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192.悪魔との交渉の行方


沈黙が落ちた。

しかし、大きな広間で、その場の静けさとは裏腹に、様々な感情が(せめ)ぎ合うように(ただよ)っていた。

困惑、嫌悪、殺気、警戒、卑劣、そして愉悦を浮かべる男が一人。


「......。」


エドゥアルドがアドヴィスを(にら)み付ける。

感情的にアドヴィスの提案を卑劣だと断じたいのに、頭の冷静で冷酷な部分が確かに利のある話だと認めている。

だからこそ、そんな自分も含めて、目の前の男に嫌悪を向ける。

同じくそういった手段があることを理解出来る頭脳があるルシアにはエドゥアルドのその睨みがどういった感情を(あらわ)にしたものなのか、手に取るように分かった。


だけど、だけども。

理解出来る、実行出来るからといって、全て行動することが正しい訳ではないことをルシアもエドゥアルドも知っていた。

例え、商人の国と呼ばれるアクィラの王太子だとしても、いいや、商人の国の王太子だからこそ、目先の利だけを見る訳にはいかないのだ。

エドゥアルドは睨み付けていた目を伏せた。


「その提案は確かに利があるのでしょう。...ですが、この方法は後に禍根を遺しかねないものです。」


つとつとと、エドゥアルドが語り始める。

再び開かれた青の瞳が毅然(きぜん)とアドヴィスを見据えている。


「...それはこれから先の未来のアクィラを築き、治める者として決して認めてはならない道。」


強き意志が瞳の中で揺れている。

断固たる信念、それがエドゥアルドの背からも垣間見えた。

まるで海のようだ、とルシアは思った。

常に揺らめき、時として怒涛の勢いを見せ、全てを呑み込むアクィラの海のような。

一つとして同じ表情を見せない空の青が彼の髪のような海の青に。


「お断りだ、アドヴィス!僕は、アクィラは、お前のような下賎に堕ちはしない!!」


激怒、その言葉が相応しい。

そんな怒りを(はら)んだエドゥアルドの声が広間に響き渡った。

同時に(さや)から引き抜かれた剣が明かりを受けて、光を(はじ)く。

エドゥアルドの続け、と彼の騎士たちも次々に剣を引き抜いた。


「...交渉は決裂ですか。残念ですよ、王太子殿下。」


剣を持つ者たちに囲まれて尚、アドヴィスは焦り一つ見せない。

どうして、とどう見てもこちらが優勢なのに、不安がルシアの胸に(つの)る。


「...イオン、いつでも走り出せるように準備して。」


「......承知しました、お嬢。」


ルシアは言い知れぬ感情のまま、イオンに(ささや)く。

警戒は解いては駄目だ。

明らかに優勢であっても、いやだからこそ、何かある。


そして、ルシアの当たって欲しくない嫌な予感は当たる。

ベッティーノが一歩前に踏み出し、アドヴィスへと斬りかかろうとしたその時、チホが指を軽く持ち上げ、音を鳴らした。

パチン、と小さい音はそれでもよく響いた。


「!!!!」


それが何かの合図だったのだろう。

次の瞬間、広間の壁という壁際で爆音が響き渡った。

その音は衝撃波を(ともな)い、ルシアに襲い掛かる。

そして、態勢を整えた時には既に割れたガラス、穴の空いた壁からぞろぞろと敵兵が姿を現していたのだった。


ちょっ、何処にこんな人数隠してた!?

好戦的な目をする者、下卑た笑みを浮かべる者、お世辞にも礼儀正しいとは言えない粗暴な振る舞いの数々。

しかしながら、統制が全くない訳ではない様子からただの破落戸(ごろつき)などではなく、アドヴィス若しくはチホの雇った傭兵の(たぐ)いだと察せられた。


さて、どうする!?

ルシアが何か解決案を、と周囲を見渡しながら、思考を巡らせていると一方からの強い視線を感じて、そちらを向いた。

その方向に居たのはエドゥアルドだった。

強い輝きを持つ瞳にかち合う。


「......。」


「......。」


エドゥアルドは何も言わなかった。

そして、ルシアも何も言わなかった。

けれど、ルシアは真剣な表情で自分の護衛たちに目配せをする。

それを受けたイオンたちも黙ったまま、お互いに視線を交わす。


息を吸った。

エドゥアルドが剣を掲げた。

それが戦闘開始の合図となって、敵兵が、アクィラの騎士が、お互いへと距離を詰める。

その中で、イオンたちも走り出した。

同じくエドゥアルドのそれを合図にして。


向かうは一つ。

ルシアたちの正面、来た道とは反対にある扉。

先行したノックスが道を切り開いていく。

続いてイオンが駆け抜け、後ろから手を伸ばす敵兵をクストディオが切り裂いていく。


凶刃迫る中、ルシアはものともせずにイオンの肩に手を突いて、伸び上がる。

どんどんと敵兵押し寄せる渦中の中心に立つ青年に見えるように。


「エディ様!貴方の婚約者は必ずわたくしが救出致します!!ですから、この程度で死ぬような真似は許しませんわよ!!」


ベアトリーチェを助ける為に死ぬなんて許さない。

そんなの英断でも何でもなく、愚行だとルシアは声を張り上げた。


エドゥアルドにも凶刃が迫る。

しかし、それは彼に事も無げに弾かれ、その敵は地に伏せる。

どんどんと遠ざかるエドゥアルドの横顔に笑みが浮かべられたのをルシアはしかと見た。


頭脳明晰なアクィラの王太子。

彼の死がアクィラ戦争の引金となった。

だからといって、彼は頭脳労働だけに(ひい)でた人間ではないことをルシアは思い出した。


彼は一国の王太子。

もし、戦争が起きれば、兵を指揮し、戦場に立つ者。

彼だって最高峰の剣術を学んできただけの実力を(そな)えているのだ。


ルシアはこの死地にエドゥアルドを残していくことに躊躇(ためら)うことはしなかった。

だって、ここには彼の騎士が居る。

彼らが共に戦う限り、エドゥアルドが死ぬことはない。

何より、彼がそれを選んだのだから。


ルシアは正確に強い視線の意味を受け取った。

受け取ったそれに応えるべく、ルシアはベアトリーチェの元へ向かうことを決断したのだった。

エドゥアルドが本気になれるとっておきの激励を添えて。


とうとうノックスが扉に到着し、ほとんど蹴り倒すように扉を押し開ける。

ルシアは戦場となった広間から長く続く薄暗い廊下を見据え直す。

アドヴィスのことだ、広間から万が一、突破された時の為に何か仕掛けていても可笑しくない。

後ろから追いかけてくる敵はクストディオが蹴散らしてくれる。

ならば、前に潜むそれらに備えなくては。


迅速にベアトリーチェを救出し、エドゥアルドたちに加勢する。

ルシアはそんな意志を胸に、続く未知数の廊下へと、広間を後にしたのだった。

背後から暗闇の瞳がその背中を見つめているとは思わずに。


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