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379.綯い交ぜの感情

※前半はルシアの視点で、後半はカリストの視点になっています。


ルシアの頭の中はこれ以上なく、混乱で渦巻いていた。

まずは後ろを付いてきていると思っていた王子に振り返れば元居た位置から動いておらず、加えて何処か焦燥の滲む顔をしていた王子と視線が噛み合って、目を丸くした。

そして、その驚きを理解するよりも早く、一気に空いてしまった距離を詰めるように、ほぼ駆け足で近付いてきた王子にその勢いのまま抱き締められて。


あまりに急な出来事で私は思わず、口から小さな声を吐き出した。

しかし、それが聞こえていたはずの王子の腕は緩むことなく、むしろ、息苦しさを覚え始めるくらいに徐々に強まっていく。

王子に抱えられたりすることは慣れていると言えるくらいには日常だ。

しかし、こんなにも強く閉じ込めるように抱き締められるのは初めてだった。


長身で武人である王子が一般的な令嬢と変わらぬ体格のルシアを力一杯に抱き締めれば、ルシアが痛い思いをする可能性は決して低くないだろう。

きっと、言葉では言わないけれど、王子はその辺りの手加減をずっとしてきていた。

私が息苦しくならないように力に制限をかけて、且つ包み込むように。


「...んっ。」


ルシアはどうにか息苦しさを緩和させようと無意識に身動いた。

決して、王子の腕から逃げ出そうとした訳ではない。

しかし、王子の腕はルシアの身動きを感じた途端にぎゅっと力を篭められて、ルシアは一瞬、息を詰めさせる。

その際に鼻から抜けたような声から冷たい砂漠の空気に落ちたのだった。


「カ、カリスト...痛いの。ちょっとで良いから力弱めてちょうだい。」


骨が締め付けられる感覚を味わいながら、ルシアは(ようよ)うの(てい)で訴えた。

すると、ほんの少しだけ締め付ける力が弱まって、ルシアは一つ息を溢した。

とはいえ、到底抜け出せないほどの力で抱きすくめられていることには変わらないのだけども。

なのに、ほんの(わず)かでも身動きすれば、また力が強められる。

結局、ルシアは混乱から抜け切らないままだったが、状況を掴み切れないままに安心させるかのような宥めるかのような仕草で王子の腕を一切の思考を放棄して撫で続けたのであった。



「......。」


どれくらい、こうしていただろうか。

ルシアは王子の肩口に合わせて、上向きに逸らされた(あご)を引くことも出来ないまま、満天の星空を見上げていた。

時間が経つに連れて、ルシアの放棄していた思考は戻ってきており、混乱からも抜け出していた。

ただ、王子の腕の中からは(いま)だに解放されていない。

しかし、一心不乱に逃げないからと伝えるように彼の腕を撫で続けていたからだろうか、己れの身体に回されているそれに篭められている力は普段よりも少し強いくらいまでには落ち着いていた。


「...すまない。」


「...そう、言うのならこれを外してから言って欲しいわね。」


あまりにも続くようならそろそろ天幕へ戻るように声をかけなれば、と考えていた矢先であった。

ぐりぐりとルシアの肩口に頭を埋めながら、王子は絞り出すようにそう言った。


ルシアは首元を掠めるさらさらとした金髪の(くすぐ)ったさに少しだけ首を(すく)めながら、返答を返した。

少々、呆れの篭った声だったことは責めないで欲しい。

ルシアはとんとんと先程まで撫ぜていた王子の腕を軽く叩いた。

しかし、王子は黙ったまま何も答えず、腕に入っている力を緩めらず、ルシアは嘆息に近い息を吐き出したのだった。



ーーーーー


「ねぇ、カリスト。...どうしたの?」


カリストは急に抱きすくめられたというのに自分の腕の中で優しく腕を撫でて落ち着かせようとまでしてくるルシアの声を耳元で聞いていた。

その声はいつもより(つと)めて穏やかにしたようなこちらを安心させるような声色をしていて、酷く心地良く、ずっとこうしていたい気持ちにさせてくる。


頭では天幕へ戻る為に呼びに来たのだとか、そろそろ戻らなくては明日のことも、何より砂漠の夜の冷たい空気に彼女を(さら)し続けることも良いことではないと解っているのに、身体がどうしても動かなかった。

熱いくらいの、それでいて心地良い温もりを篭める力を変えずにぎゅっと腕に閉じ込める。

冷たい空気が入る隙間さえ無くすように。


「カリスト。ちゃんと言ってくれないと分からないわ。...心配、をしてくれているんでしょうけど。」


少しだけ困ったように言うルシアにいつもの申し訳なさそうな顔をしているんだろうと思うと自然に眉が中央に寄せられた。

何度言っても無茶をする彼女は自分がどれだけ人の心を埋め尽くしているかを根本的な部分できっと理解出来ていないのだと思う。

幸いなことにカリストの呆れにも怒りにも悲しみにも似た焦燥に()い交ぜになった情けない顔はルシアの肩口に頭を埋めているお陰で誰の目にも晒されることはなかった。


心配、そんなものいつだってしている。

やっと、ルシアも周りの視線や態度の理由がそれだと口にするくらいには明言してきたし、示してきた。

だが。


「...ルシア。」


「!なあに、カリスト。」


だが、今回ばかりは純粋な心配だけが理由ではなかったと言えば、彼女はどんな顔をするだろうか。

小さく呼んだその声にすぐに反応して、聞き返してくるルシアの声にカリストは内心でそうぼやいた。


今、こうして抱きすくめているのがルシアが単純な怪我や危ない目に合うことを憂慮しただけの心配によってではないことをカリストは衝動的にルシアを掻き抱いた後、(しば)しの沈黙の間に気付いていた。

そんな綺麗な心配によってではないと自覚していた。


「...昼間、シャーと何かを話していただろう。あれは何を話していたんだ。」


「え、昼間?」


ルシアからしたらあまりに脈略のない話だった。

だから、驚いたように肩を跳ねさせたのをカリストは密着した部分が離れないように抱き締める。

どちらかと言えば、自分が堪える為、と言った方が良いような仕草だった。


実は現在、野営をしているアブヤド()の地、皇都から少し離れたこの砂漠地に着いて天幕の準備をしていたくらいの時。

見渡しの良い砂漠の上でのことである。

周囲に敵影も見えなかったことで比較的自由にルシアは天幕を張る作業をしている皆の中で行動していた。

それをカリストは咎めた訳でもなかったし、危ないと思っていた訳でもなかったが万が一のことを思えば、ついつい目がその姿を追っていた。

そこでカリストは見たのだ。

シャーハンシャーとルシアが二人きりで何かを話しているところを。


ルシアは王子のされるがままになりながらも記憶を辿るように夜空へ視線を伸ばしていた。

そうして、やがて何かに思い至ったようにああ、と呟いて...。


「っ!?え、カリスト、あれを見てたの?噓、ちょっと。ねぇ、ほんとに...?」


ルシアは慌てて初めて逃げ出そうという明確な意思を持ったようにカリストを押し退けようとした。

それがとても忌まわしく思えて、カリストは一層強くルシアを抱き締めた。

すぐ耳元で小さく短い(うめ)き声が聞こえる。

しかし、到底離すことなど、カリストには出来なかった。

何故なら。


勿論、ただシャーハンシャーとルシアが二人きりで話していたくらいでこうも不愉快な気分になるほどカリストは心が狭くはなかったし、余裕がない訳でもなかった。

しかし、シャーハンシャーがアフマル()()アル・ラベエ(四番目)からアフマル()()アル・タセェ(九番目)に向かう途中で起きたルシアの昏倒事件の夜の天幕にて、本気の目を見せたことが少なからずカリストの中で焦燥を生んでいた。


加えて、カリストは見てしまったのだ。

昼間、ルシアがシャーハンシャーに何かを(ささや)かれて赤くなるところを。

シャーハンシャーは誰かをからかっている時の顔をしていたが、そんなことはカリストの眼中にはなかった。

シャーハンシャーがカリストでも滅多に見ることの出来ないルシアの表情を引き出したことに頭が沸騰したように(ゆだ)っていた。


危うく、その勢いで二人を引き離しに行きそうになったのを思い留まったのは横から己れの側近にどうかしたのか、と声をかけられたからだった。

その時にはもう、ルシアはいつもの、いや、身内に見せるような拗ねた顔でシャーハンシャーに対応をしていた。

しかし、頭を(おか)()だるような熱が見間違えではないと訴えていた。


「...っ。」


思い出したら、ゆるりと熱がまた巡り始めた。

それはそのまま紺青の瞳に篭められる。

それがより熱を持ったように思えるのはきっとルシアが慌てたことが要因だった。

だって、それはカリストの見たあの光景を肯定するものだから。


カリストは少しだけ顔を上げる。

やっとお互いの顔が見れるくらいに離されたことでこちらの表情を確認するように覗き込んできたルシアは目を見張ってピタリと固まってしまった。

二人を避けるように風が音もなく、駆け抜けていったのだった。


滑り込みセウト(二回目)


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