
それは彼らにとってここが思い入れのある地であり、その者によっては己れの番が住まう場所だからだ。
そんな場所を戦場にしかねないことをするほど竜人族たちは愚かではない。
...だから、考えにくいけどスラングに竜の尾を越える能力がある可能性も一つとして考慮しておくべきだろうか。
そこまで考えたところで、ルシアはひりつく喉の感覚に唸った。
あー、考え過ぎて喉が渇いた。
「後は寝るだけだし、一杯だけ飲んで寝よう」
そうして、ルシアは寝室から続く居間への扉を開いたのだが、明かりに目が眩みそうになり、手を掲げて己れの目を庇った。
何でまだ明かりが点いてるんだ。
「...カリスト」
「!...ルシアか。どうした、こんな深夜に」
その明かりの正体は絶賛、残業中の王子だった。
ソファの肘掛けに頬杖を突いて、サイドテーブルに煌々と灯る燭台を置いて、書類に目を落とす王子に呆れて声をかける。
「目が覚めたから喉を潤しに。...貴方が最近、頓に忙しいのは知っているけどあんまり睡眠時間を減らすのは身体に良くないわ」
いや、もうほんとに。
睡眠時間はショートスリーパーの人も居るけれど、あまり削るもんじゃない。
結局、パフォーマンスは落ちるし、不意に大きな付けを払う羽目になることがある。
王子が内に外にと忙殺されているんだろうと容易に想像出来るし、元々、睡眠不足気味、睡眠の浅い生活を過ごして来たんだろうけど。
ルシアはそう言いながら部屋の隅に後から増築されたことが分かるほど部屋の調度に合っていないミニキッチンの戸棚からカップとポット、お湯を沸かす準備を始める。
このミニキッチンはルシアの指示によるものではなく、元から存在していた。
こういう主に夜中や早朝などに従者の手を煩わせないように王子によって増築されたらしい。
王子の私室にミニキッチンってどうなのよ、と思うが結構重宝しているのでルシアとしても取り外す予定はなし。
「はい、どうぞ。私の淹れたカモミールティーで良ければ」
「ああ、ありがとう」
ルシアはカモミールティーを淹れたカップを両手に持ってソファに近付き、片方を王子に手渡し、もう片方は手に持ったまま王子の隣に座った。
カモミールティーは落ち着くのに丁度良い。
「これは何の資料?と聞いて良いのかしら?」
「...国境付近が騒々しい件と後はここ最近の毒物混入の件やその他、王宮内での事柄をまとめた物だ」
薄々そうではないかと思っていた内容ではあったものの、あっさりと答えた王子に教えて良いのかという顔でルシアは見返すが、慌てた表情一つ見せないどころかルシアへ書類を手渡してくる。
「イオンを動かしていたようだし、どうせ君もある程度は掴んでいるんだろう。なら、情報共有した方がまだ行動が読める」
「...それじゃあ、私が今度も勝手に巻き込まれそうだと言っているように聞こえるんだけど」
「違うのか?」
「......」
違うとは言い切れないのが何とも痛いところである。
「早く解決して多忙が落ち着くと良いわね」
ルシアは粗方の書類に目を落とした後、カップ二つを軽く洗い上げたところでふと、立ち止まった。
「どうした?」
「そういえば私、未だにあの部屋で寝起きしているけど良いのかしらと思って。だって、貴方の部屋よね?」
もう部屋に引き上げようとして思い出した。
普段、ルシアが寝起きしているあの寝室は王子の部屋だ。
この私室には居間を挟んで続きの間にちゃんと王子妃の寝室がある。
最初はルシアもそちらを使用する予定だったのだが、結婚初日くらいは共寝する方が良いだろうということで王子と王子のベッドで寝て、その後は王子がルシアより遅く寝て早く起きている為、いまいち同室の同ベッドを使っている感覚がなくそのままズルズルと居座っていた。
「別に君の部屋ではない訳でもないし、俺は気にしていない。ルシア一人、一緒に寝たところで手狭になるほど狭くもないしな」
「そう、...なら良いけど」
ルシアと違って人の居るベッドに、それも彼の方が気配に敏感なはずだから、寝づらく思っているのではないかと思ってのことだったけど王子の表情は本心のようである。
「...寝ないのか?」
それでもまだ居間に留まるルシアに王子が声をかける。
時間は既に真夜中だ。
「...目の前に私より仕事している部屋の主が居るのに、先に寝るのは少し気不味いと思わない?」
「......分かった、俺も寝よう」
ルシアの一言に王子はさっさと書類を片してしまう。
その行動の速さにルシアは目を瞬かせる。
「...良いの?」
「最初に提案したのはルシアだろう」
いやまぁ、そうだけど。
急ぎだったから残業してたのでは?
「急ぎの物は終わらせている。...ほら、寝るぞ」
ルシアの意思を汲み取ったように続けた王子は寝室との扉を開く。
ルシアは慌てて駆け寄ってその扉を潜り抜けた。
「おやすみ、ルシア」
何の躊躇いもなくベッドに潜る王子に続いてルシアもベッドへ上がる。
うん、隣に王子が寝転んでいるのは新鮮だ。
じぃーと見つめるが何も答えてくれる気はないようだ。
...先に寝ないと寝づらいよね。
本当にいつ無防備が死に繋がるか分からない不憫な子だ。
「おやすみ、カリスト。...抜け出したりはしないでね」
ルシアは少し手を伸ばして王子の頬を撫ぜてから、目を瞑ったのだった。




