289.こうして、皇子は剣を抜き払ったのだ
ミンジェとアドヴィスの視線がかち合う――。
ルシアはそれに息を潜めてその背を見つめていた。
決して大きいとは思わなかった彼の背が大きく感じられて、ルシアは躊躇いを振り切って、チホの止血を急ピッチで再開した。
そんなルシアを安心させるように、クストディオとノックスが守るようにして剣を構えて、ルシアとミンジェの横に立った。
「さて、うちのが随分と世話になったね。そのことで貴方とは話す必要があると思ってたんだ。」
皇子として、振る舞っていた時の口調だろうか。
ただの海賊船員として身分を偽っていた時とも、その後、彼の兄であるジョンウとの会話の時とも、全てが明かされて素で話をした時ともまた少し違う。
完璧な余所行きの顔と口調。
「おや、第五皇子殿下にそう言っていただけるとは。」
「おや、貴方ならこういうことも予想していたのでは?」
「はは、それは買い被りというものですよ、殿下。」
淡々とここが戦場ということも、敵対し、先程までお互いの矛を向けていたことも、忘れてしまいそうなほどリズミカルに会話が返されていく。
しかし、その言葉にも、表情にも含みがあることをルシアはしっかりと感じ取っていた。
まさに腹の探り合い。
舌戦とでも言うべき、別の戦いがここで勃発している。
「...貴方の唆しに乗って、こんな大事を引き起こしたことに関しては完全にチホの責だ。結果的に貴方の唆しに乗ると決めたチホの判断までを貴方に責めるほど僕は理不尽なことはしないよ。我が祖国に関しても、貴方が関わらずとも彼らはここまでやってきて返り討ちにされたことだろう。ただ、――。」
訥々とミンジェは自分の部下の責任を持つ主としての言葉で語り始めた。
相手が極悪とも言うべき男であるにも関わらず、その言葉の響きはまるで巻き込まれてしまった第三者に対するそれのようだ。
しかし、途中で言葉を切り、ミンジェは黙ったままアドヴィスに鋭い眼差しを向けた。
「それでも、この地を荒らしたことに、自らこの件へ積極的な関与をし、何よりも主犯としてこの戦争の増大化に、混沌化に行動してきたことに、それにより被害を増やしたことに罪がないとは言わせないよ。『火種を呼ぶ悪魔』。」
怒気を孕む声というのはこういう声を言うのだろうか。
礼儀正しいともまた違う、穏やかな、という表現がもっともしっくりくるような口調でミンジェは銀の瞳だけを高温に滾らせて、アドヴィスを見据えていた。
「争いを好み、今までも数多くの紛争を引き起こしたことは話に聞いている。」
それはルシアが与えた情報。
ミンジェもここに来て、アドヴィスと対峙し、その攻撃を受けて、その話が誇張でも何でもなく、本当に数多くの戦いがこの男によって齎されたのだろうと確信するに至っていた。
勿論、それらは端から全くの火種がなかった訳ではないのかもしれない。
だがしかし、その火種へ最大限に油を注ぎ、時には和解目前だったものを破壊し、偽の火種を追加することすらしただろうのは間違いなくこの男。
悪魔と呼ばれるこの男だ。
そして、それは今回も。
ミンジェは父皇帝がいずれ、この国に宣戦布告を仕掛けるだろうことは知っていた。
それでも、ここまでややこしく、被害を増大させたのはアドヴィス。
「...ほう。それでは、殿下は私を捕えたいとお言いになりたいと?それとも、その前にどうしてこんなことを、と私にお聞きになりますか?」
「いいや、聞かないよ。愉快犯の言葉を聞くだけ無駄だからね。」
慣れた様子でアドヴィスは切り返す。
アドヴィスのことだ、この男はこうして表へ出てきていることから分かるように、安全なところで、裏に隠れて、という行動ばかりを取ることはしない。
偏にそれが、それではつまらないと思考しての行動なのかは分からないけれど。
けれど、その事実を思えば、完全に勝ち逃げられると踏んだ場合のみ、この男は今までもこうして敵対する人間の前に姿を現し、対峙したであろうに思えるのだ。
そうして、嘲笑うかのように弄び、爪痕だけを残して去っていくのだ。
それにミンジェも考え至ったのか、アドヴィスの邪悪な笑みと共に吐き出されるふざけたような言葉を一蹴した。
そう、愉快犯の動機を聞くだけ無駄だ。
そもそも、愉快犯等という狂人の思考回路を理解出来てしまったら、それこそ精神に多大なダメージを負う。
「...ただ、貴方をこのまま野放しにすることがどれだけ世界に被害を被ることになることか。」
分からないほど馬鹿ではない、とミンジェは言う。
その為ならば、この場で刺し違えてでも、殺してしまったとしても良い。
ミンジェの瞳はそう語っていた。
ルシアも本来であれば、今まで引き起こしてきた事件、紛争、数々の被害者の為にもアドヴィスに罪を償わせたい。
しかし、生かしておくだけで世界規模での危険を、災いを呼び寄せる人種が居るのだと、今、それを改めて目前にして、ルシアは実感させられたのだった。
生かせてはおけない。
前世、平和ボケした国に産まれ、死んだルシアは今、初めてその言葉に真実味を帯びて、感じた。
「だから、ここで終結させる。この戦争と共に。アドヴィス、その為なら僕は貴方の死をも望もう。」
ミンジェは赤く染まった足を一歩、踏み出して力強く地を踏み締めながら、その重症な怪我など感じさせもしない動作でいつの間にか手にしていたチホの佩いていた剣を鞘から抜き払ったのだった。
果たして、ここまで事細かに描写する必要があったのだろうか...とページ数の増加にひやり。
ほんとはもうちょっと、問答無用で進んでたんだけどね、プロットでは(汗)
しかし、もう終わりだ、終わりは見えてきたよ、ミンジェのお陰で。
やっとラスボス?との本戦だわ。
さて、この戦いどうなることやら(主に作者の執筆が)
引き続き、お付き合いくださいね。
それでは、次回の投稿をお楽しみに!




