135.覆らなかった未来
「お嬢、朝食をお持ちしましたよー。」
「あら、ありがとうイオン。」
イオンはルシアの前にトレイを置いて、銀製のカップに水筒から水を注いでいく。
ルシアは目を落としていた書類から顔を上げて、イオンからカトラリーを受け取った。
「また報告書を?」
「ええ、今回はカリストも居るから精度が良いわ。」
ルシアは尋ねられるまま答え、テーブルへと置いた書類を見て褒めた。
それなりの厚さがあるそれには早くも様々な情報について書き連ねられていた。
さすがに仕事が速い。
「イオンもクストも優秀過ぎるくらいだけど、単純にニキやノーチェが加わって優秀な人材が倍に増えたから相対的にいつもより良い仕事になっているのね。」
「あー、そうですね。それと、さすがに機動力ではニキティウスに勝てませんし。」
イオンは気の抜けた声でルシアの言葉に首肯する。
うん、ニキティウスは半竜だから体力があり、機動力もずば抜けて高い。
同じ半竜のフォティアと比べても素早い。
そして、これはフォティアにも言えることだが、彼らはほんの数分間だけではあるが竜の姿を取ることが出来た。
竜の姿であれば、たった数分でもかなりの距離を進むことが出来る。
とはいえ、目立つので緊急時であっても状況によっては姿を変えることはないのだが。
あーでも、どうしてもの時はタイムロスではあるけど雲の上を飛ぶって言ってたな。
「...あの男が居るのね。」
一番上の書類に見つけた名前にルシアはひっそりと息を吐いた。
[此度の件にはスラング兵、毒蜘蛛スピンの関与の可能性あり]
へらりと嫌な顔つきで笑う、出来ることなら再会はしたくない男の姿を思い出した。
毒蜘蛛スピン。
先のイストリア国境での戦いにて、途中から姿を見せなくなっていた。
それで王子たちはこちらも何を仕掛けてくる気か、と警戒していた訳だけど。
まさか、戦場を離脱してファウケースの街を落としに行っていたなんて。
まあ、そもそも国境での戦いに居たこと自体が予定外か。
あ、ということは本来のシナリオではスピンは初戦の裏でアルクスに居た?
確かに小説ではアルクスの裏切りにより起こる戦争は主人公が参戦する二度目の戦争だ。
侵入路を見つけた上にアルクスに潜入していたのもスピンだから、主人公と直接的に関わっていなかっただけで今回のファウケースの戦争に参加していた可能性としてあり得る。
と言っても、随分と時期が早いんだけど。
本来、二度目の戦争はもう少し間が空いていた。
うん、ゲームとかでもよくあることだけど、初戦というものは敵が弱いことが多い。
そして徐々に強くなっていく。
とはいえ、ここは現実なのだ。
例え小説の中だとしても。
「スラングは二つに部隊を分けて攻め込んできていたのね。...そんな彼らにとっての誤算はカリストとその側近たちが予想以上に優秀だったことかしら?」
スラングにとっては二つに分けてもそれなりの成果が期待出来ていたのだろう。
ところが主人公が現れた。
強力な仲間と共に。
「竜が居ないイストリアは弱いと思っていたのね。」
「......まあ、竜人族が優れた力を持つ種族であることはこの大陸に住む人間は皆知ってるでしょうから。実際、うちの国は弱体化してますし。」
それはそれでうちの国はどんな化け物の巣窟だよ。
弱体化してもスラングをほんの一部とはいえ打ち破ってるよ?
作中の流れなんかを考慮したら確かに負けることはないんだろうけど。
いや、現実ではどうなんだろう。
「お嬢?」
「...え?ああ、ごめんなさい。しっかり食べるわ。」
フォークの止まったルシアにイオンは声をかける。
首を傾げたイオンにルシアは曖昧に笑って食事を再開した。
アルクス、ファウケースの街でルシアは今回の戦争を発生させないように動いた。
それなのに世界はシナリオと違いこそあれど、大まかな流れに沿ったまま進んでいる。
既に事が及んだことを鑑みれば、アルクスの裏切りはなくなったのだろう。
けれど、スラングはアルクスからイストリアへ攻め込む用意をしている。
初戦に勝ったことでスラングもイストリアの認識を改めたであろう。
それはイストリアにとって良いとは言えない。
侵入路の位置だってスピンが知っている。
......ねえ、本当にこの世界は現実でシナリオ補正なんてないの?
ルシアはサラダにフォークを突き刺しながら、それを無感情に見つめたのだった。




