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277.現れたのは(前編)


「......っ。」


矢が一本、背後で転がっている。

ルシアは強張った手で握ったままの袖をぎゅっとより握り込んだ。

ゆっくりと視線を上げる。

対峙するようにこちらを見返すのはビビットと言っても良いほど鮮やかなピンクの双眸(そうぼう)だった。



ーーーーー


「ミンジェ、人一人分高めに向けて真っ直ぐ前方へ!」


「分かったっ。イオンさん、右後方に二人!」


既にイオンの手を()ける為に地へ降りていたルシアはイオンに守られながら背後で矢を放つミンジェに指示を告げた。

ミンジェは返事を返しつつ、言われた通りに矢を射った。

ミンジェの位置では手前の敵兵で死角となっていた敵兵へ見事にヒットする。


心臓を一突きだ。

何か弓矢に仕掛けでもあるのか、防具すらも貫通して。

矢の勢いに圧されるようにその敵兵は血を舞わせながら仰向けに倒れ伏す。


やっと視界が割けたミンジェはその様子を見届けた後、ルシアの方へと駆け寄りながらルシアよりも後ろに立つイオンに敵兵の存在を報せる。


「ええ!!エドゥアルド殿下、もう少し下がってください。」


「分かりました。ベッティーノ!」


「はい!!」


イオンは初めからその存在に気付いていたように瞬時にその敵兵を斬り払いながら、今度はルシアの横に立つエドゥアルドへ後退を促した。

エドゥアルドもまた、イオンに返答しながら、自分の部下であるベッティーノに呼び掛ける。

一度下がってきて、エドゥアルドを守るようにその前で応戦していたベッティーノも返事をして後ろへと下がる。


もうこの場にはルシアだけではなく、個々の間でも味方への指示が飛び交っていた。

見事、乱戦となった港の中心付近でルシアは立っていた。

最初こそ、端の方でルシアたちは戦闘をしていたが、それも敵兵と戦い、下がりを繰り返し、場を移していくうちにいつの間にか中央まで移動していたのである。


中心にルシアとエドゥアルドが立ち、その手前でミンジェが矢を(つが)えていた。

背後にイオンが短剣を片手に応戦しており、その横でベッティーノも剣を振るっている。

そこから前方のルシアたちに何かあれば駆け付けられる絶妙な位置取りでノックスとクストディオが次々に敵兵を()していく。

後はアクィラの騎士やマーレたち海賊が場所を問わず、入り交じって戦闘を繰り返している。


ルシアたちが加勢してから時間は経っていた。

日はすっかり顔を見せ、白色の光が港を照らす。

潮風の匂いと共に血の匂いが鼻に付いた。

けれど、その間を怒涛の勢いでイオンたちやミンジェ、騎士や海賊たちが猛戦したお陰で敵兵はもうほとんど居なくなっていた。


「この分だともう少しで市街地へと向かうことが出来ますね。」


「ええ、市街地の方にもまだ残っているでしょうから。」


エドゥアルドが港入り口の方から追加で(なだ)れ込んできていた敵兵も途切れ始めたことを確認して、そう言った。

ルシアもそれに同意を返す。


途切れたからにはここに居る敵兵を倒し切れれば、戦闘も途切れる。

そうすれば、市街地へと入ることも出来る。

市街地にはこちらに流れてきていないだけでまだ敵兵は残っているはずだから、それを殲滅(せんめつ)すればその後は王子の元へ加勢に行くことも出来るだろう。


「...ただ、あちらがどういった状況か分からないのは少し厄介ですわね。」


アナタラクシを早々に向かわせたことによって、あちらの様子はルシアたちには分からなかった。

王子も側近たちも竜人(りゅうじん)までも居て、負けたとは思わない。

けれど、アナタラクシや誰かがこちらに来る様子もないことから好戦とも思えないのは確か。

まだ、アドヴィスもこちらに来ている様子がないから交戦中だとは思うけれど。


「戦力か、敵の作戦かは分からないけど拮抗状態なのなら、迅速にここを片付けて加勢しに行こう。」


「...ええ。そちらにチホも居るでしょう。」


「...うん、そうだね。早くあの馬鹿を止めないと。」


ルシアとエドゥアルドの会話に後退してきたミンジェがそう口を開いた。

ミンジェの言通りに拮抗状態なのであれば、ルシアたちの加勢で一気に戦況を動かせる可能性がある。

また拮抗状態が良くも悪くもいつまで続くか分からない現状、ミンジェの言葉はまさに正論だった。


ルシアは首肯して、ミンジェに返答した。

あちらにはチホが居る。

ルシアの出した己れの従者の名前に少しだけ詰まったようにミンジェは口角を少々強引に吊り上げて(うなず)いた。


そして、そのまま前を向く。

また矢を一本番えて、ミンジェは前方の敵に狙いを(さだ)めていた。

ミンジェの集中がすっと敵兵へと最大に向けられた、その時。

ふいにルシアは何か視線を感じて、全く別方向へと顔を向けた。


「......?」


それは強い予感だった訳ではない。

何故か自然とある方向へとルシアは視線を向けていた。

この乱戦の中、唯一の若い女性であり、守られているルシアへ向けられている視線は何も一つだけではなかったというのに。

ルシアは自分にではない、少しずれた位置へと向かう視線を敏感に感じ取ったのだった。


ある一点へと結んだ瞳があるものを捉える。

それは朝日を受けて、切先を鈍く銀色に輝かせる――。


「っ!!」


「え?」


瞬間、ミンジェの弓が音を立てて(しな)った。

同時にルシアは無理やりな態勢になるのも(いと)わず、一番近くにあったミンジェの袖を精一杯の力で引き寄せた。

急に引っ張られたミンジェも体重を載せ切ったルシアの勢いに不意だったことも相まってバランスを崩したのだった。


「ルシア嬢、ミンジェ殿!」


ルシアとミンジェ、二人一緒に地面へ座り込む。

ルシアは膝を突き、ミンジェは腰を突いて倒れ込んだ。

しかし、それは結果として最適解だった。

高さが変わったことで横に()けるよりもその軌道を避けられた。


エドゥアルドが目を見開いてルシアとミンジェを呼ぶ。

その声も掻き消すようにルシアとミンジェの頭上を風を切る音を立てながら一本の矢が通過したのであった。


すみません、ぎりぎり投稿...!


休載挟むのに前後編になってしまいました(汗)


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