214.拠点にて、戦場を駆ける
遠くで空を切る音が駆けたのをルシアは肩で息をしながらも聞いていた。
もう何度目かの音だった。
決して強くもないが弱くもない風が崩れた家や人工物だったものの粉塵を踏み荒らされた土埃と共に巻き上げ、身を低くしたルシアに吹き付けた。
けれど、それを気にしている場合ではない。
ルシアは簡易的なワンピース型の服が汚れるのも厭わずに片膝を突いて周囲を見渡していた。
「ルシア嬢、大丈夫ですか。」
「エディ様...。」
声をかけられ振り向けば、エドゥアルドが近寄ってきていた。
彼の顔にも土汚れが付着している。
多分、私の顔も同じようなものに違いない。
「ええ、大丈夫ですわ。まだ、動けます。」
ルシアは息を整えて真っ直ぐに言った。
ルシアの体力は底に限りなく近かったが、底をついてはいなかった。
そして、何よりちょっと休憩したことで上がっていた息も整えられたからもう大丈夫だ。
「...分かりました。目的地はもう目と鼻の先です。そこへ着けさえすれば、後は暫く倒れ込まれても構いませんので。」
「ええ、カリストが合流するまでそうさせていただくわ。」
ルシアの真剣な瞳にエドゥアルドは動くことを提示した。
そして、冗談ともつかない言葉を口にする。
だから、ルシアも冗談ともつかない言葉を自信ありげに返したのだった。
それを見て、小さくエドゥアルドが笑み溢す。
ルシアも不敵な笑みを浮かべたのだった。
現在、王子と分断されてポルタ・ポルトに突入してから数十分。
もしかしたら、もっと経っているかも、まだ経っていないかもしれないが、私の体感ではそのぐらいの時間が経過していた。
街の中心の付近の家と家の間の路地にルシアたちは身を隠していた。
丁度、崩れた塀が上手くルシアたちの姿を隠してくれていた。
何度か、壁一枚を隔てた向こうを駆ける音を聞いたが、ルシアたちが見付けられることはなかった。
だから、そこでルシアたちは一時、身を休めていたのだ。
それは状況を把握するにも必要な休憩だった。
街中は中心から南に行くほど敵が増えていった。
しかし、不運にもルシアたちの向かう拠点となる場所も南よりの位置にあったのである。
そして、ここはもう、その建物のすぐ傍だということもまた、ルシアも頭の中の地図で理解していた。
だからこそ、慎重にだ。
これはセーブポイントに駆け込んでしまえば良いゲームじゃないもんね。
この現実のセーブポイントは敵の来ないセーフティエリアという訳ではない。
だから元より、中へ入るには周りに注意する為に手前で一度立ち止まる必要があったのだ。
けれど、皆が決して口にしないが、休憩の理由の一つが自分の体力にあることをルシアはよく理解していたのだった。
「ルシア様。」
「ノックス。大丈夫よ、それより貴方は?怪我してない?」
ベッティーノが周囲を確認している間、ルシアも息を潜めていつでも動けるように腰を浮かせていた。
そこへノックスが躙り寄ってきた。
ルシアは呼ばれたままにしゃがんでいつもより近いがそれでも高い位置にあるノックスを見上げた。
呼び返せば、金色の瞳が心配そうに揺らぐのを見て、ルシアは笑う。
そして、念押しの如く大丈夫だと告げた。
「...ありませんよ。汚れは酷いですけど、怪我はありません。」
「そう、良かったわ。...他の皆も?」
ノックスは多少、納得のいかないといった表情を浮かべたが、すぐにルシアの問いに答えた。
ルシアは安堵を綴る。
そして、ちらりとノックスの背後に視線をやって他の皆の安否を尋ねた。
ルシアの言葉にノックスが首肯で答えた。
よく見れば、耳の良いイオンとルシアの口元を見て読んでいたらしきクストディオがほぼ同時に頷くのが見える。
どうやら、護衛の三人とも怪我はないらしい。
「エディ様、今なら行けます。」
「...分かりました。ルシア嬢。」
「はい。」
前に居たベッティーノが声を上げる。
エドゥアルドが受け答え、こちらを向く。
ルシアも足に力を入れながら、頷いた。
そうして、ベッティーノの合図を切欠として、ルシアたちは敵に察知されることなく、目的の建物に侵入したのだった。
最後に入ったクストディオが外を警戒しながら、音を立てずに扉を閉める。
知らず安堵の息が何処からともなく吐き出されたのをルシアは耳で捉えていた。
ルシアは一応、安全圏に入ったことで肩の力を抜いて見渡した。
どうやら、この建物は平常時は宿の役割を担っていたようだ。
一般的な平民の住宅よりは多い窓には全てカーテンがかかり、覆い隠しており、室内は薄暗い。
けれど、飛び込む数瞬に見た外観が周りの建物と大差なく、ぼろぼろだったのに対して、中は多少の乱れは感じるものの、戦場の只中にあるとは思えないほど綺麗だった。
後からエドゥアルドに何らかの事件等の際に拠点とする為に目眩ましに類する魔法が建物全体にかかっていると聞いた。
さすがに入るところを見られると効き目はないが、中に居る分には外から見た人は勝手に無人だと感じるようになっているらしい。
だから、王族や貴族が人目を避けてお忍びで来る時に重宝するとのことだった。
「ルシア嬢、今のうちに水分補給を。」
「ありがとうございますわ。」
エドゥアルドが差し出す水筒を受け取り、ルシアは口にする。
冷たい水が喉を胃まで伝い落ちる感覚にルシアは自身が思っていた以上に先程までの運動によって火照って、息が上がっていたのかを自覚したのだった。
「カリストが合流し次第、ここを拠点に動きます。ルシア嬢、大丈夫そうですか。」
「ええ。今から充分休憩させてもらうから。」
ルシアは口ではそう言いながら、エドゥアルドに作戦の確認を取り、幾重にも作戦を練り詰め始める。
ふと、ルシアは窓を見る。
見えるのはくすんだ緑のカーテンだけ。
それでも、ルシアはその先を、金の髪に紺碧の瞳を見るように神妙な表情を浮かべていたのだった。




