359.いつも通りと緑玉の竜(後編)
「...フォティ?」
ルシアはするりと白い竜の顔に手を添えて、微笑みながらもう一度、呼び掛けた。
つぶらな緑玉が揺れ動いていたのをルシアもまた、しっかりと見逃がしておらず、その上でもう一度。
暫しの沈黙がその場に落ちる。
周囲の者たちもルシアと一頭の竜に注目していて、静かに息を潜めて行方を見守っていた。
やがて、沈黙に堪え兼ねたように竜が身動いだ。
[......はい、ルシア様。]
「!...ふふ、おはようフォティ。」
同時に聞き慣れた落ち着きのある声が聞こえた。
何処か脳に直接響いてくるようなそれは少しばかり反響しているようで多少の違いがあるものの、それでも確かに目の前の竜が発したものだと理解でき、且つフォティアの声だと確信出来るものであった。
何気に初めて竜が話すのを聞いたルシアは少しだけ目を丸くした後、朝の挨拶を紡いだのだった。
それに竜――フォティアは困ったような響きを乗せた声で挨拶を返したのであった。
ーーーーー
「そう、確かにその姿の方が最適ね。」
[はい。夜目も利きますし、何よりもし襲撃者が現れようとこの姿を視認すれば、あちらも容易に近付けないと判断しましたので...。]
「ええ、良い判断だと思うわ。」
ルシアと竜姿のフォティアとの挨拶が終わったところで遅れて出てきた王子によって一先ず話が区切られ、ルシアは朝食を取ることとなった。
王子、ルシアと並んで食事を取りながら、ルシアは王子とは反対側に横たわってこちらに首を伸ばしてくれているフォティアと会話を繰り広げていた。
未だにフォティアが竜の姿であるのはルシアがもう少しだけその姿で居て欲しいとほんの少し我儘を言ったからである。
その結果、王子の許可も下りたフォティアは気前よく竜の姿で私と会話をしてくれているのであった。
さり気無くその体躯を使って風除けになってくれているのも含め、本当に優しい人だ。
ルシアが今、フォティアに問いかけていたのはどうしてその姿を取っているのかということであった。
勿論、半竜であるフォティアが竜の姿になったからといって可笑しいことはない。
ただ、もう数年来の付き合いの中でルシアはフォティアが竜の姿になったところを見たことがなかったのだ。
元よりニキティウスの竜の姿もアクィラで初めて見たルシアである。
それほど判断基準にはなりはしないだろうが、少なくともルシアの中でフォティアはまず竜の姿を取らないイメージがあった。
そもそも竜人や半竜たちは滅多に竜の姿をまじまじと見られるほど人に晒すことはない。
どうやら、そういう習性のようなものだとルシアは判断していたし、実際にルシアの知る竜人や半竜はそうだった。
ただ、その中でも特にフォティアはその姿を晒さないようにしているようにルシアは思っていた。
竜人族のヒョニやアナタラクシは半竜であるニキティウスやフォティアより竜の姿が身近なように思う。
実はアクィラの最終決戦の後にルシアは二人に竜の姿を見せて欲しいと頼んであっさりと快諾してもらったことがあった。
二人ともすぐにイストリアで仕事だからと少しの間であったが、全身を覆う鱗が人肌よりもひんやりとしていて尚、生き物の温かさを持っていたことを覚えている。
まぁ、その後、もう行くぞとばかりにヒョニに首の横っ面を頭突かれてアナタラクシのダイヤモンドの瞳が心底嫌そうに潤ませた後、追い立てられるように飛び立ったところまでワンセットで記憶しているが。
ともあれ、濃い灰と水の二頭の竜が悠然と飛翔していく姿はとても美しかった。
それに比べて半竜であるニキティウスとフォティアの竜の姿は生粋の竜人たちより短時間しかなることが出来ないからか、あまりお目にかかれる機会がなかったように思う。
ただ、ニキティウスは密偵としての任務に長距離を一瞬にして移動する手段としてよく使っていると聞いていたのでルシアが知らぬだけでニキティウスにとってもそれは馴染みあるものとしてルシアは捉えていたのであった。
しかし、フォティアはやはり王子の護衛という立場だからだろうか、その分、ルシアも時間を共にすることが多いのだが基本的には人の姿で剣を振るい、王子の執務の手伝いをしていた。
確かにいくら王子の元に竜人の一部が戻ってきたとはいえ、イストリアの街から竜の飛び交う姿が消えてかれこれ15年なのだ。
やはり、本能に近い部分で人に簡単にはその姿を晒したくないのか、人の中で過ごす王子の背後に常に控えていたフォティアの竜の姿はついぞ、この瞬間まで見ることはなかったのだ。
だから、ルシアはほぼ身内のみの少数の旅路とはいえ、人の居る中、その珍しい姿をフォティアが取っている理由が気になって尋ねたのである。
フォティア曰く、ここが砂漠の真ん中でほとんど遮るものがないこと、それ故に身を隠すことが出来ず、襲撃者には丸分かり、恰好の的でしかないことが理由の根幹とのことらしい。
だから、フォティアはそれを逆手に取ったとのことだった。
どうせ、遠目からでも場所が割れるのであれば竜の巨躯を見せつけ、万が一、襲撃者たちが現れてもその姿に警戒して容易に近付けないだろうと踏んで。
加えて竜の目であれば夜目が利き、且つ遠くまで見渡せるので索敵にも有利ということだった。
フォティアも例に洩れず、主によく似て優秀で合理主義な青年であった。
そうルシアがフォティアの説明を聞いて納得し、頷いていた時だった。
ルシアの横で空間が捻じれたように溶ける。
似たような現象を知っているルシアはそれに驚いたりはしなかった。
すぐに捻じれは戻り、瞬きのうちにそこには白い体躯に緑玉の双眸の竜の代わりに白髪に赤い瞳をした青年の輪郭が形成されていた。
「申し訳ありません、もう少し保たせれたら良かったのですが...。」
「ああ、良いのよ。ふふ、赤い目もとても素敵よ。ほんとに不思議ね。」
「...ありがとうございます。」
素の笑顔で褒め殺すルシアにフォティアは竜の時より分かりやすく困ったように眉を下げたまま、一礼した。
顔を上げた先でフォティアは助けを求めるように唯一、ルシアを止められる王子に向けてちらりと視線を逸らしたが、王子は視線に気付いた上で優雅に正面を向いて食事に専念していた。
王子でも打つ手なしとのことらしい。
そんなやり取りが行われているとは露知らずにルシアはじっとフォティアの瞳に視線を向けていた。
赤い、シャーハンシャーとはまた違った赤い瞳。
まるでルビーのような輝きを持っている。
先程まで見事なエメラルドのような新緑であったのにその変化のさまは素晴らしいものである。
「貴方の瞳は色が変わるのね。」
「ええ、母がそうでしたので。母は青と紫の変化していましたが、私は人型であれば赤に、竜の姿であれば緑に色を変えるようです。」
どんな理屈でそうなっているのか分からない不可思議な、それでいてとても美しい瞳に感嘆を覚えながらルシアが言えば、丁寧な解説がフォティアの口から紡がれる。
へぇ、まるで宝石のカラーチェンジだ。
ルビーのような赤からエメラルドのような緑へ、アレキサンドライトのような瞳である。
きっと御母堂の瞳のカラーチェンジもフローライトやサファイアの一部に見られるような美しい変化をするのだろう。
「まぁ、素敵な遺伝だこと。」
それら全てを想像して思うがままを口にしたルシアは笑みを浮かべる。
まだまだ止みそうにない褒め言葉の嵐にフォティアはますます眉を下げ、王子や護衛を筆頭に心のうちで彼に向けて手を合わせたのだった。
結局、食事が終わり、彼らが出発の準備に取り掛かるまでフォティアはルシアの会話に捕まっていたのであった。
ルシアとしては綺麗で珍しいフォティアの瞳にテンションが上がったまま、思ったことをそのまま言いたいだけ言い連ねただけという...なので、全部本心は本心(なので、被弾した側は余計に喰らう)




