131.おかえり、そして
「...っ。」
ルシアは呆然としたまま、無意識に後退りする。
しかし王子の歩は緩まず、それどころか明確な意思を持ってルシアに近付いてきていた。
ルシアは王子と目が合ったまま、逸らすことが出来なかった。
王子もまた、ルシアから一片たりとも視線を逸らさずに足を進める。
ルシアは視界の端に王子を追ってきたのか、ノーチェを筆頭にフォティアやニキティウス、加えてフィデールまでもが馬で駆けてきているのが見えた。
いつの間にか現れていたイオンがルシアの持っていた籠を回収し、グウェナエルを退散させていたのだが、王子にばかり気を取られていたルシアは全く気付いていない。
やがて王子がルシアの目の前で立ち止まる。
王子が見下ろすようにルシアもまた見上げた。
「どうして、ここに...?」
「それはこちらの台詞だ。」
いや、確かにここは戦場で出陣を命じられた王子が居るのは自然なこと。
どちらかというとルシアの方が場違いに違いない。
でも、実際にはルシアは負傷者の治療にて戦場に来ていて、入れ違いに王子は会議の為に拠点の屋敷へ向かったはずである。
確かに屋敷のある街は最前線最寄りだからこその拠点であるが、いくら近いとはいえここに王子が居る理由はなんだ。
...うん、まあ暴走した私に会う為だよねー。
半ば現実逃避気味のルシアはまじまじと目の前に居る王子を上から下まで見た。
その無愛想とも言える表情を浮かべながらも美しい顔も、角があるように聞こえる言葉もたった十数日ぶりにしてはとても懐かしい。
それだけ、お互いに濃い十数日だったということだろう。
そこまで考えてルシアはあることに気が付いて視線を跳ね上げる。
それまでルシアの様子を見ているだけだった王子は目線だけで何だ、と問うた。
「カリスト、怪我はもう良いの?」
「...ああ、それはフィデールに治してもらった。俺としては俺の心配より君自身の心配をして欲しいんだが。」
「戦場で戦って怪我をした人が何を言うの。」
王子は腕を軽く振って、支障がないことをルシアに示してみせた。
しかし、続いた小言にルシアは少し眉を顰める。
「このくらい大丈夫だ。」
「貴方のそれは軽傷では済まなかったでしょうに。」
王子は大丈夫だと再び告げるがルシアはより不機嫌になるばかりである。
「......でも、無事で良かったわ。」
認めたくないとグウェナエルに告げたようにルシアは不服そうな顔をして、それでもそう溢した。
王子は僅かに目を見張り笑う。
それに周りの人間たちが固まっていることに二人は気付いていない。
ルシアに至っては正面から直に王子のそれを見たのにも関わらず、眉を緩めもしなかった。
「...おかえりカリスト。そしてただいま。」
ここはまだ戦場で王宮ですらないけれど。
エクラファーンから戻ってきたことに、戦禍の中から戻ってきたことに。
「...ああ、ただいまルシア。そしておかえり。」
王子の言葉にやっとルシアは表情を緩めた。
そうして、王子を再び見上げる。
着替えは済ましているようで、つい昨日まで戦禍の中を駆けていた人には見えない。
けれど、馬を飛ばして乱れた髪が、腰に佩いた剣が、戦場に立つ姿を想像させる。
それはもう、ルシアのよく知っている小説で見た主人公の姿に。
18歳になり、今まさに初陣にあたる小説の第一幕を終えた王子。
すっかり挿絵そのままの姿になっていた。
たまに見る笑顔だけは違って見えたけれど。
クールで孤高で博識で、本当は根の優しい王子様。
身長だって十分過ぎるほど伸びた。
14歳になったルシアの身長はあと伸びても精々1~2cmが関の山だろう。
そのルシアから見て王子は約25〜30cmも高い。
もう体格が出来上がっているというのに身長が止まったようではないから、これからもこの身長差が埋まることはないのだろう。
見上げる目線の高さは変わらない。
そう思った途端にルシアは王子に抱き上げられていた。
先程変わらないと思ったばかりの王子の青の瞳が自分より下にあり、こちらを見上げている。
「ちょっと重いでしょ!私だってもう成人したのよ?昔みたいに抱えられないでしょう?」
慌てて王子の首に手を回しながらもルシアは王子に文句を言った。
イストリアでは14歳で成人である。
私はもうこっちの世界でも子供じゃない。
「重くないし、抱えづらくもない。それにこれは俺が好きでやっていることだ。」
そこまで言われてはルシアも二の句が継げなくなる。
普段、王子は何かに対して好きなことと言うことがないから特に。
「...ルシアのお陰でピオが助かった。」
「...私はゲリールの民たちを連れてきただけだよ。」
決して私だけの力じゃないと言えば、王子はもう既にピオに付いていたエグランティーヌには礼を述べたという。
素直に感謝を受け止めるしかなくなったルシアは相手が古い付き合いの王子なこともあり、気恥ずかしそうに目を逸らした。
「...看病に戻るから降ろしてちょうだい。」
「残念だが手伝いは終了だ。君はこれから俺と、話があるだろう?」
「え゛。」
苦し紛れに再び降ろして、と頼んだルシアはそこで手に持っていたはずの籠を探して視線を彷徨わせた。
しかし、それをも防ぐかのように王子はルシアを抱えたまま方向転換する。
そのまま向かうはいつの間にかフォティアが手綱を掴み、留めていた王子の愛馬の元である。
とても良い笑顔を浮かべての王子の発言にルシアはピシリと固まり声を上げた。
決してその笑顔にやられた訳でも、その甘く響いた声でやられた訳でもない。
その内容、王子と話。
ルシアが何度も憂鬱になっていた説教。
分かってた、分かってたけど!
手紙にだってそうあったから!
そうルシアは内心、叫ぶ。
そしてルシアは成すすべなく、王子によって屋敷へ連れていかれたのだった。




