267.終結を目指して
「――それで、どう致します?」
甲板の上でルシアの凛とした声が響いた。
ルシアはただジョンウを見上げていた。
「まだ、わたくしとお話をする気はおありになるのかしら。それとも...。」
本来、これは他国の者が口を挟むことではないけれど。
さて、彼はどんな結論に至るだろう?
今から攻撃を仕掛けてくるほどの愚か者ではないと思う。
既にほとんどのヘアン兵はやられた。
そして、イストリアの竜人族については他大陸でも最強の生物として知られていると聞いている。
さすがにこの大陸の民たちとは違い、ただの伝説として語られるような偶像の存在に近いものと思われてはいるようだが、それもこの場にアナタラクシが居ることで一蹴しようにも出来ない。
今、彼らヘアン勢は頭に過っているはずだ、物語の中だけのはずの竜人が存在し、こちらに向かって首を擡げている。
では、もしこの竜が物語通りの力を持っていたら――?
その疑念は背後で無惨に大破している船が生々しく後押しして突き付けてくる。
だからといって、あちらがルシアの提案に乗って交渉まで持っていけるのかは分からない。
果たして、ジョンウはまだルシアと会話を続けるつもりがあるだろうか。
あったとして、他のヘアンの者たちはどう思うだろうか。
あ、焦りで正常な判断が取れずに攻撃してくるかもしれない?
それとも、捨て身で?
...アナタラクシをサボらせないつもりで呼び寄せたのは時期尚早だった?
ヘアン兵たちを恐怖で圧倒し、その闘争心をへし折って早急の収束を、と思ったのだけど。
確かにヘアン兵はルシアの思惑通り、少なからず恐慌に陥ってくれているようだ。
それでも、叫び出さずに堪えているのは彼らも武人だからか。
とはいえ、どんな動きを見せようとも反応しなければならない。
ルシアは微笑みながらも様々な状況に対して思考を巡らせ続けていた。
そのせいか、瞳だけはその振る舞いの令嬢らしさからかけ離れている。
しかし、それは戦う者の目だと、ジョンウには届いていた。
「...ああ、他国の者と言ってもこの場に居る以上、貴女は関わりのある人なのだろう。」
「ええ。」
勝手に交渉する権利が私にあるとは言わないけど、ここに居ることはこの戦場で一番最高権限を持つエドゥアルドから了承を貰っているから。
...まぁ、半ば押し切ったようなものだけどね。
「もう一度、繰り返しますが、わたくしは無用な戦いは望みません。それでは、交渉を致しましょうか、ジョンウ殿下。」
「...まずは私も同様に考えていると言っておこう、ルシア、姫?」
無骨そうな顔でジョンウは頷く。
その表情は困惑もあり、緊張もあり、上に立つ者の強い意志があり、色々なものが綯交ぜになっていた。
けれど、一番に表に出ているのは交渉をしようという、ルシアと同じものだ。
自ずとルシアは背を伸ばしたのだった。
海賊船とヘアン船、お互いの間合いの入れど、距離はあった。
それこそ、近付き過ぎては会話もしづらい。
ルシアとジョンウ、お互いの距離は各地点から船の縁まで、そこから数メートルの海の地面。
それだけの距離がありながら、二人は握手を交わしたような面持ちでお互いに視線を向けていたのだった。
「......こちらとしてはこれ以上の被害を負う訳にはいかない。完勝したのなら未だしも、既にこの被害ではアクィラを落としたとして何も利にもなりはしないだろう。」
最初に口火を切ったのはジョンウだった。
その明け透けな物言いにヘアン船の方でどよめきが起こる。
だが、構わずジョンウは言葉を切りはしなかった。
「...そうでしょう。何と言っても貴国は他の大陸にあるのですもの。」
ルシアは淡々と頷いた。
ヘアンの兵はどよめいたが、このくらいちょっと考えれば誰でも分かることだった。
前に、アドヴィスの提案をエドゥアルドが蹴った時と同じことだ。
アクィラが積極的にヘアンを攻めるメリットがないように、ヘアンにもこれ以上の損失を負ってまでアクィラを落とし切る旨味はないのだ。
ここまで、ポルタ・ポルトの惨状で、この戦場だけで考えていたがアクィラとして見れば、嫌な言い方だがたった一つも街を落とされただけなのである。
その時点でこれだけの被害が出たなら、帰還は賢明だとジョンウは考えたのだろう。
「...何もわたくしたちに接触せずともお帰りになればよろしかったのでは?」
ついつい、ルシアは思考の端で浮かんだ疑念を舌へと乗せていた。
わざわざ待たずともそのまま逃げ帰ってくれれば、少なくともルシアは追いかけようとはしなかっただろう。
「ああ、それは対外的にも周りを納得させる為だった。」
「然様でしたか、余計なことを申しましたわ。」
確かに逃げ帰ったということより敵との話し合いの結果、苦渋の末の帰還という方が聞こえは良い。
こんな時に体面なんてとも思うが、こんな時だからこそ、少々の危険に目を瞑り、行動することの意味があるとルシアは知っていた。
「いや、構わない。......ルシア姫、今一度聞くが、貴女はこのまま私たちを捕えることも倒すことも出来るだろう。それでも、私たちを見逃してくれると?」
「ええ、そのつもりですわ。ただ――。」
「......何か?」
渋い顔で確認を取るジョンウにルシアはにこやかに頷いた。
ルシアもジョンウも何度も繰り返し己れの意思表示をするのも相手の意思確認をするのも、お互いに立場があり、慎重にならざるを得ないから。
そして、何より何の対価もなしの話以上に不安定なものはないと彼らは知っているからである。
だから、ルシアは頷くだけに留まらなかった。
否定ではないが、それだけではないと言葉を切る。
ジョンウはルシアの顔を覗き込むように目を凝らした。
不信、だが何もないよりは断然安心出来る。
「一つだけ確約がいただきたいのです、遠くも近い、この大陸とも交流のある大国ヘアンの第一皇子殿下。次期国王である皇太子殿下。」
ルシアは見据えた瞳を光らせた。
ジョンウを含めたヘアン側の顔が固まる。
そうなると分かって私は敢えて、皇太子と呼んだのだ。
交渉ならば私の壇上、とばかりにルシアはこの場の誰よりも好戦的にここに立っていたのだった。
やっぱり、戦闘より会話させている方がルシアは生き生きする気がするし、何より作者が生き生きします。
そして、また間延びするやつなんだわ、そろそろどうにかしろよ!っと。
ただ、もう少しで終わるとは思います、いや思いたい。




