156.王妃とのお茶会
イストリア王宮のより奥に位置する後宮。
ここは国王の妃が住まう為の宮である。
代々、その御代の妃たちが暮らしてきた伝統ある宮だ。
例によって大抵の国と同じく国王以外の男は禁制の場所である。
例外はこの宮に住む妃の産んだ王子と護衛等、国王直々の許可証を持つ者のみだ。
今のところ、許可証なしに出入り出来るのはレジェス王子と国王のみ。
王子は母君を亡くしてしまっているので出入り出来ない。
本当に王妃にとって都合が大変よろしいことで。
これでは私と王妃の密談を遮るどころか、把握も出来やしない。
とはいえ、王子もそれに対して対策を全く取らない訳もなく。
どうやったのかは知らないが見事に私の護衛たちの許可証を国王からもぎ取ってるんだよね。
お陰様で護衛に付いて来てもらえることにより一人、胃を痛くすることなく居れる訳なんですが。
「...イオン、胃薬は?」
「そりゃ勿論、常備してますけど?」
「......終わったらちょうだいね。」
一歩後ろを歩くイオンにふと思いついて尋ねれば、何当たり前なことを、という声が返ってくる。
次いで飛んできた二回分くらいの水もしっかりありますよ、という言葉にルシアは驚きを通り越して呆れを含んだ声で返答した。
用意周到かよ。
いや、そもそも胃薬必須って前段階で分かるお茶会って......。
まぁ、王妃の呼び出しなんだから当然といえば当然なんだけども。
それにしても、主人が代われば形相もまた全く変わってしまう。
ルシアはちらりとはしたなく見えない程度に宮を見渡す。
前王妃、つまり王子の母君がご存命であった頃はそう調度品が無くとも上品で美しい宮だったという。
今はとても華やかだ。
鮮やかさが目に痛いくらい。
うん、そうだよね。
あの王妃、見た目のまんま派手好きだもんね。
ここには王妃以外の妃も、王妃の実子である第一王女も住んで居るが、こういった調度はその宮の主人に左右されるものである。
つまりは王妃の。
「...お招き頂きありがとうございますわ、王妃様。」
「よく来たわね。ほら、貴女カリストを追って王宮を出ていたでしょう?一度戻ってきたけれど、すぐにエクラファーンへ発ってしまうし。」
「その節は王妃様にもご迷惑をおかけしましたわ。申し訳ありません、お茶会にも誘われていましたのに。」
指示されたままに後宮内でも奥の庭へ進めば、優雅に腰掛ける派手な赤のドレスを纏った貴婦人が見える。
正直、桃色の髪に赤のドレスはと思うが、派手で毒々しいほどに微笑む王妃にはぴったりである。
対してルシアが纏っているのは紺に近い青のドレスだ。
王色に近いが地味に見える為、王妃から変に目をつけられず、且つ王族としての上品さを演出出来る代物である。
ルシアは王妃の視線がこちらへ向いたことを察して礼を取った。
王妃は一見美しい笑みを浮かべながら、優しげな声でルシアを詰って拗ねるように言葉を紡ぐ。
これには色々な意味が籠っているが要約すると何勝手なことしてんだ、辺りかな?
「いいえ、良いのよ。やはり夫が戦場に居るだなんて心配になるものね。けれど、まさか貴女自身が追いかけていってしまうなんて驚いたわぁ。」
「わたくしも今思えばよくああも思い切ったことが出来たと思いますわ。」
落ち着いてしまった今、同じことをしろと言われても出来ないだろう、と全く心にもない言葉を困った表情を作ってルシアは言った。
多分、後ろのイオンも同じことを思っているに違いない。
うん、王妃には今回以外の外出は隠し通せてるからね。
「まぁ、そうだったの。愛故のというやつかしら?とても素敵ねぇ。」
「まぁ、王妃様ったら。」
そう言った王妃は言葉通りに素敵だとは到底思っていないような、目をすーっと細めた蛇を思わせる表情を浮かべた。
王妃の言葉にルシアは微笑んで受け流す。
あー、やっぱりお茶会という名の吊し上げだ、これ。
まぁ元々、貴族令嬢が集うお茶会なんて思ってもいないことを言い合う大変行儀の良い代物なんだけども。
王妃はルシアの返答を目を細めた表情のまま見返す。
手にはルシアの着席と共に運ばれてきたカップを持っていて、中のお茶が溢れないように、されども緩やかにそれを揺らしていた。
赤みを帯びた茶色の水面が日差しを受けてゆらゆら波打つ。
「あら、どうしたの?今日のお茶は私のとっておきなのよ。」
「まぁ、王妃様が絶賛なさるなんて余程良い物なのでしょうね。とても良い香りが致しますわ。」
一向にカップへ手を伸ばしていないルシアに気付いていたのか、王妃が何でもないようにお茶を勧める。
しかし、その表情はまだ変わらず。
お茶に手を付けないルシアを不思議そうに見るでもなく、ただ何処までも余裕たっぷりに。
ルシアはこれは、と思いながらもカップを手に取る。
ここは密室のようなものなのだ。
何があっても揉み消しが可能。
ごくり、と息を呑み込んでからルシアはお茶に口を付けた。
若干の痺れが舌を刺激する。
「とても、美味しいですわ。」
「気に入ってくれたなら良かったわ。」
ルシアは微笑み、王妃も微笑む。
お互いに分かっているのだ、これは化かし合いだと。
お茶に仕込まれたのは良いところ微量の毒だろう。
人を殺すほどではない、精々麻痺させる程度の。
ルシアだって伊達に王宮暮らしが長くないし、王子ほどではないが毒には慣らしてある。
それでも王族としては心許ないくらいの耐性だけども。
王妃もまだルシアを殺すつもりはないらしい。
うん、最終の返答を聞いてないもんね。
まぁ、お蔭様で舌が痺れたくらいで済んだ。
「ああ、そうそう。ねぇ、ルシア。私、今日貴女を招いたのはお話があったのよ。」
「お話、ですか?いったいどんなお話でしょう?」
「ええ、聞いてくれる?貴女も私の義娘だもの、聞いてくれるわよねぇ?」
ルシアがお茶を飲んだのを見届けた王妃が何かを今、思い出したかのように白々しく話を切り出した。
ルシアはいよいよ本題か、と思いながら思い当たる節がないとでもいうように惚けて首を傾げてみせた。
それを見た王妃はより口端を吊り上げて、とても怪しげに笑んだのだった。
絶対的な命令を下す女王のように、まるで聞かない選択肢はないとも言いたげに。
事実、ここで退席する選択肢はルシアに用意されていない。
ルシアは王妃の笑みに貴女は私が選んだ私の駒でしょう?という副音声が聞こえた気がしたのだった。




