338.鏡の中の少女
「さぁ、お嬢。俺が戻ってきたからには出不精等、許しませんからね。ほら、行きますよ。着替えて準備してください。それとも無理やり着替えさせて引き摺り出されるのがお好みですか。」
「そんな訳ないでしょう。」
バンッと跳ね返るほどに強く開かれた扉の音と共に告げられたその言葉に、ルシアはその声の主である乱入者に過去一番を争うかのような不機嫌満載の表情で振り向いた。
しかし、そんなルシアの最悪の表情にも乱入者は意も介せず、飄々とした態度で扉の前に仁王立ちするだけだった。
それにルシアがより不機嫌度を上げて睨め付ければ今度は王子の許可はもらっています、と来た。
見れば、乱入者の後方の扉の向こう側、奥の方で少し眉尻を下げた王子の姿がルシアの視界に入った。
ギッと鋭い視線を向ければ、さり気無さを装いつつしっかりと視線が逸らされ、視界から外れて行った。
その間も手前の乱入者は一歩たりとも退いていない、余裕すら垣間見せるその表情はルシアに腹立たしささえ覚えさせた。
「......分かった。少し待っていて。」
「はい、それじゃあ終わった辺りで再度踏み込みますのでくれぐれも別のことはしないでくださいよ。」
しかしとて、その乱入者――己れの従者筆頭であり、今回の旅路の仲間でも一番付き合いの長いこの男に何を言い連ねようとその態度を崩すこともその発せられた内容を変えることもほぼ不可能であることはルシアも充分に知っていた。
いや、絶対に無理ではないし、いつもはどちらかというとこちらが我儘を通しているのは自覚しているけども、こういう時の彼の言を覆すのは骨が折れる上にそれに労力を割くくらいなら素直に従っていた方が無難であるというのは自明の理であった。
その強引さ、一体誰に似たのやら。
「貴方なら本当にやるでしょうね。着替えるわ、扉を閉めて。」
「はい、承知致しました。」
この男ならばただの脅しで終わらないであろうこともルシアのよく知ったところであった。
まず間違いなく、ルシアが他のこと――例えば今、目の前に広がる白い海に連なった文字をキリの良いところまで並べる――等をして着替えが遅くなろうものなら有言実行とばかりに扉はまた、レディの着替え中だということも構わずに勢いよく開け放たれることだろう。
うん、断言出来る。
その辺りは遠慮がないのだ。
彼はルシアが4歳の頃からルシアを知っているが故に。
その20歳前後くらいにしか見えない童顔故に付き合いの長い者以外には予想だにしないだろうが。
ねぇ、再三思っては口にして来なかったけど出会ってからの十数年、その若々しさは何。
出会った当初の頃、あの頃の顔が凄い老け顔だったとしても少なくとも今、三十路近くだよね...?
だんだん自分が彼の年齢に追い付いていっているようにしか感じられないこのそこはかとない虚しさよ。
「お嬢ー?ほんとに着替えてます?」
「ちょっと黙って待っていてくれる!?」
衣擦れの音がしないからだろうか、伸ばし気味ののんびりとした口調でありながらしっかりと催促してくるその声にルシアは声を扉越しにも咎めているのが分かるように声を張り上げた。
そうしてルシアはやや乱暴に椅子から立ち上がり、散乱した机には目もくれないまま着替え始めたのだった。
ーーーーー
お忍び用の服に着替えるのはルシア一人でも事足りた。
部屋に誰も居ないからと大胆にも着ている部屋での筆作業優先で選ばれた機能重視飾り気のない服を脱ぎ捨てた。
そして肌着のままで宿屋に着いたその日のうちに綺麗に荷解きされ収められたクローゼットから外出するのに丁度良さそうな服を引っ張り出して素早く身に付けていく。
最後にドレッサーの前にドカッと座って鏡を覗き込んだ。
そこに映るのはなけなしの化粧が施されているだけの己れの顔。
不機嫌顔に先程までのデスクワークで眦が吊り上がっており、目元の隈やら何やらを隠そうとしての化粧はいつもより濃いめでそれが何処か悪役じみていた。
ほんの玉響の間、ルシアは小説の挿絵を覗き込んでいるかのような錯覚を起こす。
「......あー、これは駄目ね。イオンがああ言って連れ出そうとする訳だわ。」
昔の杵柄の化粧水等々とここ数年で磨き上げてきた化粧技術で辛うじて事なきを得ている状態だ、これは。
ここに来てやっとルシアは自分のオーバーワークを再認識した。
そして今か今かと扉の向こうで待ち構えているであろうイオンの心境も。
いやまぁ、今までも全く自覚がなかった訳ではないけれど。
所詮、私もワーカホリック脳だったようだ。
王子のこと何も言えない。
「根を詰め過ぎても逆に何も見つけられなくなるだけ。」
ルシアは一度全てをリセットして再度、綺麗に塗り重ねて不自然ではないものの、肌の不調等が上手く隠れた顔で鏡を覗き込んだ。
うん、自分が居る。
ルシアはにっこりと微笑みを作って言い聞かせるようにそう一言呟いて、寝室から王子やイオンの待つ居間の方へとドアノブを回したのだった。




