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282.和解


誰もがこの騒動の行く末を見守る中で、チホは長く息を吐き出した。

ふらふらとして立つ姿は今にも倒れ込みそうでルシアは目が離せなかった。

尚もミンジェは腕を組んでチホを(にら)み付けている。

返答するまで逃がさないとでも言いたげに。


「......結局、貴方には、いつも敵わないんだな。」


か細く、もうほとんど吐き出す息と(まぎ)れてしまいそうな掠れた声だったが、チホはそう口を動かしたのを、ルシアは見た。

いや、もしかしたら、願望がそう見せたのかもしれない。


けれど、チホの前に立つミンジェが吊り上げた眉を落とし、泣き笑いのような表情を浮かべたことで少なくともチホの言った言葉が自分の想像したものと近しい言葉だったことをルシアは感じ取ったのだった。

チホがだらんと元より抜いていた力をより弛緩させた様子で項垂(うなだ)れている。

ミンジェはそんなチホへと今度は優しく手を伸ばした。


「痛かった?...でも、お前がまた、こんなことをしようとしているなら、また僕は殴り飛ばすよ。」


「......それは、嫌ですね。」


ミンジェは本当にそんな場面が訪れたら有言実行するだろう。

それこそ、自分の身を危険に(さら)してもだ。

チホもここまでの数撃に渡るミンジェの攻撃を思い浮かべたのか、その時にミンジェが危険を(おか)すだろうことにも行き着いたのか、困ったように瞳を閉じて苦い笑みを落としたのだった。


「...貴方様は、変わられた。昔から(したた)かな面を持ち合わせていたというのにより強かに。弱点らしい弱点がなくなってしまいましたね。」


「そんなに...変わったつもりはないけどね。」


チホは今まで守ってきた子供が大きく目覚ましい成長を遂げてしまったのを嬉しく思いながらも、少し寂しいといった温かな目でミンジェを見下ろしていた。

ふ、とミンジェは淡い笑みを溢して、チホを見上げる。


そこにあるのは、意見を(たが)わせ、違う道を進もうとして衝突した殺伐とした雰囲気はなく、ただただ古くからの気心知れた仲の二人の姿だった。

ルシアはもう、チホが敵として動くことはないだろうとその二人の様子を見て、胸を撫で下ろしたのだった。


「ミンジェ。」


「ルシア......ごめん、随分と勝手をしたね。」


「いいえ、元より貴方の意思は聞いてましたもの。」


大丈夫だと、判断したルシアはイオンに合図を送り、ミンジェとチホの方へと足を向けた。

そして、ミンジェに呼びかけた。


ミンジェには振り向いて近付いてくるルシアに笑みを浮かべたが、すぐに自分のしたことを思い出したのか、眉を八の字に曲げて、謝罪の言葉を口にした。

ルシアはそれに首を横に振る。

そこには、自分も同じ立場に置かれたのなら、ミンジェと似た行動を取るだろうと理解している部分があるから。

だからこその謝罪は不要という意思表示だった。


ルシアは横に居るイオンに視線を向けた。

その視線に気付いてイオンが見下ろしてくる。

ルシアは少しだけ曖昧に笑って、ミンジェの奥のチホを見上げた。


相対するのは初めてではない。

けれど、こんなに近くで彼と対峙するのは初めてだった。

灰色の瞳と牡丹色の瞳が交じり合う。

最初に伏せられたのは鮮やかな色彩を持つ方だった。


「......貴女様にも何度も危害を加えました。処罰は如何様(いかよう)にも受けるべきだと承知しております。」


重苦しく、チホはそう言葉を紡ぎ、その場に膝を突いた。

牡丹色の瞳は決して上げられることなく、地面へと落ちる。

ちらりと見れば、ミンジェはルシアに向き合いながらも、口を挟まず成り行きを見守っていた。

私に対しての行いへの(つぐな)いについては私が決めろ、ということか。

ルシアはミンジェの意思を汲み取って一つ息を吐いた。


「顔を上げなさい。」


短くも命令としてルシアの声が静かに響く。

チホはゆっくりと顔を上げた。

その顔に映るのは罪状が(くだ)るのを待つ者のような神妙な面持ちだった。

しかし、そんなチホと無表情に(つと)めながらも、ルシアの言葉に意識を集中させているミンジェの心境とは裏腹にルシアは頬に手を当てて(ほう)けたように首を(かし)げて笑みを浮かべたのだった。


「あら、何のことかしら?確かに貴方とは対峙したわ。敵対していたのも事実です。この地を襲う者たちに協力していたのも事実でしょう。それについてはこのアクィラの王太子であるエドゥアルド殿下から(しか)とお咎めがあるでしょうから覚悟をしておきなさい。


けれど、私に関しては、敵対こそすれ、貴方から危害を加えられた記憶などございませんから謝罪をされても困りますわ。」


「何を...貴女様は気付いておられないかもしれませんが、私は。」


「チホ。」


ルシアの言葉がよく読み込めなかったかのようにチホは困惑を通り越して、不審なものを見るような目でルシアを見上げた。

そして、ルシアに自分のしたことを分からせようと言葉を重ねようと再度、口を開いたところで、ルシアが強めにチホの名を呼んだ。


チホはルシアの声に口を(つぐ)む。

見上げれば、灰色の瞳が笑んだ表情の中で強く場違いなほどに強い光を放っていた。


「だったわね、貴方の名前は。」


「...はい。」


ルシアの問いかけにチホは(うなず)いた。

静かになったチホを見下ろして、ルシアは再び口を開いた。


「私は貴方に怪我をさせられたことはないわ。広間でも林の中でも。」


「......!」


ルシアの言葉にチホは信じられないものを見るかのようにまじまじとルシアの顔を見上げた。

顔を上げた後も伏し目がちだった牡丹色がしっかりとこちらを向いて見開かれていた。


「ですから、私に謝罪は不要です。...もし、貴方が私の知らぬところで罪悪感を持っているというのなら、今後、決して私の友人を悲しませるようなことをしないでちょうだい。その時こそはミンジェが貴方を殴り飛ばして更生させるよりも早く、私が貴方に処罰を与えましょう。」


呆然と見開かれたままの瞳を見下ろしながら、ルシアは完璧な笑みでそう告げた。

声こそ優しく言って聞かせているようなものであったが、何処かルシアの声には逆らえない、そんな響きがあった。


ルシアはもうこれでチホは馬鹿な真似を繰り返すことはないだろうと思ったのだった。

例え、それがミンジェの為だとしても。

チホは本当なら、自分のこの行いがミンジェを悲しませることだと分かっていたはずだから。


「返事は?」


「...はい、肝に(めい)じます。」


ルシアは優しく促せば、チホはまた(こうべ)を垂れて、そう誓った。

心からの声だった。


「さて、私からは以上......あら、ミンジェ。何故、貴方まで驚いているのかしら。」


「え、いや。」


「あら、もう友人だと思っていたのは私の方だけだったの。」


「そんなこと...!ルシアがそう言ってくれるのなら嬉しいよ。」


「なら、驚くことなど何もないわね。」


話を切り上げて、チホから顔を上げたルシアは次の話へと移行させようとして、呆然とした表情をしてこちらを見ていたのがチホだけでなく、ミンジェもだったことを視界に入れて知り、目を(またた)かせた。

そのまま、声をかければ、ミンジェは狼狽(うろた)えたように肩を跳ねさせる。


ルシアはつい意地悪な言い回しでミンジェに追撃をかけた。

ミンジェは慌てた様子でルシアのわざとらしく拗ねたような声に首を振った。

ルシアはけろっと笑みを浮かべて、結局は自分の良いように全てを収めてしまったのだった。


今日も一時です、すみません。

一分、間に合わなかった...!

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