17.看病(後編)
「あら、良かったですね。こんなに早く治るなんて」
「ああ、それもこれもルーシィのおかげだな!」
調理場に料理人たちによる賑やかな笑い声がこだまする。
ルシアが第三王子宮に出入りを始めて三日目のことだ。
レジェス王子の熱は引き、病み上がりではあるが日常生活を送るのには支障がないくらいには風邪が治ったのである。
まぁ、王宮医師なんて技術の質そのものは良いんだから他が整えば、すぐに良くなるのだ。
たった三日ではあるが既に溶け込んでいたルシアは、一番仲良くなった最初にお粥とジンジャースープを作るのを協力してくれた料理人の青年に、別の料理のレシピをせがまれて教えていた際にそれを聞いた。
「私は大したことはしてないですよ。実際に動いたのは皆さんですし」
「それでもルーシィがお粥だの石鹸だの教えてくれたから出来たことだろう」
うーん、そこまで凄いことしたつもりは全くない。
元々、私自身の考えでもないしなぁ。
前世ならば拍子抜けするほど役に立っていないだろう。
...しかし今、何を言ったところで褒め殺しに合いそうなので黙っとこう。
「それにしても、レジェス殿下は愛されてますね。皆さんすっごく真剣に動かれていました」
「そりゃあ、なぁ。大抵、貴族ってのは俺らを同じ人間とは見ちゃいないだろう?だが、レジェス殿下は幼いながらもそういった輩から守ってくれたり、俺らのことを考えてくれる。やっぱり生まれ持って上に立つ王族なんだな、殿下は」
ああ、確かに。
ルシアは先日のお茶会で感じたことを思い出した。
上に立ちながらも支える側を思いやる。
彼らが居なければ上に立てないなんて当たり前のこと。
けれど、それを知らずただただ自分たちは偉いのだ、と勘違いしている無知な貴族はどの時代でも多い。
ほんと、こういうのは世襲制貴族社会の闇だよなー。
「そんな人が上層部に居てくれたら将来安泰ですね」
「...いやまぁ、そう単純なら良かったけどな」
...うん、そう単純だったら良かった。
上は上でイストリアはめちゃくちゃ複雑な状態で手放しに優秀な者の存在を喜んでいられないことは、よく知っている。
外ではスラングが、内では王妃による内乱を警戒せねばならない。
それは深く知らない人でも巻き込まれる可能性があるから気を抜いていられない。
なんて気の詰まることだ。
「ま、なるようになるさ。それより、レジェス殿下がお粥を作った人に会いたいってことで調理場までわざわざ足を運んでくださるそうだぞ!」
少し暗くなった空気に青年は殊更に明るくしようとしてか、妙に跳ね上げた声を出した。
レジェス王子がわざわざ足を運んでくださる。
確かに彼らにとっては光栄なことかもしれないが、聞いた途端にルシアはさぁーと顔の色を失くした。
「そうだったのですか。それはとても残念です。すみませんが私、実はこのあと私用がありまして。お暇させてもらいま...」
ルシアはすね、と言い切ることが出来なかった。
既に調理場入口にレジェス王子が現れていたからである。
「調理場の皆、そう畏まらないで。今回は美味しく身体に良い物を作ってくれてありがとう」
瞬時に頭を下げた料理人たちに彼はにこやかに声をかける。
元気そうで何よりだが王子に無断で潜入している以上、レジェス王子にも勿論、断りなしでルシアはここに居るのである。
ちょっと待って、ちょっとで良いからここから私がバレずに帰還出来る策が浮かぶだけの時間で良いから待って。
ざっとまる一日くらい。
ルシアは混乱し始めた思考のまま、内心でそう呟いた。
「それで誰が考えてくれたのかな?」
レジェス王子のその言葉に一斉に皆の視線がこちらを向いた。
あぁあー、こっち見ないで来ないで。
しかし、ルシアの心の声が誰かに届くことはなく、目の前まで来たレジェス王子の瞳が丸く見開かれていくのがはっきり見えた。
ルシアはあまりの気不味さに身動ぎする。
「...そう、君が。ねぇ、君の話が聞いてみたいんだ。皆、少しだけ借りていっても良いかな?」
そんなレジェス王子のにこやかな笑みと共に発せられた言葉に反論する者は勿論、居ない。
ルシアだけがその言葉に言外の含みがあることに気付いていた。
だが、既に時は遅し。
「ええ。ルーシィ、せっかく殿下がこう言ってくださっているんだ。さっき教えてくれた調理法の書き出しは取り敢えず、こっちでやってみるから行って来い」
何を勘違いしたのか、隣に居た青年が二の足を踏むルシアの背中を押す。
違うんだ、王子との対話が恐れ多いとかじゃなくて、これから弁明タイムだから渋ってるの!
往生際が悪いけど逃げれるなら逃げたいよ!
しかし結局、ルシアはレジェス王子と共に調理場を出ることになったのである。
ーーーーー
「さてと、ルシア姉上?これはどういうことですか?」
「...今回、原因はわたくしにありますから何か出来ないかと思いましたの。幸い、わたくしには知識がありましたから。...殿下は許可をくださらなくてこのような形になってしまいましたけれど」
第三王子宮の一室、使用人を全て退出させてから放たれたレジェス王子の問いにバツの悪い顔をしながらルシアは答えた。
考えあっての、善意あってのこととはいえ、無断には変わりなく、こうして弁明するのに居心地が悪いのも道理でルシアは眉を下げたのだった。
「うーん、そっか。まぁ、兄上の考えも分かるけど......取り敢えず、僕からはありがとう。姉上のお陰でもうほとんど完治したよ」
「いえ、わたくしは然程のことはしていませんわ。けれど、レジェス殿下の体調が治って良かったです」
ルシアはただ忍び込んで指示を出してただけだ。
「それで、兄上には言ってないんだよね?それじゃあ、すぐにでも帰った方が良いよ。バレちゃうと大変でしょ?」
レジェス王子の言葉にルシアは頷く。
却下されての無断だから余計にバレるとどうなることか。
それでは調理場の方たちに挨拶だけしてから帰ります、とルシアはレジェス王子と共に部屋を出たところで硬直した。
何故なら。
「どうしたの...あー、兄上。珍しいですね、ここに来るなんて」
「ああ、治ったと聞いて来たんだが...説明してくれるんだろうな」
最後だけ強い視線を自分へと向ける王子にルシアはひっ、と声を上げたのだった。
「...なるほど」
今度は王子を含めたルシアたち三人は再び部屋へ戻り、この際だからとルシアは事の全てを暴露した。
「申し訳ございません。次からは一人ではここへ来ませんし、殿下から許可がいただけてからにしますわ」
「一人でなくとも来るな。...許可を出すつもりもないから同じかもしれないが」
「...え?」
王子の言葉に素で声を上げてしまう。
いや、確かにルシア自身も複雑な立場で、今回だって何処かから洩れて噂になっていたならば何を言われたか分からない。
王子が許可を出さなかったのはその辺りを心配してのことだろうとルシアは理解している。
「...図書館等でレジェスに会う分には口を出さないし、俺と一緒ならここへ来ても良い」
ルシアが納得し切っていない顔で思案していたからだろうか。
これが出来る譲歩だと口を引き結びながら言った王子に、ルシアは今後必ず報告をする約束を取り付けられて第三王子宮を出たのだった。




