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272.戦場へ向かう


結果から言うと、宣言通りにミンジェがジョンウの元へ署名を取りに行き、ここにまだ一時的ではあるものの、ヘアンと戦争締結が結ばれた。

今、この海賊船はヘアン船と離れ、今まさに陸へ停船しようとしているところ。


ミンジェは宣言した後、アナタラクシを貸してくれ、と言った。

ルシアはてっきり自分と同じ考えで移動手段としての意味だと思い、アナタラクシの意思関係なく了承を答えたのだが、ミンジェはそれに首を振った。


『いや、移動じゃなくてあっちでの見張り、の方かな。』


僕が居ないうちにと攻撃させない牽制の為と僕を取り押さえようとされない為、そして、僕が万が一、ルシアを裏切った時の為、らしい。

そんな風に言う時点で最後のはないのだろうとも思ったが、支障がある訳でもなく、前半に関しては可能性が0ではないと思い、ルシアは重ねて承諾を出したのだった。


「まさか、登っていくなんて...。」


「ん?ああ、あれは前にマーレさんにコツを教えてもらったんだよ。」


あの時、移動手段としてのアナタラクシを断ったミンジェがさて、どうやってあちらに向かうのか、という心境でルシアが見守っているとミンジェはこちらの船の手摺りに手をかけて、空中に身体を投げ出した。


そして、周りがその突然の行動に動揺しているうちに、するすると器用に船体の(くぼ)みなどを利用してこちらよりも高い位置にあったあちらの甲板に立ってしまっていたのだった。

そこで我に返ったルシアが指示を出して、慌てたようにアナタラクシが舞い上がった。


今、それを思い出してルシアはつい、口に洩らしてしまったのだが、いまいち要領の得ないようなそれを拾ったのは当のミンジェだった。

甲板の端で手摺りに手をかけ、陸の方を眺めていたルシアは横に立ったミンジェに視線を向けた。


いや、コツを教えてもらったからってすぐに出来るような(たぐ)いのものだと思わないんだけど。

いくら、ヘアン船の船体が手を伸ばせばギリギリ届きそうだったと言っても、やっていることは入り江に入る前にニキティウスがやってみせたのとそう変わらない。


そう考えれば、ミンジェも一国の皇子。

見た目も(まと)う雰囲気も大人しそうに見えるが、ここに居る理由そのものも充分に彼が行動派だと示しており、きっと見た目以上に体力や身体の動かし方が分かっているのだろう。


「まぁ、最初は何回か海に落ちたけどね。まだ怪我も完治してない頃だったかなぁ。」


「...絶対に怪我人がして良いことじゃないでしょ。」


あっさりととんでもない事実を続けたミンジェにルシアは呆れた視線を向けた。

居たよ、ここにも無謀者が...。

なんだか、とっても既視感が。


「...これはエドゥアルド殿下にも直接、頼むつもりではあるんだけど、多分きっとルシアもその場に居るだろうから。......終戦後、兄上との取り決めの場に僕も参加したいんだ。」


「ああ、ええ、貴方にも参加する権利はあるでしょう。勿論、私は構わないわ。...私からもエディ様にお願いしても良いけれど?」


「あー、それは状況に応じて頼めたら嬉しいかな...。」


少し気不味そうに話し始めたミンジェにルシアは難しい顔一つせずに了承した。

ついでに手助けを申し出れば、ミンジェは(うな)りながら諾とも否とも言わぬ答えを返したのだった。


ミンジェはまたいつものような、それでいて少し違うようなそんな穏やかな雰囲気を纏っていた。

けれど、口調は崩れたままだ。

まぁ、それは皇子と知った上でまた砕けた口調を聞いた上で、また敬語を使われるのが違和感があったルシア自身がそうしろと言ったからでもあるが。


「......陸の方、どうなってると思う?」


「そうね...アナタラクシに先行してもらったからちゃんとこちらのことは伝わったと思うけれど......アドヴィスがどう手を打ってくるか分からない。」


静かに言ったミンジェにルシアは淡々と事実だけを答えていく。

正直、陸の方ではまだ戦いの様子が見てとれるから向こうも全てが終わったということはないだろうと思う。

思うが、どんな戦況かはルシアも分からなかった。


「そう、だね。その男がそれこそ悪魔という呼び名に相応しい下種(げす)野郎なのは聞いたから...兄上たちには沖まで下がってもらったことでこっちが何かしらの決着が付いたのは向こうにも伝わっただろうし。」


ミンジェは仕方なさそうな顔をして手摺りに(もた)れかかった。

現在、ヘアン船は沖に居る。

それは、署名をもらったとはいえ、邪魔に入ろうとする者が居ないとも限らないし、明確に離脱してもらう必要があった。


そのまま帰国させずに留めているのはこれもある種、全方面に向けての保険だったりもするが、当然デメリットもある訳だ。


「ええ、そうね。まだ気は抜けないわ......と、その前に貴方、割と口が悪いわね...?」


「それはこの船での二ヶ月間の賜物かなぁ。」


ついつい気になってしまってルシアはそう告げたのだが、ミンジェはけろっと言い切った。

からからと笑う。


...まぁ、海賊船なんかに居たら口も悪く、なる?

うん、なるか。

今までは敬語だったり、丁寧な言葉使いだったので聞くことはなかったが、なんというか、少年のような顔で柔和な顔で、次々とこうも上品とは間違っても言えない言葉を聞くととても変な感じである。


......これ、仕込んだのはマーレかどうか分からないけど、それこそミンジェを崇拝してそうなチホにバレたらどうするんだろうか。

かなりの殺気を向けられる気が。


「お嬢、とミンジェ。接岸出来たので降りますよ。」


「ええ、分かったわ。ミンジェ。」


「ああ、まだ終わってないからね。行こう、戦場に。」


他愛(たわい)ない、本当に現状を忘れているかのように他愛無い、そんな様子で話していたルシアとミンジェの元へ上陸を報せにイオンが近寄ってきた。

ルシアは手摺りから手を離して、首肯を返す。

そして、隣のミンジェに視線を向ければ、ミンジェも凭れかかった手摺りから離れて背を伸ばした。


そう、終わってはいない。

厄介なのがもう一人。

戦場を抜けて、また向かうのは戦場。


「では、こちらに。」


新たに気を引き締めて、ルシアがイオンに促されるままに船を降りようと足を踏み出したところだった。

急に港に怒号が響いた。

ルシアは勢いよく目を向けた。


「!」


ヘアン船が接岸こそせずとも、占拠状態にあったこのポルタ・ポルトの港には戦闘をしている人影は一つもなかった。

だが、ヘアン船はなくなったからだろうか、今まさに戦闘中の者たちが(なだ)れ込んできたのだ。

そう、戦闘中だった。

その中に見知った顔をルシアは見つける。


「ノックス、来なさい!!」


「ルシア様!?」


降り口の辺りに立ってこちらを待っていたノックスに一瞬のうちに視線を向けたルシアは彼の名前を呼んだ。

そして、そのまま手摺りに足をかけた。

ルシアと同じように陸へ視線を向けていたノックスは呼ばれて見た先で飛び降りようとしているルシアに驚愕の声を上げて、焦ったように駆け出した。


そのまま、(なか)ば強引にルシアの居た場所よりも手前で手摺りを越え、それを足場代わりに蹴り飛ばして、一足飛びに既に宙に身を投げ出していたルシアに近付き(かか)え込む。

そのまま、ルシアとノックスは港の地面へ向けて落下したのであった。


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