261.二つの話(後編)
「それで?もう一つの話っつーのは?」
「ああ、それは......。」
マーレが笑みを収めて、そうルシアに問うた。
それにルシアは少しだけ気難しい表情を浮かべた。
言葉も何処か歯切れ悪そうである。
「...私としてもこれがこの戦いに深く関わってくることなのか、予測出来ないの。ただ...。」
ルシアも尚も考え込むように言葉を切った。
それは確定要素ではなく、不確定で報せてもより混乱させるだけかということもあり、積極的に話さなかったこと。
王子もどう関係してくるかは分からないと言っていた。
けれど王子が結局、私に伝えないという選択肢を取らず、伝えてくれたように頭の隅には入れておいた方が良いかもしれないとも思えて、こうして今、マーレやごく一部に伝えることにしたのだった。
「陸でアドヴィス陣営の傭兵等が暴れていた時、ヘアンはずっと何も手を出さなかった。」
「...?ああ、今も奴らは海岸に陣取ってるだけで何もしてこないな。」
そう、それは今も継続中である。
ずっと様子見を続けているヘアン。
ルシアの脈略のない言葉にマーレは一度、首を傾げたが、そんなルシアの話し方にもそろそろ慣れてきたのか、すぐに返答を返した。
顔にはまだちょっとだけ、だからどうした、と書いてあるけども。
ヘアンが攻め入らない。
それは、アドヴィスとの協力関係を結んでいるからと思っていた。
いや、それも勿論あるだろうが。
「最初、私たちがポルタ・ポルトに踏み込む際に海岸側から砲弾が降ってきたわ。」
「!」
ポルタ・ポルトを目前にして、私や王子、エドゥアルドが乗った馬車を襲った砲弾。
王子と分断されることとなった主な原因でもある。
あれは間違いなくヘアンの攻撃だったとルシアは推察していた。
「...その後、敵兵に囲まれたことも考えれば、あの時点ではヘアンもアドヴィスと共に攻撃を仕掛けるつもりがあったということよ。」
「......。」
ルシアの短いながらも端的な言葉に理解の及んだマーレが眉間に皺を寄せて押し黙った。
少なくとも街中の半壊状態の様子から、ポルタ・ポルトを襲った最初の攻撃はアドヴィス側の人間たちだけの所業でないと言える。
開戦の狼煙となった攻撃は間違いなくヘアンのものだ。
「それなのに今は静観をしているだけ。それは何故なのか?」
アドヴィスが何かしらの作戦を立てており、横やりを入れられるのを厭った結果。
元々、私や王子が考えたように一枚岩ではない敵陣営の目的のズレ。
それらの何かが起こったのか、故意に海岸で待ち構えているのかは今のところ、ルシアや王子の見立てでは五分だ。
だが、しかし。
ルシアが王子から聞いたもう一つの話はそれに関わってくるかもしれない話ではあった。
「今回の出征に従軍していたと見られているヘアンの第五皇子の姿の確認が取れていない。」
「!!」
「...ルシア様、それは本当ですか?」
ルシアの話にマーレが口を引き結んだ。
その横でミンジェが目を見張ったのをルシアははっきりとその瞳で見ていたのだった。
静かにルシアの護衛として隣に立っていたノックスが少し驚いたように、成否の確認の言葉をルシアに向けた。
ルシアはノックスに顔を向けて頷く。
「ええ。ニキティウスがヘアン船を調査しに行っていたのは貴方も知っているでしょう。その際、その優秀でとても性能の良い耳で第五皇子を捜索しているらしき話を兵士が溢していたのを聞いたらしいの。」
まぁ、相変わらず人間離れした能力だな、と聞いた時は危うくそっちに意識を持っていかれるところだったけど。
それはそうとして、その第五皇子。
もしかしたら、姿を消したのはルシアたちがポルタ・ポルトに入った日か、その翌日に消えたのではないだろうか。
それも、独断か何かで、だ。
「...もし、その皇子のことが要因の一つなのであれば、少し警戒する必要があるこもしれないわ。」
「......それはなんでだ、お嬢ちゃん。」
ルシアは警戒を強めることを促した。
マーレがそれに理由を問うた。
ルシアが視線を向ければマーレは先程よりも明らかに強張ったような顔で今にも舌打ちを打ちそうな様子だった。
「...それは、アドヴィスの元にその皇子が居るかもしれないからよ。」
「!それは。」
ノックスはルシアの告げた内容に何か思い至ったかのように声を上げた。
ルシアは多分、ノックスの思い浮かべる通りだと頷いてみせた。
姿の見えないたった一人の皇子。
それも大将となっているのは第一皇子で、第五皇子はただ従軍しただけの皇子だ。
勿論、何をしているか分からないという未知の要素を持つ敵は厄介だと言える。
警戒対象だとも。
けれど、これはそれだけじゃない。
「私はアドヴィスと共に行動を取っているヘアンの元工作員であるチホの主がその第五皇子だと考えているわ。」
裏切り者のチホ。
ヘアンとは違う目的を持つヘアンの青年。
彼はある皇子を玉座に就かせるという目的の為にアクィラとの戦争を起こそうとした。
その皇子が第五皇子ではないのか。
「もし、その皇子がチホと目的を同じくしているのなら、むしろ、こちらの味方となる可能性もある。けれど、アドヴィスと居るのなら、どんな方向に事が進んでいっても可笑しくないわ。」
だって、それはアドヴィスの作戦の幅を広げるにはもってこいの人材だから。
まだ、本当に皇子がアドヴィスと共に居るのかも、どんな思考で姿を見せないかも分からないけれど。
やはり分からないからこそ、警戒をしなければならない。
「勿論、全くの見当違いということもあるでしょう。杞憂に終わることもあるでしょう。けれど、取り敢えず、いつ不足の事態が起こっても可笑しくないという意味で頭に入れていてちょうだい。」
「......。」
考えるには情報が少ないそれがイレギュラーを引き起こしかねない。
だから、認識だけでもしておいて欲しいとルシアは締め括った。
「...マーレ?」
「あ、ああ...そうだな、分かった。」
しかし、何も返答が返ってこないことにルシアは訝しげにマーレに声をかけた。
マーレはハッとしたように慌てて頷き、了承を口にする。
ルシアはより怪訝そうにマーレに視線を送ったが、マーレは恐ろしいくらい真剣な目で俯きがちに押し黙り、ルシアの視線には何も返さなかった。
「...そのチホという男は本当にそのアドヴィスという男と共に?」
「ええ、それは一度、彼と遭遇しているから確証持って言えるわ。」
「...そう、ヘアンの兵士とは、一緒には居ないのか。」
「もしかしたら、工作員としてそちらに居るのかもしれないけれどね。」
ルシアが見たチホという青年は頭の切れるタイプに見えた。
だから、ヘアンの軍とは違う目的を持っていることを巧みに隠して紛れ込んでいても可笑しくはない。
ヘアンの兵士はまだ彼の野心を知らないだろうから。
ルシアはゆっくりと吐き出されたミンジェの言葉にそう答えた。
アドヴィス側の動きはまだ未知の部分も多く、圧倒的な戦力で立ち向かう必要があると判断したからこその此度の作戦。
チホの動きもまた、第五皇子と同じく未知数だった。
「ルシア、最終確認が終わった。」
「クスト。」
沈黙がこの場に落ちたところでクストディオの声が横から響き、ルシアはそちらに向き直った。
見れば、クストディオとその後ろからイオンがこちらに歩いて来ていた。
「先程、エルネストに確認を取ったところ、その他の準備も整ったらしいですよ。それと、そろそろアナタラクシも配置に着くと思うので移動した方が良いかと思いますけど。」
「!そうね、アナタラクシには一応、暁方にとは言ってあるけれど、それまでには私たちも配置に着いていなければ。」
陽動開始の際に辿り着いていないなんてことになれば目も当てられない。
ルシアはイオンの言葉に背筋を伸ばして、スイッチを切り替えた。
そうして、マーレを見上げれば、マーレも同じように顔から強張りを解いて、然れども緊張感のある面持ちで頷いた。
「ああ、出発だ。」
そう言って、マーレは舵に手をかける。
そして、甲板を見渡して息を吸った。
「お前ら、準備は良いな!!錨を上げろ!行くぞ、出航だ!!」
おおー!!!!という聞くのはもう何度目かの大きく周囲から響く雄叫びにルシアは身の締まる気持ちで聞いていた。
まだ暗い海を掻き分けて、やがて船が動き始める。
ルシアは暗闇の前方を眺めた。
いよいよ、戦いだ。
ヘアンの大軍と一線を交える。
勿論、不確定要素については非常に気がかりで、このまま進んで良いのかという思いがない訳ではない。
チホのこと、アドヴィスのこと、第五皇子のこと。
考えなければならないことはいっぱいあると。
けれど、このまま先手を打たれるのを手をこまねいて待つ訳にもいかないのだ。
ルシアはちらりと横目で視線を向けた。
そこに居たのはルシアとは違う方向に視線を向けているミンジェだ。
その方向にあるのは今から戦おうとしているヘアンの大軍。
そして、海岸であり、陸の地平線。
「...何が起こるか分からない。だからこそ、早急に叩きましょう。」
ルシアは誰にともなくそう呟く。
その鈴のような音は見えない風に掻き消されていく。
暗い海の真ん中で灰色の瞳が鈍く、そしてその横で逸れた方向を見る銀色が鋭く、光って見えた。
ルシア15歳の夏、アクィラ沖の海の上にて。
薄闇を割り進む海賊船の上。
黎明を告げるその刻を目前にこの戦争の大局を動かす作戦が開始したのだった。
ちょっと、長くなりました。
あまり添削出来なかったのでもしかしたら、後々変更部分があるかも。
やっと作戦の開始です。
ここからは急速に展開が進むはず!(泣)




