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238.証拠と根拠


シーンと、余韻(よいん)が今にも聞こえてきそうなほど、室内は静まり返った。

それもそのはず、ルシアが語り終えたからだ。

それなのに、既に解禁になったはずの反論すら誰も発しないからだ。

シーンと、室内が静まり返る。


しかし、この状況において、ルシアの目は先程までの言葉の数々より雄弁に目の前の青年へ、マーレへ語りかけていた。

やがて、その視線に堪え切れなくなったマーレが身動ぎする。

そんな些細な音が沈黙の魔法にでもかかったような部屋の空気を(わず)かに緩和させたことで、息すら(ひそ)めていた皆が一斉に息を吐いた。

急激に部屋の温度が上がっていく、そんな錯覚を起こすような現象だった。


「......マーレさん。」


「!...ああ、ありがとな。」


いくらか、通常通りの空気の中に先程までの後味が尾を引いていて、物音、息、それらの音はせど、誰も口を開き、音を発さない中、最初に声を出したのはルシアでもなく、この状況に少なからず耐性があるはずのルシアの護衛たちでもなく、そして、言葉の雨をぶつけられたマーレでもなく、この場で一番傍観者の位置に居たミンジェだった。


ミンジェはマーレを呼び、水の入ったカップを差し出す。

声をかけられたマーレは僅かに肩を揺らした後、酷くぎこちなく横を向いて、ミンジェからそれを受け取った。

そして、そのまま口へと運び、一気に流し込んだ。


「...俺が戦争に関して調べていたとして、それが戦争終戦が目的とは飛躍し過ぎじゃねーのか?なぁ、お嬢ちゃん。」


水を飲み干したことで幾分、落ち着いた様子のマーレが皮肉げな表情でルシアに向かい合った。

調子を取り戻してきたマーレを見て、ルシアは目を(またた)かせてからくすりと笑う。


「あら、もしかしてまだ違うと言うの?」


「ああ、だってそうだろ?そんなことをなんで俺らがしなきゃならない。なんの得にもならない上に、関わるには危険が過ぎる。」


百害あって一利なし。

マーレの言う言葉のつまりはそれだった。

そんな大それて、突飛で、リスクばかりが高く、成し遂げたとしても見返りは存在しない。

それは事実だ。

けれど。


大それた?

それがどうした。

あまりにも突飛?

それがどうした。

高リスク、低リターン?

それがどうした。


海賊の彼らにそんな義理もなければ、義務もない?

自由な彼らにそんな義務はないだろう。

けれど、見捨てられないという何かが必ずある。

それは真実。


「......ポルタ・ポルトの見取り図に記されたヘアン軍の配置。視認出来る限りの(おおよ)その武器、戦力の数の記録。第三勢力の動向調査。」


つらつらとルシアが何かを思い浮かべるように(そら)んじ始めた。

ルシアの誰へ向けてでもない言葉の羅列に本来であれば、誰もが首を(かし)戸惑(とまど)いを見せたことだろう。

けれど、この場に居る全員にその言葉への心当たりがあった。

マーレが視線だけを(とが)らせていくのをルシアは見つめていた。


「最後にヘアンへの交渉材料と成り得そうな情報収集。あら、心当たりはあるようね?」


「...俺が部屋を出ていった時だな?」


「ええ。そこの机、今も乗っているその紙の束はどう見たって戦争を止めようと画策しています、と言っているようなものだったわ。」


確信を持って、マーレが問う。

その顔は己れのはっきりとした失態に気不味げに(ゆが)んでいた。

安心して、主題や最初の数文に目を走らせただけで全ては見ていないわ、とルシアは頬に手を当てた。


実際にルシアは上部の数枚に目を走らせただけ。

あの時、私は何も見なかったことにして、一分と経たず席へ戻った。

下に埋もれてしまっているものは勿論、そのほとんどの中身を知らない。


マーレがあの時、この部屋に残っていたミンジェに目を向ける。

視線を向けられたミンジェはしくじった、という顔をしながらも否定を口にしなかった。


「...ルシアが机に近付いたのはほんの一瞬だったので。」


歯切れ悪いミンジェの言葉にマーレが嘆息を溢した。


そう、ルシアが確信を持ってマーレの、彼の(ひき)いるこの海賊船の者たちの目的を断言したのはそれがあったからだった。

昨日、見つけた書類の山が何よりの根拠で証拠だった。


「...私は最初、見ない振りをするつもりだったわ。もう私はこの船を離れる。貴方たちとの縁もこれでおしまいよ。ならば、その後に貴方たちが何をしようと関係ないと思っていたわ。」


例え、目的が一緒でも、利害が一致していても、それを証拠に協力関係は結べないだろう。

マーレは乗ってこない。

ルシアはそう、思っていた。


それなら、必要以上に踏み込むまいとした。

結局、イオンたちに調査を指示なかったのも、マーレがエドゥアルドの名前に反応したことも含めて、ここでの疑念は決して口に出すことはないだろうと。


「...なら、何故?何故、お嬢ちゃんは今、追究しようと思った?何を、お嬢ちゃんの考えを変えるほどの何を見た。」


「体術。」


「は?」


何を、とマーレは聞いた。

ルシアが何かを見て、考えを変えたのだと、マーレは気付いていた。

それも、今日の何処かで。

多分、あの甲板で。


ルシアは真っ直ぐ冷えた青色へ向けて、ただ一言、そう舌に乗せた。

マーレが間抜けた声を上げる。


「だから、体術よ。貴方の。今日、先程甲板で、小競り合いの仲裁をしていた貴方の、体術。」


ルシアはさすがに予想外だったのか、困惑を見せるマーレに繰り返した。

その脳裏には、日差しの中で見たマーレの無駄のない動きがしっかりと映っていたのだった。


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