266.他大陸の皇子と銀の君(後編)
ルシアはその視線が、自分が相手だけに向けているように、相手もまた自分だけに向けてきているのをはっきりと感じていた。
見下ろしている角度によって影になっていた金茶の瞳が鈍く輝いて見えた。
辿り着いた大将船、既に日の出の時間に差し掛かっていた。
空はルシアが思い浮かべていた通りに急速的に白んだ空気の合間から光の気配が徐々に感じられ始めていた。
そんな中でルシアは一人の男と対峙していたのだった。
「......ルシア。」
「!......ごめんなさい。ありがとう、クスト。」
とん、と急に肩を叩かれてルシアは弾かれたように視線を下ろした。
その瞬間にこの場を縛っていた何かが消え去ったような、緊張感とも近い空気が霧散したかのような気分をルシアは味わった。
何故だか、睨み合いとは別にお互いの視線が逸らせなかったのだ、とルシアは息を吐く。
一息を吐いたことで気を切り替えたルシアは未だに肩へ置かれている手越しに、その手の主のクストディオに視線を合わせて、謝罪と礼を告げた。
そして、もう一度ルシアは|前方を見上げた。
先程までとは違い、逸らし難い何かはない。
けれど、自然と目線は金茶色と結び付いていた。
ルシアは少し大きめに分かりやすい動作で空気を吸った。
そして、音と共にその空気を喉から吐き出した。
「......御機嫌よう、貴方様がそちらの指揮を取るお方だとお見受け致しますわ。――こうして、お互いに攻撃なく間合いに入ったということは、貴方様もわたくしと同じことを思慮されたと考えてもよろしいかしら?」
すっと背を伸ばし、手は前で緩く重ねる。
顎は僅かに引き気味で、視線だけは逸らさずに。
ルシアは完璧に貴族令嬢として、王子妃として身に着けてきていた優美な所作でその相手に微笑みかけた。
相手の男が少し意外そうに目を瞬かせたのをルシアは見ていた。
それはそうだ、今のルシアは街娘同然の恰好で、その肌もここ数日の内にいくらか荒れてしまっている。
だが、それでも普段はずっと丁寧に整えられてきていたことが分かる指先やその令嬢としての仕草はとてもじゃないが街娘にはないもので、その畏まった態度も相まって、ルシアの纏う雰囲気は絶妙でミステリアスと言っても良いアンバランスさを持っていた。
勿論、ルシアのその変わり身に驚いたのは相手方だけではない。
ルシアの猫かぶりも令嬢然とした姿を知っている護衛たちは普通だったが、こちらの船の上でも俄かにざわめきが立ったのをルシアは背で聞いていた。
何なら、斜め後ろからも息を呑む音が聞こえた。
そこは舵のあるところで居るのは言わずもがな、マーレである。
...マーレは私が貴族令嬢だってことも王子妃だってことも知っている、よね?
ルシアは振り向いて微笑みで威圧したいのをぐっと堪えた。
今は前方に意識を向けなけらばならない。
ルシアは相手の反応を待った。
やがて、中央の男が身動いだ。
「......貴女がまずは話し合いを、と言ってくれるというのなら、私としては大歓迎だ。」
ゆっくりと低く安定感があり、人が聞き入ってしまうような声がそう紡いだのを、ルシアはしっかりと噛み砕いた。
それを嚥下しながら、少し微笑みを深めて向ける。
「わたくしは、無用な争いは好みませんの。それを避けることが出来るのであれば、いくらでも貴方様のお話にお付き合い致しましょう。」
その言葉は本心だった。
戦って相手を全滅させることがルシアの目的ではないのだ。
ルシアの目的はこの戦争を終結させること。
ヘアンがこれ以上、アクィラを攻め入るのを止めること。
ルシアは微笑みを絶やさずに頷いた。
その優雅さがこの戦いの最中という状況で、このいつ一触即発となっても可笑しくない場で、似つかわしくないのはルシアとて知っている。
そして、このような場で最も威厳ある態度というのが優雅さではなく、貫禄ある武人のような態度だということも。
例えば、目の前のその人のような?
だが、ルシアは自分が持つ一番の武器で仕掛けたのだ。
ただの水面下の舌戦と侮るなかれ、王子を助ける為に物語を変える為に実際に駆けた戦場とは別の戦場にルシアはずっと居たのである。
あの魔窟とも言うべき最北の王宮で。
「私はヘアン国第一皇子。名をジョンウと言う。貴女はアクィラ国の公主だろうか?」
ふ、とルシアは張り付けた微笑みとは違う笑みを溢した。
否、ほとんど息を吐き出すようだったそれは思わず零れ出たものだった。
確かに普通の街娘さえ場違いに映るこの場所に居て、高貴な出自を彷彿とさせながら自ら口を開き、この陣営のトップかのように前へ出てきた少女となれば、あまりに突飛過ぎてただの令嬢程度ではないと考えるのはよく分かる。
...それにしても、そうか、それだと私はエドゥアルドの妹になるのかな?
と、いうことはベアトリーチェが義姉に当たるのか、それはそれで面白そうだな、なんて言ったらエドゥアルドや王子はどんな顔をするだろうか。
くすくすと音を立てて笑いたいのはやまやまだがルシアは仮面のような微笑みを呼び戻した。
そして、上へと視線を走らせる。
それは男――ヘアンの第一皇子を通り越してさらに上、空を仰ぐ。
「――いいえ、わたくしはこの国の人間ですらありませんわ。」
「は...?」
上に視線を投げたまま、ルシアは言った。
第一皇子――ジョンウの顔に困惑が広がる。
既にルシアがここに居る状況が彼には相当、困惑に値するものだっただろう。
だがしかし、残念ながら事実はもっと突飛なのである。
「――アナタラクシ、あまり楽をし過ぎるのは駄目よ?」
何もないはずの空へとルシアはただ一言を放った。
太陽が顔を覗かせる。
水平線が白く眩しくその輪郭をなぞる。
次の瞬間、黒い影がヘアンの船の上を、ルシアたちの乗る海賊船を過る。
鳥のように素早く、けれど、鳥とは似ても似つかないほどの大きな影に一気にざわめきが大きくなったところでそれは急降下して、ルシアの真後ろに腰を下ろした。
影に惑わされ、上を見上げていた皆の目が敵味方関わらず、一斉に一ヵ所に向かう。
それをほぼ中心で受けたルシアはそれでも平然と受けて立った。
自然光の白色に照らされて、はっきりと本来の色を表したグレーの羽がルシアを囲むように広げられていた。
やはり、彼の髪の色とそっくりな色をしていることにルシアはまた思わず笑み溢す。
「わたくし、最北のイストリアから参りましたの。名はルシア・ガラニスと申しますわ。」
お見知りおきを、ジョンウ殿下?、とルシアは優雅に腰を落として礼を取った。
守られるようにグレーの羽の内でルシアはヘアンの第一皇子と対峙したのであった。
その羽の主が周りが気付かないのを良い事に盛大にげっそりとした顔で長い首を垂れていることを、一人だけ勘付いて頬が緩んでしまそうになるのに堪えながら。
遅ればせながら、一時に投稿!
少し爆睡してまいした、ごめんね(土下座)
やっぱり、週末ともなると疲れが来ますね...。
私は普段から目が頗る悪いからなのか、よく何もないところで躓いたり、避けたつもりが壁に肩や足をぶつけたりをよくします。
今日は夕方に外に出ようとして自宅の柱に足の小指を強打しました。
突き指みたいなったので未だに付け根の足の裏辺りが凄く痛い(泣)
これも疲れてボケてたんかなぁ...?あかんわ、もう。
と、いうことなので、皆様もそんなことがあるかは分かりませんが怪我にはお気を付けて!
勿論、病気等の体調管理もですよー。
それでは、雑談はこの辺に致しまして、次の投稿をお楽しみに!!




