195.混沌の瞳がこちらを向いた(前編)
「あと半分、廊下を曲がれば広間に着くわ。...ねぇ、イオン。」
「はいはい、広間は回避しましょう。手前の窓から庭に出ます。多少葉っぱだの、汚れだの、あると思いますけど、文句は言わないでくださいねぇ。」
「ええ、この状況でそんなこと言いはしないわ。」
前半は来た道程度は覚えられる自分の護衛ではなくベアトリーチェに、後半は後ろを走るイオンの名前を呼べば、イオンは慣れた様子でルートの説明をしてくれる。
ルシアも淡々と返答する。
「あ、あの、広間を通過するんじゃ...?」
「ごめんなさいね、リーチェ。ああは言ったけれど、さすがに広間だけは敵が多過ぎて、貴女を危険に晒しかねないわ。まずは迂回して、貴女を安全な場所に連れていくわ。」
おずおずと小さな困惑を含んだ声が後ろからして、ルシアは身を捩った。
ノックスに腕一本で背負われて廊下を駆けている現状、物凄く不安定なので、身を半分捩じるのが精一杯だった。
声の主はイオンに突入時のルシアのように抱えてられているベアトリーチェだ。
彼女としては意を決して頷いた内容があっさり変えられていて、驚いたのだろう。
せっかく、覚悟を決めたのに拍子抜け、といったところ?
けれど、実はルシアは最初からそのつもりであったし、護衛たちも広間を迂回してからまた来た時の道へ戻るのは承知していた。
ベアトリーチェに言ったのはただ単に気を引き締めてもらう為に大袈裟に言っただけである。
私なら兎も角、生粋の侯爵令嬢。
さすがに主犯が居り、敵と乱戦中の場所へ連れていくなどする訳がない。
元よりベアトリーチェを送り届けてから広間に戻って加勢する、それがルシアの立てた作戦だ。
そういった|趣旨をルシアはベアトリーチェに話した。
「...けれど、広間では今もエドゥアルド殿下が戦っていらっしゃる、のですよね?」
「ええ。だから、すぐに貴女を外で待機しているアクィラの騎士たちに預けて引き返すわ。」
「............。」
ベアトリーチェの質問に力強い響きを持った声でルシアは答えた。
あんな死亡フラグ持ち、あんな危険な場所に放置し続けられるか!
さすがにそれは気が気じゃない。
「ル、ルシア。」
「なあに、リーチェ。」
ルシアの言葉に黙り込んでしまったベアトリーチェがルシアを呼ぶ。
その瞳は覚悟を問うた時より揺れ、その表情はエドゥアルドの来訪を報せた時よりずっと可哀想なくらいに青褪めていた。
けれど、顔は顔だけは決してルシアから逸らされることなく、ルシアは真剣に向き合って、優しい声音で問い返した。
「...ルシアなら、そのまま広間に、行くのでしょう?」
「......何故?」
ルシアの反応にベアトリーチェはビクッと肩を揺らした。
僅かに細められたルシアの視線は向けられれば、そうするだけの迫力があった。
ただの侯爵令嬢であるベアトリーチェはその圧にいとも容易く呑まれそうになる。
けれど、ベアトリーチェは口を戦慄かせながらももう一度、ルシアを見やって口を開いた。
「わ、私を外へ、送り届けてから、の話がルシアも戻るのだと、聞こえたから...。」
護衛たちだけが引き返すのではなく。
ベアトリーチェは自信なさげは声ながら、その瞳は確信に満ちていた。
それを感じ取ったルシアはたった数日の付き合いでもバレるのね、と苦笑した。
「......ええ。戻るし、わたくしだけなら迂回などせず、そのまま向かうわ。」
この目は誤魔化されてくれないだろう。
ルシアは正直にベアトリーチェへ告げた。
ルシアの答えにベアトリーチェは少しだけ下を向く。
「リーチェ、気にしないで良いのよ。」
自分さえ居なければ、早く加勢出来ることに気付いたから、そうベアトリーチェの反応を読み取ったルシアは何も気にすることはないと声をかける。
そうだ、足手纏いなんかではなく、それが当たり前なのだ。
「............さい。」
「リーチェ?」
俯いていたからか、それとも掠れた声が小さかったからか、ベアトリーチェの言葉の語尾だけが届き、ルシアは首を傾げてベアトリーチェに視線を向けた。
視界に入ってきたのは、未だ俯いたままのベアトリーチェ、そしてそのベアトリーチェを抱えた目を丸くしたイオン。
ルシアがイオンの表情に疑問を向けるより前に、ルシアは上げられたベアトリーチェの表情によって、目を奪われた。
茶色に近い黄色の瞳が今まで見たことがないほどはっきりと輝いていた。
「迂回なんてせずに、広間に向かってください。」
「!」
思わぬ言葉に、ルシアだけじゃない、ノックスもイオンの後ろを走るクストディオも目を見張った。
ああ、だから、一番近くて最初の一言が聞こえたイオンが目を丸くしたのか。
「...危ないわ。」
「......で、でも、エドゥアルド殿下がいらっしゃって、私が居なければ、ルシアは行くのでしょう?」
青白い顔色は変わらない。
けれど、ベアトリーチェは尚も食い下がる。
「...い、行きます。私なんか、足手纏いでしかないけれど、どちらにしても、迷惑をかけるなら。」
「......。」
「た、多少の、危険は分かってます。けれど、ル、ルシア。」
黙ったルシアに反対されるのを恐れたのか、ベアトリーチェは言い募った。
あわあわしている姿はいつもと同じだが、とても、とても意思の強い瞳がこちらを見ている。
ルシアは一つ息を吐いた。
ルシアの挙動一つでも気を張っていたベアトリーチェが肩を跳ねさせる。
「......イオン。」
「あー、はいはい。分かりましたよー。」
静かに呼ばれたイオンが頷くのを見て、ベアトリーチェは不安げにルシアとイオンを交互に見る。
その前後でやれやれ、という顔をしているノックスとクストディオの表情はベアトリーチェには見えていないようだった。
「リーチェ。」
「ひ、ひゃいっ!!」
急に呼ばれたベアトリーチェが可愛らしい悲鳴を上げる。
...私には出来ない悲鳴だなぁ。
「気絶しようと、気分が悪くなろうと、わたくしたちは気にかけないわ。......それでも?」
「!はい、はい...!!」
ルシアの問いかけにベアトリーチェははっとした表情を浮かべ、目を見開く。
そして、こくこくと首を縦に振って答えた。
その様子にルシアは笑う。
「丁度、この角を曲がれば広間の扉まで一直線よ。」
ルシアはそう告げて前を向き直した。
勿論、広間に突入する為に。
心得たノックスが先行して角を曲がる。
さあ、見えてきた広間の扉が───。
ルシアたちはルート変更による話し合いによって思わぬ勢いが付いたまま、そのまま広間に突入しようとした。
しかし、ルシアたちは広間に突入した時のように、今度はその扉を潜る前に立ち止まることとなった。
「やあ、お姫様は助け出すことが出来ましたか?騎士然としたお姫様?」
扉の前に立った男が大袈裟な手振り身振りで、ルシアたちに歓迎するかの如く声をかける。
ルシアは背を冷汗が伝い落ちるのを感じた。
しっかりとかち合う不気味な暗闇の瞳が、今度こそはっきりと自分自身を捉えていることを、ルシアは嫌でも気付いてしまったのであった。
久々に前後回。
例によって例の如く、後編は間に合わず、明日の投稿です...申し訳ありません。
ここ数日、溜まりに溜まったルビ振りや誤字、文法などの直しにちょっとだけ手を付けたのですが、めちゃくちゃ大変!!
普段からデスクワークが多く、肩にくるんですよね、これが。
腰痛持ちでもあるので結構辛い...。
皆様もオーバーワークお気をつけて!
いつも拝読いただきありがとうございます。
それでは、次話投稿をお楽しみに!!




