194.それは小さく、然れど強く
大きな音を立てて、扉が蹴り開けられる。
犯人はイオンだ。
お陰様でルシアは彼の動きにバランスを取り、伝わる衝撃に身を固める羽目になった。
「!リーチェ!!」
「ひっ。あ...ル、ルシア...!」
扉が壁に打ち付けられる音を聞きながら、何とか態勢を取り直したルシアはイオンの背から室内を見渡す。
そして、部屋の奥に据え付けられたベッドの上に見知った小柄な人影を見つけて声を上げた。
その声にその人影はビクッと勢いよく跳ねたが、声の主に気付いたのか、恐る恐るというようにこちらを向いて、ルシアの名前を呼んだ。
「良かったわ......怪我もないようね。本当に無事で良かったわ。」
イオンに降ろしてもらったルシアは初めてこの屋敷の床を歩いて、ベアトリーチェに近付き、怪我の有無を確認する。
幸い、小柄な令嬢が抵抗という抵抗が出来ない分、掠り傷一つないようだった。
動くのには支障ないだろう。
...というか、擦り傷でも縄の痕でも何でも何かしら残っていて、それをエドゥアルドが発見するかもしれないと思うと、ゾッとするどころの話じゃない。
「ルシア、この部屋に仕掛けはない。」
「そう。ありがとう、クスト。」
部屋の隅々を確認していたクストディオが調査結果を伝えてくれる。
「お嬢、最初の部屋が当たりで良かったですね。」
「ええ。」
次にイオンが放った言葉にルシアは同意した。
うん、ほんとに良かった。
時間を多く消費させられるのはルシアたちの本意ではないし、残してきたエドゥアルドのこともある。
何より壊した扉が少なくて済んだ。
「あ、あの、ルシア。何故、貴女がここに...?」
ふと、自身より低い位置からの声が聞こえて、ルシアはベアトリーチェの方を振り向いた。
困惑気味に、そして、この状況下である故か、弱々しさ増しましで尋ねられた内容にルシアは苦笑を浮かべた。
偏に本来ならば居ない、というか、居てはならないことを重々承知しているからである。
ほら、もう既に背後から生温い視線が三つほど感じるよ...?
ややげんなりしてルシアが誰のものか誰何するまでもないそれに気付かぬ振りを決め込む。
状況的にものんびりしている場合ではないので、ルシアは気を取り直してコホン、と咳を吐いた。
「貴女を助けに来たのよ。エディ様と共にね。」
「エドゥアルド殿下が...!?」
真剣な表情を浮かべて、ルシアはここに来た目的と共にエドゥアルドがこの屋敷に居ることを告げた。
案の定、素直なベアトリーチェはルシアの思惑通りにルシアが曖昧にして答えなかったことを追及することなく、エドゥアルドの名前に反応してくれた。
「今まさに貴女を誘拐した犯人と対峙しているわ。」
「そ、そんな...!」
ルシアの歯に衣着せぬ言葉にベアトリーチェは一気に顔を青褪めさせた。
普段、エドゥアルドを避けに避けまくっている彼女だが、エドゥアルドを嫌っている訳ではない。
純粋にエドゥアルドの危険に心配しているのだろう。
「...大丈夫よ。エディ様のお傍には騎士たちが居る。彼らも強いし、エディ様自身も強い。」
ルシアは今度は宥めるように穏やかな声音でベアトリーチェに語りかける。
そう、大丈夫。
「そして、わたくしの護衛たちが加われば、それはもう、一瞬よ。」
自信満々に、それが然も当然だというようにルシアは告げる。
それを見たベアトリーチェがあまりに自信ありげに笑うルシアに目をぱちくりとして、おろおろと視線を漂わせた。
そうして、ルシアの背後に立っていたノックスとバッチリ目が合ってしまう。
「...ええ、私たちにお任せくださいリモンディ侯爵令嬢様。」
滅多に言わないルシアの誉め言葉に珍しく誰もからかいを挟まずに、頷く形でノックスはすっと礼儀正しくベアトリーチェに声をかけた。
その姿は理想的な騎士の姿だ。
きっと幾分か、ベアトリーチェの不安を宥めてくれただろう。
「さあ、リーチェ。ここから脱出するわ。......きっと今から貴女の目に映るものは決して貴女に優しくないものとなるでしょう。覚悟は良い?」
さあ、行こう、とルシアはベアトリーチェに覚悟を問う。
ベアトリーチェの答えによっては多少、危険でも道を変える選択肢も大切だろう。
「一番安全なのは、エディ様の居る広間を通るわたくしたちが通ってきた道よ。けれど、それは同時に地に伏した敵を、恐ろしい武器の類いを、何よりも貴女を攫った犯人を見ることになるでしょう。」
それがどれ程恐ろしいことなのか。
さあ、どうする。
別にどう選択しても責めはしないし、逃げも立派な選択肢。
何よりそれが普通の令嬢として当たり前なのだから。
何なら屋敷を出て、全てが終わるまで寝ていてもらっても良い。
運び手としては起きていて欲しいけれどね。
「......行きます。」
小さくベアトリーチェが呟いた。
「行きます。そ、その方が、ルシアの、エドゥアルド殿下の、為に、なるのでしょう...?」
声は決して大きくなかった。
けれど、大声よりも強い覚悟をルシアに訴えていた。
ルシアは少しだけ目を丸くしてから、ふっと笑った。
いつも覚悟を持って行動する時に見せるルシアのその笑み。
どんな笑みよりも美しく綺麗に輝いていた。
「よく言ったわ、リーチェ。では、行きましょう。」
そうして、ルシアはベアトリーチェの手を引いて、ベッドから立たせたのだった。




