358.いつも通りと緑玉の竜(前編)
「あ、おはようございますお嬢。朝食の用意出来ていますよ。」
「おはよう、イオン。ありがとう、今から食べるわ。」
王子の包帯を巻き終えてルシアが天幕の入口を潜って外に出ると丁度、目の前を通りかかったイオンがルシアに気付き、朝の挨拶を口にした。
ルシアはいつも通りのイオンにいつも通りの調子で挨拶を返した。
そして、そのままの流れで会話をしながら朝食の用意されている焚き火跡まで共に足を進める。
「――ええ、私が包帯を巻いてきたわ。本当、あれで大丈夫だなんて言うのよ。グウェナエルたちがくれた薬がなければまだ血も止まっていなかったというのに...。」
「あー、それはそれは。ああ、お嬢がすぐ傍で目を光らせていれば、いくら殿下でも大抵の無茶は出来ないと思いますよ。むしろ、一緒に居てくれた方がこちらとしても......いやいや、護衛がしやすいという意味ですって。」
「いや、絶対に一緒に居てくれたら私も必然的に大人しくせざるを得ないから、手間がかからず助かるって言おうとしたのは分かっているのよ!」
先程、天幕の中での出来事をルシアが拗ねたような口調で語って聞かせれば、イオンは困ったような表情を浮かべた後、何かを思いついたように言葉を連ねた。
その途中で隣のルシアがにっこりと拳を握り締めてみせたことでイオンは言葉を切って弁明するように両手を振る。
ルシアはそんな分かりやすい言い訳なんか通じないとばかりに声を張り上げた。
やいやいと若干、喧嘩腰に見える軽口の応酬が続く。
いつもの光景である。
けれど、いつもより少しルシアが声を荒げているのはイオンのその軽口がわざと自分の為にいつも通りに叩かれているものだと分かっていて、わざとルシアがそれに乗りやすいように煽り増しましであることに気付いているからであった。
詮索することなく、ルシアが気不味く思わないようにさり気無い気遣い。
きっと問い詰めても絶対に口を割らないだろう一番付き合いの長い自分の従者にルシアは半ば八つ当たりのように言葉を返す。
それがまさしくイオンの狙ったところであったのだが、ルシアはそれでもそれに乗らずにはいられなかった。
要はイオンの気遣いに対しての照れ隠しである。
「......まぁ、カリストには出来るだけ安静にしてもらいたいのは本当だけれど。イオン、協力してね。」
「ええ、勿論。」
暫く、言い合いをして落ち着いたルシアがそう言えば、イオンはいつもの良い笑顔で返事をする。
それすらも小憎らしいのだが、それを指摘したところで二回戦の始まり、延々と終わらないのをよく知っているルシアはじと目をイオンへと向けた後にため息を吐き出したのであった。
ルシアは未だ視界にちらつく王子の背中を思い出した。
倒れる前に真っ赤に染まった服を見ていたから薄々思っていたけれど、王子の傷はそれは酷いものだった。
ゲリールの薬が驚異的な力を発揮しているから塞がっているが、本当にただ塞がっているだけといったような生々しく大きな傷が王子の肢体に刻み込まれていたのをルシアは苦々しい顔付きで触れ、包帯を巻いたのだ。
きっと、その時の私の顔は泣き出しそうな上に今にも怒り出しそうな凄い形相をしていたことだろう。
王子は何も言わなかったけれど。
自分の怪我というよりそんな私の顔を見て仕方がなさそうに眉を僅かに下げた顔をした王子に少々むかついて、少しばかりきつめに包帯を巻いてやった。
後日、イストリアへ帰還後に王子がどう渋ろうとも側近たちとも協力してグウェナエルのところへ治癒魔法をかけてもらうように押し込むつもりではあるので、ほとんどの傷痕は残ることはないだろうとは思うが、大きく刻まれた運動機能にも絶対に支障を出しているであろうレベルのそれが痛ましいのは変わらないのだ。
ほんの僅かだとしても本調子が出せないだろう王子。
例え、そうでなくとも怪我は怪我、少しは懲りるが良い、とルシアは自分のことを棚に上げて内心で呟いたのであった。
そうこうしているうちにそう離れている訳でもない焚き火痕に着く。
ルシアはイオンの勧めるままに敷布の上に座ろうとして動きを止めた。
「あら、あれは......。」
ルシアは言い合いに王子のことで意識を飛ばしていたことから見ていなかった周りの光景の中に大きな白い塊を見咎めて、目を瞬かせた。
それは純白と言ってもいいほど白く、この砂漠の中ではすぐに砂煙によって黄色く汚れてしまいそうであるのに驚きの白さを保ち、眩しいほどの干天の光を弾いていた。
ふいに白の中からエメラルドのような輝かしく透き通った緑が現れてルシアは目を見開いた。
ルシアは怖がることなく、当たり前のようにそれに駆け寄っていった。
「綺麗な白と緑の瞳、とっても綺麗ね......ねぇ貴方、フォティでしょう?」
ルシアはすぐ目の前で自分より少し高い位置に擡げられている――竜の顔に、一対の緑玉に向かってそう問いかけた。
王子の側近の一人である半竜のフォティア。
彼が白髪に赤い瞳を持つ青年であることは承知の上でルシアは謎めいた確信を持ってその竜にそう告げたのだった。
ルシアの素の微笑みに白い鱗に覆われた体躯に緑玉のような瞳を持つ竜が心無しか、困ったような顔をしたようにルシアの後ろから駆け寄ってきたイオンや実は竜のすぐ傍に居たノーチェには見えたのであった。
もしかしたら前後編にするかも。




