158.従者は主をよく知っている
※今回はイオン視点になります。
王妃と明らかな敵対をし、お茶会を後にしたルシアは早足で歩き去っていた。
イオンも軽く大股で後を追う。
しかし、それも後宮を抜け出た途端にとてもゆっくりになった。
それもいつもより随分とゆっくりである。
通常、ルシアが王子と歩く際に王子がルシアの歩幅に合わせて歩くが、身長差から合わせ切るのは難しい。
それでも王子は上手く合わせてみせるのだが、ルシアが相手だけに苦労をかけることを決して良しとする性格な訳がなく。
結果としてルシアの歩幅は令嬢より僅かに広く、そして歩く速度は些か速い。
まあ、それも全てドレスの中に隠されて、ただ優雅としか映らないのだが。
だというのに今、ルシアの歩幅は令嬢のそれと変わらず。
速度に至ってはそれより遅い。
普段のルシアの速度に慣れたイオンは足を縺れさせそうになりながらも後ろをついて行っていたが、あまりに遅いので堪らず声をかけた。
「お嬢、ゆっくりでも良いんでいつもの歩幅で歩いてくださいよ。このままだと俺が転けます。」
「あら。私に害はないわよ、それだと。」
ルシアは軽口で返答する。
その様子にゆっくり歩いていたのは落ち込んでいたり、怖がっているからではなかったと知ってイオンは人知れず安堵する。
「ああ、この位置だと俺が転けたらお嬢ごといきますが。」
「ちょっと、巻き込み事故はごめんよ。」
王子宮なら未だしもそれ以外の王宮内では従者としてイオンは必ず振る舞う為に横へ並ぶことはない。
イオンが歩くのはルシアの後ろだ。
確かに前のめりに転ければ巻き込み事故である。
ルシアは嫌がるような口調で歩幅を広げたが、イオンはそれがいつものからかいの色を含んでいるのを見て、ルシアが怒っているのではないと判断して笑う。
「?お嬢、そっちは王子宮の方向じゃないですけど。」
「......もう何年も住んでいるのにさすがに間違えないわよ。ちょっと寄り道。」
王子宮へ直帰するかと思えば、全く別方向へと廊下を曲がったルシアにイオンは首を傾げて問い掛ける。
返ってきたのは呆れからくる盛大なため息と馬鹿にしているのか、と言わんばかりの視線と言葉だった。
「こっちなら...図書館ですかね?えー、お嬢。殿下に色々言われてた気がするんですけど。」
「だからよ。」
ルシアの後ろをついて行きながらも王子宮を出る前に王子がルシアへ帰ってき次第、起こせと言っていたことを思い出して問えば、即答が返ってきた。
また何かしら考えてるな?と目を眇めれば、ルシアは目を泳がせるように横を向いた。
それによって見えた横顔には悪戯がバレてしまった子供のようなバツの悪そうな表情が広がっていた。
「だって、あれをそのまま説明したら絶対面倒な......伝えることが多過ぎて大変でしょ?だから、ちょっと整理する時間が必要よね。ああ、それにまだカリストがベッドに入ってからそう経ってないわ。約束したからには帰ったらすぐに起こすけれど、寄り道するなとは言われてないもの。もう少しだけ寝てくれた方が良いわね。」
「......。」
...所々、本音が洩れかけている。
確かに王子は寄り道をするなとは言っていないけども。
ここ暫くのうちに王子の睡眠時間が前以上に貴重なものになったのは本当だし、ルシアが心配しているのも本当だろうけど、寄り道の理由の大部分は前者を占めていると思うのだがどうだろう。
果たしてもう少しだけ寝てくれた方が良いのは誰にとってか。
「ちょっとそんな顔しないでよ!......あ。ね、ねぇ、イオン。まさか貴方カリストに私が小瓶を投げたことまで......。」
「ああ、これのことですか?物があるので報告しますよ?」
「でしょうね!!ああ、カリストになんて言われるか......それよりそれ持ってきたの?」
今度はこちらが呆れ交じりの視線を向けていたのに気付いてか、ルシアはバツの悪そうにしながらも口を尖らせ、そこで何かに気付いた表情を浮かべ、ギギギと足を止めて振り返ってきた。
その顔はもう薄々解っているのに解りたくないという顔だ。
しかし、イオンは追い打ちをかけるようにポケットから小瓶を取り出して、とても良い笑顔で頷いてみせた。
イオンの返答にルシアは投げ遣りな声を出して、この後のことを思って憂いた顔をした。
......未だに氷の白銀姫と言われているのを耳にすることがあるが、次々と表情がころころ変わって中々表情豊かだと思う。
イオンはふむ、とルシアを見下ろしながらそう思った。
しかし、それが長年、傍で見てきて王子と同じくイオンが完璧にルシアの表情を読み取れるからだとは当の本人は気付いていない。
確かにルシアの表情筋は昔より幾分柔らかくなっているが。
「ええ、丁度良くお嬢が後ろへ投げてくれたもので。中々、面白そうな代物ですねー。」
ルシアの指摘に頷いて、今度は自分の手の中の小瓶を見下ろした。
中には相変わらず不気味な色合いの液体が揺らめいている。
これはルシアが投げ捨てた時に王妃の視線が完全にルシアへと向いていることを把握して拾い上げたのだが、クストディオ辺りに預ければ、どういった類いの毒か判別してくれるだろうか。
それとも毒もまた薬とも言うし、エグランティーヌやグウェナエルの方が適任か。
自分は知識がない訳ではないが、専門でもないのでこういう時は得意とする奴に任せるに限る。
「......とっても愉快なほど強力なものだと思うから扱いには気を付けなさい。クストか...そうね、グウェナエルにでも渡して。」
同じ結論に至ったのか、ルシアがそう言ったのでイオンは頷いた。
まぁ、その前に王子へ見せることになるだろうから王子の意見も聞いて処理しよう。
「承知しました。それで、いつのご帰還予定で?」
「......四半刻すればちゃんと戻るわ。」
「了解しましたー。」
不貞腐れたように告げるルシアに頷いて返す。
確かに王子が寝直してから一刻半。
四半刻で帰れば丁度良いだろう。
さすがにそれより遅いと王子が訝しむだろうし。
さて、それでは往生際の悪い主に付き合ってもう少しだけ寄り道しますか、とイオンは周りを警戒しながらもルシアの後ろを歩くのだった。




