294.少女は戦争の終わりを告げる矢を放ったのだ
ふむ、と形だけは思案げにアドヴィスは竜たちを見上げていた。
ただ、それがもう、万事休すと諦めた人間の目や仕草とも、意地汚くも抗おうと何か策を探している人間のそれとも違うように見えて、ルシアは身構えた。
アドヴィスのその態度は打開策を探している振りをしているように見える。
振りをしながら、その目に浮かぶものが焦りではなく、冷静な観察であることをルシアは感じ取っていた。
それも、逃げる為のものではない。
純粋に竜人族という生き物を観察している目だ。
「さぁ、逃げ場はないな。...それとも、前回のように脅すか?」
ニヒルな笑みを浮かべていれば、完全に皮肉としか取りようがない台詞を王子は冷めた表情で静かに告げた。
それは、前回の別荘にて対峙した時にアドヴィスがどうやって逃げたのかを指しての言葉だった。
しかし、王子の言うことも尤も。
前科がある分、ルシアとしてもその可能性にはかなりの警戒を飛ばしていた。
何よりもその手法ではこちら側は一気に不利にならざるを得ないからだ。
そして、この期に及んでもアドヴィスの余裕が崩れないからだ。
「確かにそれは有効な手ですが...今回ばかりはそれも通じないでしょうねぇ。」
アドヴィスは然も当たり前かのように言い放った。
ああ、もうその焦り一つも見えない顔が腹立たしい。
確かに現在、アドヴィス陣営の者たちが残っていないのをルシアたちは知っている。
まぁ、それとは別に仲間が居たり、時限式の何かがないと言い切れる訳ではないけれど。
そして、この周辺の状況。
このポルタ・ポルトは勿論のこと、近隣の住民は避難済み。
被害が出ても建物だけ。
まぁ、それも大概痛いけど。
もし、住民が居るような場所に仕掛けようものなら、ここから少し離れた位置ということになるが、それでは今、ここでアドヴィスが死んだとしても情報伝達まで時間がかかる分、こちらが回収しに行くこもも可能なのだ。
勿論、その際には戦争も終結しているので、こんな少数精鋭ではなく、正式なアクィラの大軍での捜索も出来るし、最悪は近隣から一回り外の可能性の高い地域の住民を避難させれば良い。
つまりは、別荘での時よりも少なからずではあるが、この手は効力が薄くなっているのである。
そして、これに私たちが気付くであろうことに気付かないアドヴィスではない。
案の定、アドヴィスはそれでは交渉を、と言い出さずにそこで意味のないような会話を続けるだけだった。
けれども、アドヴィスの態度が変わらないことにルシアの脳裏の警鐘は大きく増すばかりだ。
何か、別の手を用意しているようにしか...。
「!」
アドヴィスの目が不穏に揺らいだ。
それとほぼ同時、それを見たその瞬間、一気に駆け上がった悪寒にルシアは突き動かされるまま地面を蹴っていた。
ほんの一瞬のこと。
ルシアの横に居たイオンだけがそれを認識し、腰を上げて追いかけようと足を地面から浮き上がらせようとしたところ。
他の者は皆、まだルシアが地を蹴ったことに反応していないほど、タイムラグなしに。
「ええ、ですから、もっと有効な手を使いましょう。」
アドヴィスがそう告げた。
さっと周りの空気が変わる。
王子が、側近たちが、距離を詰めようとする中、本当にコンマ一秒程度の速さで先んじていたルシアはアドヴィスが何かを取り出すのを視界に映しながら、地に転がるそれを掴むことに成功していた。
王子が一気に薙ぎ払うかのように剣を振りかぶりながら、アドヴィスへと駆ける。
他の者も一緒だった。
その間にもルシアは流れるように止まることを知らないかのような速さとスムーズさでその場に立ち、背を伸ばし、構えた。
視界の全てがゆっくりと見える。
王子が、仲間たちが、そして、その場に立って何かに手をかけようとするアドヴィスが。
ゆっくりと、見える。
そんな中でルシアはただ|真剣に焦り一つなく、呼吸を置いて放った。
一条の光が人の合間を縫って駆けた。
向かう先は一つ。
狙いのままに駆ける。
「ぐっ......!」
「カリスト!手よ!手の中のもの!!」
「!」
果たして、それは少し威力が落ち、重力に引っ張られたものの、的が大きかったこともあり、着弾した。
アドヴィスが呻き、身体を僅かに折る。
だが、それにも気を止めず、ルシアは間髪入れずに王子へと叫んだ。
ルシアの指示の意味合いが篭った叫び声に素早く反応した王子が瞬時に狙いを修正してアドヴィスの手を打ち払った。
容赦のない打撃にアドヴィスはまた呻いた。
「!?」
ドン、と重低音が響いた。
それは王子は弾き飛ばした、ルシアが嫌な予感を感じたそれが地面に落ちた際になった音だった。
爆発音。
まだ、アドヴィスはそれを隠し持っていたらしい。
しかも見れば、その爆破物が落ちた辺り一帯は凄まじい変化を遂げていた。
爆発自体は一度目、二度目よりも小さかったものの、それには特殊な加工が施してあったのか、落ちた周辺は焦げ跡ではなく、何かによって溶けたような形状になってしまっていた。
言うなれば、強酸性の何かを誤って溢してしまったかのような、そんな跡に。
もし、これがアドヴィスによって自分たちの方へと投げ込まれていたらと考えて、ルシアはゾッとした。
「お嬢!」
「イオン、私は大丈夫よ!それより、カリスト!」
「ああ...!」
背後からイオンに呼ばれて、ルシアは半身のまま返答しながらも王子を呼んだ。
それが何を指すのか、一から言わずとも理解した王子はその勢いのまま、返事をしてもう一度、剣を構えた。
王子は踏み込んで、よろめいたまま手を押さえるアドヴィスに振りかぶり――。




