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373.紫眼の青年の語る話


「ルシア、何かあればすぐに呼べ。」


「分かってるわよ、何回言うの。クストも居るから大丈夫だって何度も言ってるでしょ。」


夕食後、食堂を後にして階段を上がったところの廊下でルシアは王子と向き合うように立っていた。

王子は真剣な、そして神妙な(わず)かに強張ったような表情を浮かべて、言い聞かせるように言葉を紡いだ。

ルシアは食堂に向かう廊下から階段、そして食事前とその後、そして今と既に何度目かになるその言葉に半眼を斜め上へと向けたのだった。


王子が言っているのは今からルシアが一対一で話をしようとしているハサンを警戒してのことだった。

少し離れた廊下の先では当のハサンが静かにこちらを待っていた。

丁度、作戦会議で使った部屋の前だ。

そう、周囲に無闇に聞かせない為にも作戦会議で使った部屋で話をしようということになっていた。


「大丈夫。ハサンのことはシャーが明言してくれたでしょう。心配することなんてないわ...なんて、言っても変わらないでしょうから出来るだけ手短に終わらせて、戻ってくるわ。」


ちらりとハサンを待たせていることを確認したルシアは一歩そちらへと踏み出しながら、それで良いでしょう?とばかりに真っ直ぐな瞳で笑ってみせた。

王子は自分の紺青が映り込んだそれを見る。


「......あまりに遅い場合は呼びに行くからな。」


「ええ。じゃあ、また後で。...そうね、もしお茶を淹れてくれるなら、それが冷めてしまう前に戻るわ。」


長いため息が王子から溢された。

その後に何故か頭が痛そうな王子が最後の駄目押しとばかりに言った。

今度はそれをルシアは素直に受け取り、ひらりと王子に手を振って、廊下を進み始める。

クストディオだけがルシアの後ろに続いた。


しかし、その途中で少しだけ悪戯(いたずら)っ子のようにルシアは振り返って王子に告げた。

王子はほんの少しだけ目を見張った後に(またた)かせてから仕方がないな、とでも言いたげな顔で(うなず)いたのだった。


「...そうか。なら、このアフマル()の地で購入したものの中から適当に淹れておく。」


「楽しみにしてるわ。勿論、先に仕事片手間に飲むなんて真似はせずに待っていてくれるわよね?」


「......ああ。」


頷いた王子にルシアは本心で返答してからまだ健在の悪戯っ子の顔で付け加える。

これを簡単に要約すると、仕事はせずにゆっくりと休憩していてね、となる。

とても回りくどい言い回しだったが、王子にはしっかりと何を意図しての言葉かを読み取って、結局、苦笑を浮かべて首肯したのだった。


ルシアはそれに笑って、今度こそ前に向き直って足を進める。

そして、こちらをずっと待っていたハサンの前に立った。

僅かに(あご)を反らせて、紫色と視線を合わせる。


「待たせたわね。さぁ、貴方が私に聞かせたいというお話を聞きましょうか。」


「――はい、妃殿下。」


ハサンは静かに先程まで目前で繰り広げられていた王子夫妻のやり取りには口を挟まずにルシアへと一礼をし、すぐ隣の扉を開けたのであった。



ーーーーー


「クスト、貴方は扉の方を向いていてくれる?」


「...分かった。」


部屋に入室するなり、ルシアはクストディオへそう指示を出した。

クストディオは反論一つせずに一言だけ答えて、素直に扉の前でこちらに背を向けた。

ルシアはそれを見届けると、自ら置かれたままになっていた椅子の一つを引いて座る。


ハサンはルシアの王子妃然とした態度も口調も取っ払った姿を事前に見ていたが、何の違和感もなく動いたルシアに少しだけ瞠目した。

一瞬だけ、先の食堂で王子に丁寧に椅子を引いてもらって優雅に着席していた人物と同じ人だろうかとハサンは錯覚を起こしそうになったのだ。

そんなハサンを知ってか知らずか、ルシアはハサンをテーブルの横に立つハサンを見上げて、自分の座っている席の向かいに掌を向けて言葉を発する。


「さぁ、どうぞ。おかけになって。」


「いえ、私は...。」


「あら、気にしなくても良いのよ。勧めているのに咎めなんてしないわ。それとも、話をしている間、私にずっと首を反らしておけと言うの?」


「...失礼致します。」


その言葉と仕草ばかりはとても気品のある令嬢そのものであった。

長年で身に着いた、無意識下で行われているであろうそれ。

だからこそ、ハサンはその手前のルシアの行動の一切を見ない振りをして気を取り直したように背筋を伸ばして固辞しようと口を開いたのだが、ルシアが矢継ぎ早に告げた内容に掻き消されたのだった。


ルシアはその言い回しをされたらハサンが着席せざるを得ないと分かった上での、その言葉選びであった。

しかし、半分くらいは本当のことである。

立った相手の話を聞くのは首が痛くなるのはほんとのことだもん。

まぁ、一部はお互いに立った状態でも首が痛くなるのだが。

お陰様でその辛さが身に染みて分かっているので、ずるいとは思うが従って欲しい。

そんなルシアの思い通りにハサンは少しの躊躇(ためら)いの後にぎこちなく着席したのだった。


「では、話をしましょう。カリストとも手短に終わらせると宣言してしまっているの。ああ、クストのことは気にしないでと言っても難しいでしょうけれど、彼は私がそうと言えば、ここでのことを外に洩らすことは出来ないから安心してちょうだい。まずは貴方の話を聞けばよろしい?」


「――ご配慮、痛み入ります。......私が妃殿下にお話したいのは皇都でのこと。そして、皇宮でのこと。アリ・アミール皇子のことについてです。」


ルシアは出来るだけにこやかにそれでいて速やかに本題に入る為にそう告げた。

実際にクストディオはここでのことを忘れろとルシアが言ってしまえば、本当に忘れ去ってくれる。

もし、それがどんなに重要で、彼自身は王子に報告した方が良いと判断しても。


元より、他国の王子妃とその夫の王子に少なからず疑念を持たれている自分とでは完全なる一対一は不可能であるとハサンは考えていたのだろう。

今までと同じく無駄に追求することはなく、社交辞令のような謝意を口にしてから本題について語り始めたのだった。

彼が最初に告げたその言葉はルシアにとってある意味、予想の範疇外(はんちゅうがい)だった。

だって、それは充分に情報が開示されているはずの内容だからだ。


ルシアはハサンがスパイとして活動していた間の報告書をシャーハンシャー伝てに目を通していたし、それこそ作戦会議の合間にもそれに関わる議論を王子たちと繰り広げていたし、それをハサンはその場で見ていた。

その上でわざわざ私だけに伝えようとするその内容。


シャーハンシャーには伝わっているのかもしれないが、こうして呼び出すだけの話ではあるとルシアは判断した。

それなのに、公の話し合いでは告げずに隠すように告げる話であるとも理解した。

扱いの難しい話だろうとも。

ルシアはこれから語られるであろうそれに、ハサンの低く抑揚のないが故に通る声に耳を(かたむ)けたのであった。


急遽、二日の休載を入れてしまい申し訳ありませんでした。

お待たせしました、続きです。


後日、お伝えしますと言っていた振替ですが、今週の水曜日を振替にしますのでご了承ください。

つまり、明日ですね。


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