217.脱出、転落、囮、分断
「!?」
ルシアは大きく立てられた音に身を固くしながら、振り返った。
その間にも外れ切った扉から荒くれ者らしき男たちが次々に姿を現した。
「っ、荷物は良いわ!すぐに撤退して!」
ルシアは怒号の如く、声を張り上げ指示を出す。
そして、自身も後ろへと下がった。
こうなればもう、正面の入口は使えない。
|裏側も囲まれているかもしれないが、侵入はしてきていない。
逃げるなら、そちらの方が突破口だろう。
ルシアの声に護衛たちもアクィラの騎士たちも臨戦態勢を取りながら、後ろへと下がり始めた。
「...エディ。」
「...ええ、これも仕組まれていたのでしょうね。」
ルシアはそっとエドゥアルドの邪魔にならない絶妙な距離まで近付いて、囁くようにエドゥアルドを呼んだ。
怖いくらいに表情を張り詰めたエドゥアルドは正面を向いたまま、ルシアに返答する。
あの男、ここに爆破物があるというのに敵兵を寄越すなんて、ほんとに良い性格をしている。
要はどちらの死体が積み上げられようと構わないということか。
本当に反吐が出るとはこのことだわ。
「エディ様、ルシア様。右端の部屋から出ます。」
ベッティーノが告げる言葉に、ルシアとエドゥアルドはちらりと視線を向けて、同時に頷く。
そして本日、何度目かの合図を受けて、ルシアはエドゥアルドと護衛たちと共に奥へと走り出した。
後ろで下卑た声が上がる。
そして、聞こえる乱暴な足音と交戦の音。
どうやら、殿を務めるアクィラの騎士たちが応戦している音のようだ。
「エディ様。」
「ええ。ベッティーノ!騎士たちも撤退が優先です!引き際を誤らないでください!!」
ルシアはイオンによって蹴破られた奥の部屋の扉を潜りながら、後ろのエドゥアルドに振り返る。
エドゥアルドはルシアの意図を正確に読んで騎士たちに声を張り上げた。
そうだ、ここにはまだ爆破物がある可能性が高いのだ。
それもいつ爆発するか、分からないものが。
それだけじゃない。
少なくともクストディオが解除した爆破物が何かの拍子に発火したら、それで終わりだ。
「お嬢、今のうちに出てください。」
先に外へ出たイオンがルシアを促す。
見れば、その足元に数人の敵兵が伸びていた。
ルシアは頷くよりも先にイオンに従って外へ飛び出した。
他のメンツも同じように脱出する。
「───ルシア嬢!」
「ええ!!」
ルシアたちは立ち止まらずにそのまま駆け抜ける。
エドゥアルドがルシアを呼び、ルシアは心得たとばかりに力強く返事を返した。
そして、そのまま進路を東にルシアは走る。
それはエドゥアルドと脱出前に話したことだった。
東には海に面した洞穴がある。
そこはアクィラの人間だけがよく知る場所で、普段は閉ざされており、侵入にはコツが要るという場所だった。
まず、発見が困難な上にもう何年も使われていないと。
その場所をあの男に把握されていないとは断言出来ないが、今のところは一時的に身を隠すのには有効な場所だった。
ルシアは走る。
周りの男たちと違い、体力を強化するトレーニング一つ行っていないルシアは後ろを振り向く余裕はなかった。
「っ!!」
「!?──エディ様っ!!」
だが、背後で呻くようなくぐもった声が聞こえて、ルシアは顔を背後に向けた。
声の主はエドゥアルドだった。
彼の腕に深々と、矢が生えていた。
ルシアは叫ぶ。
数滴の血が舞う、エドゥアルドの身体が傾ぐ。
そして、運の悪いことに傾いだ先は大人の背丈ほどの崖。
ルシアは身体を反転させてエドゥアルドに手を伸ばそうとした。
だが、身を反転させるたった一瞬が、エドゥアルドにルシアの手を掠めさせる。
「エディ様!!」
ルシアはドクドクと暴れる熱い身体を駆ける寒さに喉を引きつらせながらももう一度叫ぶ。
自身の身体も傾いでいることも厭わず、ルシアはまだ手を伸ばした。
これでは掴めたところで重心も取れず、何よりエドゥアルドより軽い自分も一緒に転がるだけだなんてことはルシアの頭には一切なかった。
ただ、エドゥアルドだけを見ていた。
「っ!」
カクン、と突如ルシアの身体がくの字に折れた。
引き上げられて、後ろへ突き飛ばされる。
上へと重力に逆らった己れの横を真逆へと進む影を見た。
ベッティーノだ。
ルシアは目を見開く。
そのまま、後ろへと倒れかけたルシアはノックスにキャッチされたことで、漸くベッティーノが自分を突き飛ばして、彼自身がエドゥアルドを追ったのだと理解した。
「ベッティーノ!」
「大丈夫ですよ!エディ様も!」
すぐさまルシアは崖下を覗き込んだ。
すると、ベッティーノから元気な声が返ってきた。
どうやら、しっかりとエドゥアルドを庇うことが出来たようである。
しかし、これが高さがあったらとゾッとした。
「でも、エディ様を抱えては上がれません。こちらは別口で向かうんでルシア様はそのまま向かってください!」
「!」
明るい声色には似つかわしくない、洒落にならないといった表情でベッティーノは告げた。
ルシアは息を呑む。
確かに高さは飛び降りる分には決して高くないが、上がるのは難しい高さだった。
それのみか、怪我をしたエドゥアルドでは到底無理だ。
「──分かったわ。ただし、騎士の皆様はそちらで向かってください!こちらはわたくしたちだけで向かいますわ!!」
ルシアは覚悟を決めたように顔を上げて崖上の騎士に告げる。
騎士たちは迷いを見せ、二の足を踏んでいた。
ルシアの意志ある瞳がきらりと光る。
「貴方たちの守るべきはエドゥアルド殿下よ!こちらは大丈夫。早く行きなさい!!」
ルシアは叱咤するように催促した。
ルシアは自分よりずっと怪我をしたエドゥアルドを気にしていた。
幸い、エドゥアルドは立ち上がり走れるようだが、腕からは血が垂れ、その場に水溜りを作り始めていた。
そうだ、行け。
大丈夫、私には私の護衛が居る。
ルシアは力の篭る瞳で騎士たちに指示を出した。
早く、食い止めた敵兵がもう追い付いて来るから。
気圧されたかのように、迷いを見せた騎士たちが崖を降りていく。
ルシアはそれを見届けて東へと走り出した。
こちらが見えた敵兵たちがルシアたちの動きにどうするかと一瞬、減速する。
それを利用してルシアたちは出来るだけ距離を稼いだのだった。
思えば、この選択がこの後の突飛でこの戦争の結末を決める出会いに繋がったのだ。




